法華経単語

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法華経とは、仏教経典の1つである。

概要

名称

法華経のサンスクリット語原典の名前は『サッダルマ・プンダリーカ』であり、直訳すると『白蓮のごとき正しい教え』となる[1]

この『サッダルマ・プンダリーカ』を西法護は『正法』と訳し、後摩羅は『妙法蓮華』と訳した。隋の闍那崛多と達摩多も『妙法蓮華』と訳した。

『サッダルマ・プンダリーカ』を全に訳した経典は、法護の『正法華経』と、摩羅の『妙法蓮華経』と、闍那崛多や達摩多の『添品妙法蓮華経』の3つであるが、いずれも『法華経』が略称である。

鳩摩羅什の『妙法蓮華経』が中国や日本で採用される

古代インドサンスクリット語を用いて『サッダルマ・プンダリーカ』が書かれた。それが様々な僧侶によって書き写され、中央アジアに伝わっていった。

『正法華経』と『妙法蓮華経』は、どちらも中央アジアに伝わる『サッダルマ・プンダリーカ』を翻訳したものとされる。ちなみに『正法華経』と『妙法蓮華経』は、それぞれ異なる原典を訳したものと摘されている[2]僧侶寺院で経典を書き写していくことを繰り返すうちに経典の内容が変化してしまうことがあるが、そうした現が発生したようである。

『正法華経』は訳文が難渋で読解に苦しむものである。『妙法蓮華経』は読みやすく理解しやすいが、達意的で厳密な意味では必ずしも正確な翻訳ではない[3]

隋の智顗(ちぎ)は中国における天台宗を大成させた高僧として知られるが、その智顗が『妙法蓮華経』を基本の経典として定めたので、日本でも摩羅の『妙法蓮華経』を採用する教団ばかりとなった。

『添品妙法蓮華経』は『妙法蓮華経』とほぼ同じで、『妙法蓮華経』で欠落していた部分を書き足して、品(章)を結合したり並べ替えをしたりする程度の変更を行っている。このため『妙法蓮華経』を重視する仏教界の流れは変わらなかった。

成立年代

『サッダルマ・プンダリーカ』の成立は4つの期間に分けることができ、最も原始的な部分は紀元前1世紀頃に成立し、最も新しい部分は紀元後150年前後に成立した、と布施浩岳が述べている[4]

『サッダルマ・プンダリーカ』は、釈迦牟尼がその経典を教えていることになっている。一方で釈迦牟尼とされるゴータマ・シッダールタ年は紀元前11世紀説から紀元前4世紀説まで様々な学説が唱えられているが、紀元前1世紀の人物ではないことは学者たちの間で共通している。このため「法華経はゴータマ・シッダールタが入滅してからかなり後の時代になって仏教教団の手によって作られた」と認識しておいて間違いはい。

法華経は大乗仏教の系列に属するが、その系列の初期に属する。般若経や厳経と並ぶ初期大乗経典の代表作とされる[5]

経典の中の王者であり「経王」として位置づけられる

法華経は小乗仏教を奉ずる教団と大乗仏教を奉ずる教団の鋭い対立を解消すべく現れた経典である。

対立する思想をより高次の立場から統一し、思想的寛容を促し、全ての人間成仏を保する義の精を養う経典であり、後世において「経典の中の王者」「経王」として位置づけられるのも当然であった[6]

インドではや世といった高僧が法華経を引用したり注釈を付けたりし、中国では智顗の天台宗が法華経を基礎とした。日本でも最澄が比叡山に天台宗を起こして法華経を最重視し、その比叡山で学んだ法然・親鸞浄土宗浄土真宗を開き、同じく比叡山で学んだ栄西・元が宗を開いた。さらに日蓮は法華経の布教に努め、多くの日蓮教団を発生させた。

インド中国日本を通じて仏教思想の流をなしたものは、実に法華経であると言っても過言ではない[7]

仏教のことを知りたいのですがどの経典を読めばいいのですか」と問いかけるものがいたならば、とりあえず、法華経を読むことを奨めておけばよい。

おすすめの書籍 岩波文庫の法華経

法華経について様々な書籍が販売されているが、そのなかで仏教を知らない初学者に勧めることに向いているのは岩波文庫の法華経である。

岩波文庫の法華経では、日蓮教団の1つに属する宗教学者の坂本幸男が『妙法蓮華経』を書き下し文にして解説し、サンスクリット語学者の岩本裕が『サッダルマ・プンダリーカ』を易な日本語翻訳している。

