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河野 洋平(こうの ようへい、1937年1月15日 - )とは、日本の政治家である。
概要
1967年衆議院選挙に自民党から立候補する。選挙の結果トップ当選し、田中角栄内閣の文部政務次官に就任する。
1976年に自民党を離党し、新自由クラブを結成、同党の党首となる。1983年には新自由クラブが自民党との連立与党になり、1985年に科学技術庁長官に就任する。
1986年には新自由クラブが解党し、河野洋平は自民党に復党。宮澤喜一内閣において加藤紘一に続き2人目の内閣官房長官となる。そしてその在任中に、現在に至るまで物議を醸すことになる、いわゆる「河野談話」(慰安婦関係調査結果発表に関する河野内閣官房長官談話)を発表(閣議決定はされていない)。
1993年衆議院選挙において自民党が過半数割れとなり、首相でもある宮澤喜一が自民党総裁の職を1993年7月30日に辞すると河野洋平が自民党総裁に就任、宮澤喜一が8月9日に首相を辞して自民党が野党になったため、河野洋平は首相に就任できず野党第一党の党首となった。
自社さ連立政権の樹立によって自民党は与党に戻った。しかし連立与党であったことから首相は自民党総裁ではなく社会党委員長の村山富市が就任し、村山富市内閣で河野洋平は副総理及び外務大臣に就任した。同内閣の任期中に河野洋平は副総理と自民党総裁の職を辞し、同内閣で通商産業大臣を務め同じ自民党でもある橋本龍太郎に副総理と自民党総裁の職を譲った。後に橋本龍太郎が首相に就任し、河野洋平は初めて首相経験者とはならない自民党総裁となった。
1999年の小渕恵三内閣で外務大臣に就任、森内閣でも外務大臣を留任する。
2003年に衆議院議長に就任し、2005年の再選を挟み2009年まで務めた。2009年衆議院解散により衆議院議長を辞職し、選挙にも立候補せず議員も辞職した。
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関連項目
第75代 | 第55代 | 第56代 |
加藤紘一(宮澤喜一内閣) 1991~1992 |
河野洋平(宮澤喜一内閣) 1992~1993 |
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衆議院議長
第70代 | 第71代,第72代 | 第73代 |
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