この記事は要編集記事の一覧に挙げられています。 編集・情報提供にご協力ください。(掲載理由:[情報量の不足]) 編集が終了しましたら要編集記事の一覧までご報告願います。 |
永劫回帰とは、
- フリードリヒ・ニーチェの思想である。
- エロゲ「暁の護衛〜罪深き終末論〜」のEDの一つ。アーティストはBarbarian On The Groove feat. カヒーナ。→曲リンク
- SFC用RPG『聖剣伝説2』で使用される楽曲名。→永劫回帰(聖剣伝説2)
- 上杉昇のアルバムのタイトル。「永劫回帰I」と「永劫回帰II」の2枚がある。
ここでは、1について解説する。
概要
経験が一回限り繰り返されるという世界観ではなく、超人的な意思によってある瞬間とまったく同じ瞬間を次々に、永劫的に繰り返すことを確立するという思想である。
ただし、ニーチェ本人は非常に直感的に漠然と語っているだけなのであまり細かいところは不明である。
輪廻思想とよく対比されるので、ここでも輪廻思想と対比しながら解説することとする。
輪廻思想との違い
これだけを聞くと輪廻思想によく似た内容に思われるだろうが、ループの扱いも目指すゴールも異なる。以降でそれぞれ詳しく見ていこう。
ループの違い
輪廻転生では、人は無数の転生を繰り返す。これは動物に転生することもあれば、人間に転生することもある。そしてそれは、前世でのカルマに影響されるものである。また、「生→死→次の生→…」と、生死を伴うものである点も見逃せない。
一方、永劫回帰では前世からの影響は考慮されない。前世があったかどうかもわからない。そんな状況で同じ状況、同じ出来事が永遠的に繰り返されるのである。ここでは単に「今の生」が繰り返される。寧ろ、「前回はこうだった」ということを知っていては同じ状況にはならないので、そんなことはわからない というのが実情かもしれない。
よくわからない人は「エンドレスエイト」を観てみるのも良いだろう。多分3話を観始めた辺りから、永劫回帰の考えるループについて理解できること請け合いである。
ゴールの違い
輪廻思想のゴールは、ループから抜け出すことにある。これを解脱と呼ぶ。つまりループは否定的なものとして扱われる。
一方、永劫回帰のゴールは、ループそのものの肯定である。今この生が何度来てもかまわない、それで良いのだと強く肯定することにある。つまり、ループは肯定的なものとして受け入れられるものである。
先程の「エンドレスエイト」の例に則れば、よく似た同じ話が繰り返されるのを見て、「早く話進まないかな」と考えるのが輪廻思想的発想、「これもアリかな」と肯定するのが永劫回帰的発想といったところだろう。多くの人は「これもアリかな」とか思える訳がない、と思うことだろう。それも当然のことで、ニーチェ本人も「それを引き受けられるのは超人のみである」と言っている。一般人にはやはり無理なことである。
無限ループ
創作の題材として無限ループが用いられることがあり、「ループもの」などと総称される。これら「ループもの」において多くの場合は、ループから抜け出すことを目指す話となる。あるいは、ループに囚われる事を恐ろしい事態として描いている。つまり「ループもの」での無限ループへの対応は輪廻思想的であると言うことができるかもしれない。
そもそも、永劫回帰的な態度で話が進んでしまっては話が進まないこと請け合いだろう。
関連項目
- 8
- 0pt