坂本幸男は法華経を信奉する宗教家であり、宗教的情熱がこもった解説を書いている。一方、岩本裕は宗教的に自由な立場であり[8]、「仮定の事実を記述するにあたって正に作為も甚だしい記事を羅列している。」「いささか芝居気たっぷりである。(中略)そこに述べられる仮定の事実は実に下手である。」などと法華経に対して辛口の批評をしており[9]中立的な考えをもたらしていて、本の性を作りあげている存在である。

Amason、楽天ブックス、DMMなどで書籍と電子書籍の両方が販売されている。

法華経の教義

相手によって教えを変える

法華経において一貫して説かれている教義は「釈迦牟尼は相手を仏陀の智に到達させるように尽しているのだが、相手によって教えを変えている」というものである。

釈迦牟尼は、相手の知識量や性格を見極め、相手によって教えを変えている」という教義は方便品でも如来寿量品でも共通している。「釈迦牟尼は、相手が無知なら四諦説や十二因縁説を教え、相手が十分に成長したら菩薩にならしめて仏陀の智を教える」と説くのが方便品であるし、「釈迦牟尼は、相手が怠け者なら『仏陀は入滅する』と教え、相手が勤勉なら『仏陀は入滅しない』と教える」と説くのが如来寿量品である。

「相手の知識量や性格を見極め、相手によって教える内容を変える」というのは、わかりやすくいうと、「講師1人が大人数に対して授業をする一斉学習塾のように振る舞うのではなく、講師1人が生徒1人にマンツーマンで教える個別対応塾のように振る舞う」ということである。

譬喩品第三の「三火宅の譬え」や信解品第四の「長者窮子の譬え」では、「量の低い信徒に対して強引に高度な教えを説くべきではない」という思想が見られる。強引で荒っぽい導を否定し、生徒に合わせたきめ細やかな導を肯定するのが法華経である。

相手によって姿を変える

釈迦牟尼は、相手の知識量や性格を見極め、相手によって教える内容を変えている」という教義がさらに発展して、「菩薩は、相手の知識量や性格を見極め、相手によって姿を変えて布教をする」と説かれることもある。

子受記品第八や妙音菩薩品第二十四や観世音菩薩普門品第二十五(観音経)でそうした教えが説かれている。

他宗派への寛容性

釈迦牟尼は相手によって教えを変えつつ、相手を仏陀の智に到達させるように尽している」というのだから、そこから他宗への寛容性が生まれることになる。

菩薩を多く抱える大乗仏教教団が、聞を多く抱える小乗仏教教団を見たとき、「かつて無知な者に対して釈迦牟尼が四諦説を説いており、その教えが生き続けている」と考え、「あの宗が堅持する教義も、釈迦牟尼が教えたのだ」と肯定的に見て、寛容の態度を示す。こういう考え方を生むのが法華経である。

仏陀は入滅しない」という経典を信奉する教団が、「仏陀は入滅する」という経典を信奉する教団を見たとき、「かつて怠け者に対して釈迦牟尼が『仏陀は入滅する』と説いており、その教えが生き続けている」と考え、「あの宗が堅持する経典も、釈迦牟尼が教えたのだ」と肯定的に見て、寛容の態度を示す。こういう考え方を生むのが法華経である。

法華経の脅迫条項

「法華経を信奉する者を迫害すると因果応報で報いを受ける」という文章がある

法師品第十において「法華経を信奉する者を迫することは、重大な悪行である」とられ、譬喩品第三や常不軽菩薩品第二十や普賢菩薩勧発品第二十八において「法華経を信奉する者を迫するものは、その悪行によって因果応報の報いを受ける」とられている。

「信仰を否定することは悪行であり、信仰を否定する者は地獄に落ちる」という脅迫文を教典に挿入することは様々な宗教で見られることだが、法華経も例外ではない。

法華経の脅迫条項に関する2つの解釈

法華経の脅迫条項は2通りに解釈することができ、どちらの解釈も有である。

1つは、「法華経の信奉者に対する迫を抑制するために、者への脅迫として書かれた」と解釈するものである。

もう1つは、「法華経の布教者に対して『相手の知識の様子をしっかり把握して相手によって教えを変えるべきだ』と思わせるために、布教者に対する警告文として書かれた」というものである。

