武部勤とは、北海道斜里郡斜里町出身の元政治家である。
衆議院議員(北海道12区・当選8回)、元・農林水産大臣、元・自民党幹事長である。
経歴・役職等
- 1964年3月 早稲田大学第一法学部卒業
- 1964年4月 三木武夫氏主宰の社団法人中央政策研究所に研究員として入所
- 1971年4月 北海道議会議員選挙(網走管内)にて初当選(当時、最年少道議だった) 以降道議を4期務める
- 1983年12月 第37回衆議院議員総選挙(旧・北海道5区)にて保守系無所属で出馬するも落選
- 1984年1月 渡辺美智雄氏の秘書に就任
- 1986年7月 第38回衆議院議員総選挙(旧・北海道5区)にて初当選
- 1997年9月 自民党国会対策副委員長に就任
- 1998年8月 自民党副幹事長に就任
- 2000年7月 自民党政調副会長に就任
- 2001年4月 第1次小泉改造内閣において農林水産大臣に就任
- 2002年10月 自民党政調筆頭副会長に就任
- 2004年9月 自民党幹事長に就任
- 2005年10月 自民党幹事長に再任
- 2007年8月 自民党改革実行本部長に就任
- 2010年10月 衆議院予算委員会筆頭理事に就任
- 2012年11月 次回(第46回)衆議院総選挙に出馬せず、引退を表明
政治家としての活動
- 衆議院議員選挙初当選後はしばらく無派閥で通したが、選挙時にお世話になった渡辺美智雄が政策科学研究所(中曽根派→渡辺派)の会長に就任した際、渡辺の誘いを受けて派閥入りする事となった。
- 渡辺美智雄氏の死後は、山崎拓の近未来政治研究会(山崎派)の結成に尽力した。
- 加藤紘一議員の起こした「加藤の乱」に名を連ねていたため、元々は森喜朗・小泉純一郎批判の急先鋒であった。山崎派が総裁選で小泉氏を支持する事にも激しく反発していたが、最後は武部が折れて小泉氏に投票した。
- 政調筆頭副会長としては、郵政民営化に関する政権公約づくりを担当した。これを小泉首相に評価され、自民党幹事長に就任する事となった。
→この際の人事は「サプライズ人事」と呼ばれ、「サプライズ」は2004年の流行語大賞・トップ10入りした。 - 幹事長としては忠実に小泉首相の意志を汲んで行動し、武部は自ら「偉大なるイエスマン」と称していたほどである。
- 第44回衆議院議員選挙(郵政選挙)では自民党の郵政民営化反対議員に対して刺客候補を送る戦略を実行し、与党の歴史的勝利の立役者となった。また、この選挙後に当選した「小泉チルドレン」の教育担当係にもなった。
→この選挙に関連して「小泉劇場」が2005年の流行語大賞・年間大賞に選ばれ、授賞式には武部が出席した。
人物
- 好きな言葉は『愛と熱意と信念のあるところ、必ず道は開かれる』。
- 若い頃は商業デザイナーになりたくて美大への進学を目指していた。しかし高校時代に色弱である事が判明し、デザイナーの道を断念した。
- 特技は似顔絵を描くことである。元・ライブドア社長の堀江貴文氏に贈った似顔絵がライブドアの2006年の年賀状に使用された。
- 実家は中華料理店であり、世襲議員ではない。
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関連商品
関連項目
外部リンク
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