概要
「水曜ロードショー」「金曜ロードショー」の解説者、「シベリア超特急」シリーズの監督として有名。
映画業界に入る前は地元の岡山で郵便局職員として勤務しており、「紙幣捌きの名人」と呼ばれていた。
東京に上京後、淀川長治らと出会う。そして外資系映画会社にアルバイトから入社し、正社員への昇格やヘッドハンティングを経て宣伝マンとして活躍するようになる。この頃に数々の洋画の邦題をつけている。意図してか否か当時のニュース映画と混同して命名した「ビートルズがやって来るヤァ!ヤァ!ヤァ!」や、意図的に誤った「007 危機一発」「真夜中のカーボーイ」などがその代表作である。
1972年に独立後、「水曜ロードショー」(後の「金曜ロードショー」、日本テレビ)の解説者としてテレビに登場。
滑らかに飛び出る名調子の解説、非常に楽しそうに映画を解説する笑顔、番組最後の「いやぁ~、映画って本当にすばらしいものですね」(他に「面白いものですね」「いいものですね」などのバージョンがある)が、彼をお茶の間の人気者にさせた。
戦前の陸軍大将・山下奉文を崇拝しており、自身の風貌も彼そっくりだったこともあって、彼をモデルにして自身が主演・監督を務めた「シベリア超特急」シリーズを製作する。
当初はまったく評価されなかったが、みうらじゅんやナンシー関らが「カルト映画」「バカ映画」として評価をしたことをきっかけに人気シリーズとなる。晩年は長年の夢だったという映画監督としての活動を中心に据えて、メディアに露出する際にはほぼ必ず「シベリア超特急」のロゴが入った服を着用していた。
ちなみに、映画・舞台を含めて『5』まで製作されている(『6』は企画中に水野が死去)。悲惨な出来なのは間違いないのだが、コンプリートDVDに自身の名解説を収録しており、これを聞きながら見ると何故か傑作に見えてくるという力技を披露した。
警察マニアとしても有名。好きが高じて実際にアメリカの保安官を体験勤務したり、パトカーのサイレン音を集めたレコード『世界のパトカー』をプロデュースし発売したこともあった。たまに番組で時間が余ったときには、海外の警察訪問などの趣味全開のミニコーナーを放送したりもしていた。
水野曰く、現在の日本のパトカーのライトを見やすい現在の棒状にするように提案したのは自分だという。
淀川長治と同様、同性愛者であるという噂があった。本人はこれを否定しているものの、ネタではぐらかすこともあり実際のところは不明のまま、2008年6月、76歳をもって鬼籍に入ってしまった。
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