後者の解釈を持つ人は、「無知な人にいきなり法華経を布教すると、その無知な人が『法華経を信奉する人を迫する者』になって自動的に地獄に落ちてしまう可性がある。そうした事態は避けるべきだ」と考え、「相手の知識の様子をしっかり把握して、相手が無知ならいきなり法華経を教えず、聞向けの四諦説や独覚向けの十二因縁説を教えておこう」と考える。つまり、法華経の方便品を忠実に再現するようになる。

法華経の脅迫条項を兵器として使うことの問題点

「法華経の脅迫条項は、法華経の信奉者に対する迫を抑制するために、迫者への脅迫文として書かれた」と解釈する人の中には、サディスティックな人がいる。

そういう人は「気に入らない人がいたら、敢えてその人に法華経を布教してやろう。その人が『法華経を信奉する人を迫する者』になれば、その人は自動的に地獄に落ちる」という考えを持つ傾向があり、「気に入らない人を地獄叩き落とすための兵器」として法華経を使う傾向がある。

法華経の全体において「多くの人々を救済する菩薩になれ」と説かれているので、「気に入らない人を地獄叩き落とすための兵器」として法華経を使うのは法華経の理念に反していると言える。

法華経を信奉する教団が迫害を受けてきたことを感じさせる

譬喩品第三や普賢菩薩勧発品第二十八における「法華経の信奉者を迫する者は地獄に落ちる」という脅迫文は、かなりな文章になっている。また、勧持品第十三常不軽菩薩品第二十では迫の様子が生々しく描写されている。これらの文章は、「迫を実際に経験した者が書いたのではないか」と思わせるような迫真性のある文章である。

さらに、法師品第十や安楽行品第十四では「法華経はまだ多くの人に受け入れられていない」と書かれている。

法華経を読むと「法華経を信奉する教団は弱小の教団で、相当な迫を受けてきたのではないか」との推測を持つことができる。渡辺は「『法華経』がインドの正常社会においてではなく、特殊の環境で発生したかも知れないという可性さえも出てくる」と述べている[10]岩本裕は「(法師品第十における)この一節は勧持品第十三における『法華経』の信者に対する迫の数々の記事とならんで、『法華経』を生み出した教団ないし宗が弱小であって、さまざまな迫にさらされていた事実を暴露するものである」と述べている[11]

法華経の特徴

インドの既存宗教で神格化された存在が聴衆に加わっている

釈迦牟尼が王舎に近い霊山(りょうじゅせん)におり、そこに実に様々な生物が集まってきていて、そうした状況で釈迦牟尼がお話をする、というのが法華経の設定である。

集まってきているのは、出僧や在信者国王といった人間だけではなく、神様天子)や悪魔)や竜王といった面々も集まっている。「インドの既存の宗教格化された存在も釈迦牟尼を尊んでいる」として、インドの既存の宗教信者を取り込む狙いがあるものと思われる。

ただし、集会の中で発言をする者は出僧がほとんどである。例外は化喩品第七と羅尼品第二十六だけである。化喩品第七では梵天釈迦牟尼に教えを請う。羅尼品第二十六では毘沙門天と持羅刹女10名が羅尼を贈る。

列挙癖

インド特有の列挙義・分類[12]が経典の全般に見受けられ、似たような表現を集めて列挙することが非常に多い。

誇張癖

1200人の聞がいる」「8万人の法者がいる」「竜王が8人いて、その8人の従者として幾千万億のがいる」「ガンジス川の数ほどの大量の仏陀がいる」などと、数をやたらと多く誇する。大量の数字を見ると人は何やら安心感を感じるものであるが、そうした効果を狙っているのであろう。

教義の公然性

法華経は、釈迦牟尼の説く教えを聴く人々の数を非常に大きい数字にすることで、教義の然性の高さを印づける経典になっている。「ごく少数の限られた信者に対して教祖がこっそりと説法をする」という秘密義の経典ではない。

釈迦牟尼の説く教えを聴く人々の数を非常に大きい数字にすることで、法華経を布教する僧侶に対して「釈迦牟尼のように多くの人に説くべきであり、決して秘密義になってはならない」という暗示を与える効果がある。

奇蹟を描写して読者に娯楽を与える

釈迦牟尼が念じると様々なが舞い散り、地震が起こった」「釈迦牟尼間から閃光が放たれて世界を照らした」「中にが出現した」という奇蹟が描かれている。マンガテレビ何もない時代に作られた経典なので、こうした奇蹟を経典の中に入れて人々に想像の楽しみを与えていたものと思われる。

現世利益を説くことが多い

法華経は、様々な箇所で現世利益を説く経典である。現世利益というのは「この経典を信奉すると、この世で利益を得られる」と説くことである。

随喜功徳品第十八、法師功徳品第十九、薬王菩薩本事品第二十三観世音菩薩普門品第二十五、羅尼品第二十六、普賢菩薩勧発品第二十八で現世利益が説かれている。この中で最も有名なものは観世音菩薩普門品である。

観世音菩薩普門品ではかなりなことを言っている。「高い山から突き落とされても観世音菩薩を心に念じれば虚にとどまる」というものである。これはさすがに理というものだろう。

現世利益を説くことは宗教家にとって勇気が必要である。現世利益の経典を作ってしまうと信者の間で「経典を信奉したのに、全然、御利益がやってこないじゃないか」という不満が溜まりやすく、信者が離れる原因になりやすい。このため慎重な宗教家はできる限り現世利益を説かないのであるが、法華経を編纂した者は思いきって現世利益を書いている。

逆に言うと、法華経に現世利益の記述が多いことから、法華経の編纂者が「法華経は偉大な経典であり、大人気の経典になるだろう」という確信を持っていたことと「過剰に現世利益を説いて信者の期待をすこしばかり裏切ったとしても、信者が離れることがないだろう」という楽観を得ていたことがうかがわれる。

男女平等と男尊女卑の両方が存在する

法華経は「男女平等の経典」と表現できるし、「男尊女卑が残っている経典」とも表現できる。

法華経において提姿達多品第十二や勧持品第十三で「女性成仏できる」とはっきり記述されており、法華経が男女平等を支持する経典であることがわかる。

しかし一方で、法華経の中のいくつかの箇所で「仏国土には女性がいない」という記述がある。

薬王菩薩本事品において日浄明徳仏国土が紹介されているが、その仏国土は女性がおらず穏だったという[13]。五子受記品第八で仏国土が紹介されているが「女性がいない」と書かれているし[14]観世音菩薩普門品極楽浄土紹介されているが「極楽浄土には女性が生まれない」と書かれている[15]

また、薬王菩薩本事品において「薬王菩薩本事品を聴いて心にとどめた女性は、この世が女性として最後の生涯となるであろう」と記述されている[16]。これも女性差別をはっきり示す文章である。

ゴータマ・シッダールタは、原始仏教教団宰するときに尼僧に対する男性僧に対するよりも厳しくしているし、女性に対して厳しい言葉を並べているし、「尼僧が多いと教団の純潔が保たれずに乱れる」という言葉を残している[17]

ゴータマ・シッダールタが入滅してから相当に時間が経ち、法華経が編纂され、提姿達多品第十二や勧持品第十三で「女性成仏できる」とまでられるようになった。しかし、まだゴータマ・シッダールタの遺が法華経を編纂した仏教教団に残っていたことが薬王菩薩本事品などからうかがうことができる。

ちなみに、譬喩品第三や授記品第六で紹介される仏国土は「女性がいない」と書かれていないので、法華経において女性差別が一貫しているわけではない。

回向の思想を持たず個人主義を徹底する

仏教徒の中には回向(えこう)exitの思想を支持する人がいる。「Aが善行をして功徳を得て、Aがその功徳をBに与えることで、Bを仏陀にさせることができる」という考え方である。この回向という概念日本仏教に取り入れられ、先祖供養の口実の1つになった。日本仏教では「読経をして功徳を得て、その功徳を御先祖様に回向して、御先祖様を成仏させましょう」と説かれることが多い。

回向の思想を支持する仏教徒の一部は、法華経の化喩品第七における「願以功徳 普及一切 衆生 皆共成」「願わくはこの功徳をもって普(あまね)く一切に及ぼし、われ等と衆生と皆、共にを成ぜん)」という文章[18]を回向文にする。

しかし、法華経では「善行をしておらず功徳を積み上げていない者が、かから功徳を回向してもらって、回向された功徳によって成仏する」と説かれることがい。

法華経が回向を支持する経典なら1回くらいは「善行をしておらず功徳を積み上げていない者が、かから功徳を回向してもらって、回向された功徳によって成仏する」と説くはずだが、そういう説法が法華経には出てこないのである。

法華経では「極めて多くの人に智を広めるなどの善行をして功徳を積み上げた者が、仏陀になる」と説かれている。つまり「Aが善行をして功徳を得て、Aが仏陀になる」と説いている。

法華経では、「AがBに智を広めると、Aの功徳が積み上がりAは成仏できる。Bは智を得るので善行をしやすくなり、功徳を積みやすくなり、仏陀に近づく」という表現が繰り返され、智拡散ということが推奨される。ここで注意すべきなのは、法華経において「Bは善行を積んでいないのにもかかわらずAから与えられた功徳で成仏する」と説かれることがなく「BはAから与えられた智を大事に守りその智を発揮するなどの善行をして成仏する」と説かれるばかりである、ということである。


回向の思想は、「Aの運命を決定するのはAの行動であるが、Bの行動がAの運命を決定することがあり得る」という考え方であり、「AとBが団体を組んで功徳を共有している」と考える思想であり、一言で言うと団体義である。

一方で法華経は、「Aの運命を決定するのはAの行動であり、それ以外の要素は存在しない。Bの行動がAの運命を決定することがあり得ない」という考え方が濃厚であり、「AとBがそれぞれ独立した個人になっていて功徳を別個に管理している」と考える思想であり、一言で言うと個人義である。


回向の思想からは「が功徳を積んでその功徳を子に贈ることで、善行を積んでいない子ども成仏させることができる」という思想が導かれる。この思想は「爵位世襲」とか世襲貴族制度を連想させるものである。そのため、世襲貴族制度を維持しているでは、回向の思想が支持されやすい。

一方、法華経からは「は功徳を積んで成仏することができるが、それは子ども成仏することに直結しない。子ども成仏するかどうかは子どもの行いによる」という思想が導かれる。後者の思想は「爵位・栄典は一代限り」とか一代貴族制度exit・一代栄典制度を連想させるものである。そのため、一代貴族制度・一代栄典制度を維持しているでは、法華経が支持されやすい。

ちなみに余談であるが、2022年現在日本は、世襲貴族制度のとも言えるし、一代栄典制度のとも言える。2022年現在日本の議員から子の議員へ税で資産を移転させることが非常に簡単なであり[19]世襲議員が非常に多いであり、実質的に世襲貴族制度のとなっている。しかし一方で日本国憲法第14条第3項において「栄典の授与は、現にこれを有し、又は将来これを受ける者の一代に限り、その効を有する。」と定められていて一代栄典制度が維持されている。


以上のことを表にまとめると次のようになる。

回向の思想 法華経
功徳の移転 認める 認めない
成仏の条件 全く善行を積んでいない者も、他者から与えられた功徳によって成仏できる 全く善行を積んでいない者は成仏できない。善行を積めば成仏できる
一言で言うとどうか 団体義。自分と他者が1つの団体を形成し、功徳を共有する 個人義。自分と他者はそれぞれ独立した個人であり、功徳を共有していない
と子の関係についての思想がどのようなものになるか が功徳を積んでその功徳を子に贈ることで、善行を積んでいない子ども成仏させることができる は功徳を積んで成仏することができるが、それは子ども成仏することに直結しない。子ども成仏するかどうかは子どもの行いによる
親和性の高い社会制度 世襲貴族制爵位世襲を認める) 一代貴族制爵位は一代限り)、一代栄典制(栄典は一代限り)

責任主義

法華経では「悪い行いをする者は報いを受ける」といった考え方をする。つまり「Aの行動でAが報いを受ける」と説いており、個人責任底的に追及する世界である。

一方、キリスト教では「アダムイヴが知恵の実を食べたので原罪が発生し、その原罪が子孫に受け継がれていて、子孫も原罪を理由として報いを受ける運命にある」という教義が説かれる。これは「Aの行動でBが報いを受ける」という考え方で、AとBが連帯責任を負うという考え方である。

刑法学の言い回しをすると、「法華経の考え方は個人責任を重んずるもので責任主義exitである」となり、「キリスト教の『アダムイヴ原罪が子孫に移転する』は、連帯責任を重んずるもので結果義である」となる。

責任義を採用するでは、刑法の分野において連座・縁座が全に止され、犯罪事件について故意も過失もない人が連座・縁座で罰せられることがなく、個人の自由が尊重される。一方で結果義を採用するでは、刑法の分野において連座・縁座が導入され、犯罪事件について故意も過失もない人が連座・縁座で罰せられることがあり、個人の自由が抑圧される。

一般的には、「責任義は近代的・現代的であり、結果義は封建的・中世的である」とされる。

「身代わりで罰を受ける」という思想がない

法華経では「菩薩が罪人の身代わりとして刑罰を受けて罪人を助ける」というような情が説かれることがない。

一方、キリスト教では「イエス・キリスト原罪を負って死んだから、全人類は清められて原罪の件について罰を受ける運命から解放された」という教義を説き、「イエス・キリストが罪人の身代わりとして刑罰を受けて罪人を助けた」と説く。

知恵を尊ぶ

法華経では「仏陀とは、広大な智を持つ人のことである」と定義される。また法華経において「すべての苦の原因は明(無知)であるので、知恵を付ければ苦から解放される」という十二因縁説も「仏陀の方便である」としつつ肯定している。このため法華経は知恵を尊ぶ経典であり、知恵を付けようとする人を叱り飛ばすような描写が出てこない経典である。

一方、キリスト教ユダヤ教イスラム教典と扱う旧約聖書では、創世記で「アダムイヴは知恵の実を食べて知恵を身につけたので原罪が発生し、絶対に叱られた」と説いている。こちらは知恵を付けようとする人を叱り飛ばすような描写が出てくる経典である。

知恵をどのように扱うかという点において、法華経と旧約聖書は対照的である。

「南無妙法蓮華経と唱えましょう」という記述がない

日蓮と法華経を尊崇する日蓮教団には「南無妙法蓮華経と唱えましょう、その行為をお題といいます」という教義があるのだが、そうした教義は法華経に載っているわけではない。妙法蓮華経の中には「南無妙法蓮華経」という記述がない。

ちなみに、妙法蓮華経の方便品第二には「南」という記述が存在し、如来品第二十一には「南釈迦牟尼」という記述が存在し、観世音菩薩普門品第二十五(観音経)には「南観世音菩薩」という記述が存在する。

霊という言葉を全く使わない

法華経の訳経典の中で最も人気がある『妙法蓮華経』では、霊という漢字や霊・霊言・霊界といった熟が全く出てこない。

法華経を編纂した古代インド人は、霊という概念を持っていなかったようである。法華経からは「生き物は死んだらすぐに転生する」という思想を感じ取ることができる。

一方で日本人は霊という概念を素直に信じる傾向がある。日本人は「生き物は、死んだらとりあえずになり、しばらく霊のままでそこらへんにいるのであって、すぐに転生するわけではない」という思想を持つ傾向が強い。

日本仏教界では霊という概念を受け入れるかどうかで対応が分かれている(記事exit)。インドで作られた経典には霊概念がないのだが日本人は霊概念を好むので、日本仏教僧は決断を迫られることになる。

法華経を重視する日本仏教僧の中には、霊という漢字やそれを用いた熟を使うことを避ける人がいる。

仏陀が罰を与える情景が出てこない

法華経においては仏陀かに罰を与える情が全く出てこない。

世の中には仏罰という言葉がある。この言葉に対しては「仏陀が与える罰」という定義と「仏陀が与える罰ではなく、悪行を行ったものが因果応報として受ける過酷な報い」という定義があるのだが、『岩波国語辞典 第七版 新版』や『明鏡国語辞典 初版』や『三省堂国語辞典 第七版』では前者の定義のみを掲載している。

仏罰という言葉を「仏陀が与える罰」という定義で使う場合、「法華経においては仏罰が全く出てこない」と表現することができる。

仏陀が因果応報という自然法則をねじ曲げる情景が出てこない

法華経において「法華経を信奉する者を迫すると、その悪行により、因果応報という自然法則で報いを受ける」という文章が繰り返し出現する。

そして法華経において「法華経を信奉する者を迫した者に対して、仏陀があわれんで、因果応報という自然法則をねじ曲げて、報いを受けないようにしてあげる」と言う情が出てくることがない。

仏陀というのは世界創造ではないので、自然法則をねじ曲げることができない。悪行を行った者が報いを受けないように因果応報という自然法則をねじ曲げることは、仏陀でさえも行うことができない」という思想がある。

妙法蓮華経の構成

全28品で構成される

妙法蓮華経では章のことを品と呼び、ホンとかボンと読む。妙法蓮華経は全28品で構成されている。

一方、サッダルマ・プンダリーカと正法華経と添品妙法蓮華経はいずれも全27品であり、妙法蓮華経の見宝塔品第十一にあたる部分と妙法蓮華経の提姿達多品第十二にあたる部分を合体させて1つの品にしている。

迹門と本門

妙法蓮華経の研究における第一人者は中国天台宗の智顗である。その智顗は、序品第一から安楽行品第十四まで前半14品を門(じゃくもん)として、従地涌出品第十五から普賢菩薩勧発品第二十八まで後半14品を本門とした。

門と本門を同じように扱うのを本一致論と呼び、門よりも本門を重視するのを本勝劣論という。日本天台宗は本一致論を支持していて、日蓮教団一致派exit勝劣派exitに分かれている。

前半14品の門で最重視されることが多いのが方便品で、後半14品の本門で最重視されることが多いのが如来寿量品である。

布施浩岳の分類

日本仏教学者の布施浩岳は、サンスクリット語原典のサッダルマ・プンダリーカを分析し、その内容に従って妙法蓮華経の各品を次のように分類した。

第1グループ 10品 序品第一から授学学人記品第九まで、随喜功徳品第十八
第2グループ 10品 法師品第十から見宝塔品第十一まで、勧持品第十三から分別功徳品第十七まで、法師功徳品第十九から如来品第二十一まで
第3グループ 8品 提姿達多品第十二、嘱累品第二十二から普賢菩薩勧発品第二十八まで

そして、第1グループの偈頌(韻を踏んだ部分)が紀元前1世紀に成立し、第1グループの長行(散文の部分)が紀元後1世紀に成立し、第2グループが紀元後100年前後に成立し、第3グループが紀元後150年に成立したと結論している[20]

実際に、法師品第十から法華経の雰囲気が変わっており、見宝塔品第十一では法華経の設定自体が大きく変わっている。

妙法蓮華経の解説

目次

序品第一

釈迦牟尼が王舎に近い霊山(りょうじゅせん)におり、そこに実に様々な生物が集まってきている

釈迦牟尼間からが放たれて、地獄の様子もはっきり見えたし、仏陀がいるような極楽の場所もはっきり見えた。このことは「人は地獄のような状況をしっかり撃してそれに対処しなければならない」という教訓を人々に与えるものである。世の中には「地獄のような状況を撃せず、そういうことを撃しそうになったらせて、見なかったことにして、楽天的な気分を維持しよう」と教える人がいるが[21]、そういう生き方と正反対の生き方をするのが妙法蓮華経の釈迦牟尼である。

文殊菩薩弥勒菩薩に向かって「自分ははるか昔に日燈明が妙法蓮華経をったのを見たことがある。そのときの状況と全く同じである」とシーンがある。これにより妙法蓮華経が永久不滅の思想であることを強調している。

はるか昔に日燈明が現れ、その次に同じ名前の日燈明が現れ、その次に同じ名前の日燈明が現れ、それが2万回繰り返されたという。これは、太陽が出現して地平線の彼方へ沈んでいく現が全く同じように繰り返されることを連想させるものである。つまり、日燈明太陽擬人化と解釈できる。

最後に出現した日燈明が法華経を教えた。妙菩薩は日燈明に教えられた法華経を信奉し、教団の中心的存在として法華経を布教した。妙菩薩子の中には、名誉や利益ばかりめて忘れっぽい菩薩がいた。妙菩薩はのちに文殊菩薩転生したが、日燈明が法華経を教えたときのことをしっかり憶えていた。一方で菩薩はのちに弥勒菩薩転生したが、日燈明が法華経を教えたときのことを全に忘れていた。

菩薩菩薩の話は、法華経を信奉する信者たちへの警告として挿入されたものと推測される。「どれだけ優れた教えでも、それを記憶し続ける人がいるし、忘れ去る人もいる」ということを示し、「菩薩弥勒菩薩)のように法華経を忘れてしまってはいけない」という危機感を信者たちに与える的があったのだろう。

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方便品第二

方便品の記事を参照のこと。方便品如来寿量品第十六とともに法華経の二大中心をなす教義的に極めて重要な品である[22]

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譬喩品第三

釈迦牟尼聞の舎利に対して「将来において仏陀になるであろう」と予言する。そして舎利の懇請を受けた釈迦牟尼が「三火宅の譬え」とも「火宅の譬え」とも「三の譬え」ともいわれるたとえ話を始める。

法華経の中で出現する7つのたとえ話を法華七喩exitという。法華経教団がたとえ話を好んだのはいくつかの理由が考えられる。「『たとえ話をした方が布教しやすい』という実体験を得ていたから」という理由や、「思想・良心の自由を行使して自由に解釈し、表現の自由を行使してたとえ話を外部に表明することの重要性を示すため」という理由が考えられる。

保守的で閉鎖的な教団は、教義の変容を嫌う傾向があり、教義を勝手に解釈して自作のたとえ話を行う僧侶を弾圧する傾向にあり、思想・良心の自由表現の自由を抑圧する傾向にある。

「三火宅の譬え」からは、「法華経を信奉する教団が、強引な布教を好まず、相手に合わせて手段を変えて布教する方法を好んでいて、穏健な体質を持っている」ということをうかがうことができる。

この品の終盤において、「法華経を信奉する者を迫するものは地獄に落ちる」とられている。

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信解品第四

須菩提や摩訶旃延や摩訶葉や摩訶犍連といった聞たちが同時に釈迦牟尼に話しかけ、「長者窮子の譬え」といわれるたとえ話をする。彼ら4人はいずれも聞で、十大弟子exitの構成員であり、原始仏教の高僧というべき存在である。

長者窮子の譬え」からも、「法華経を信奉する教団が、強引な布教を好まず、相手に合わせて手段を変えて布教する方法を好んでいて、穏健な体質を持っている」ということをうかがうことができる。

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薬草喩品第五

釈迦牟尼が「三二木の譬え」とか「の譬え」といわれるたとえ話をする。

サンスクリット語原典の『オサディ)』や正法華経の『品第五』や添品妙法蓮華経の『喩品第五』には盲目病人で治療する医者のたとえ話が書かれているが、妙法蓮華経にはそのたとえ話が記されていない。妙法蓮華経の7つのたとえ話をまとめた法七喩の中にも「盲目病人で治療する医者のたとえ話」が入っていない。

「三二木の譬え」は農学の知識を用いて作られており、「盲目病人で治療する医者のたとえ話」は医学の知識を用いて作られている。いずれのたとえ話も理系の知識を用いて作られている。

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授記品第六

釈迦牟尼が須菩提や摩訶旃延や摩訶葉や摩訶犍連といった4人の聞たちに対して次々と「将来において仏陀になるであろう」と予言する。

釈迦牟尼菩薩に対して「来世において仏陀になるであろう」と予言することは他の経典でも行われていて決してしいことではない。しかし釈迦牟尼聞に対して「来世において仏陀になるであろう」と予言することは法華経の他に類例を見ないものであり、法華経の特色と言える[23]

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化城喩品第七

はるか昔に大通智勝が現れた。大通智勝が統治する仏国土の東・南東・南・南西・西・北西・北・北東・上・下の10方向の場所で、数多くの梵天ブラマンインド)の宮殿いた。梵天たちは不思議に思ったが、大通智勝が出現したことを知り、大通智勝のところに行って宮殿を贈与し、大通智勝に対して教えを説くように懇請した。

その懇請を受けて大通智勝は四諦説と十二因縁説を説いた。そして大通智勝の16人の王子が出して菩薩になったあと、大通智勝は法華経を説いた。

16人の王子は全て仏陀になった。そのうち1人が釈迦牟尼である。大通智勝が統治する仏国土からみて東・南東・南・南西・西・北西・北・北東の8方向にそれぞれ2名ずつ、合計で16名の仏陀が配置されている。西にがいて、東にがいて、北東に釈迦牟尼がいる。

大通智勝の16王子は16になったのであるが、そのうち有名なものは西のと、東のと、北東の釈迦牟尼であり、それ以外の仏陀はあまり有名ではない[24]。東と西の仏陀が有名になったことは「古代インド人は東と西という方角に特別なものを感じていた」という推定を導くものである。

地球上のどこでも、太陽は東から昇って西に沈む。このため古代インド人が東と西という方角に特別なものを感じていたとしても、まったく不思議ではない。

釈迦牟尼は大通智勝から受け継いだ法華経で幾千万億もの人々を教化したが、その人々は転生して、今現在、王舎に近い霊山にいる釈迦牟尼を取り囲んで、釈迦牟尼から法華経を聴いている。

喩品第七は、「前世で釈迦牟尼から法華経を教えられた人々が、今世においても釈迦牟尼から法華経を教えられるに至った」と説く内容である。人々に対して「転生した来世においても法華経の教えを受けることができる」と暗示して法華経への信仰心を強めさせる内容になっている。

この品の終盤では釈迦牟尼が「化の譬え」といわれるたとえ話をする。このたとえ話では宝物が満ちあふれる土地へ旅行しようとする人々が描写される。

この品の序盤や中盤では「東・南東・南・南西・西・北西・北・北東・上・下の10方向」などとって読者方角の感覚を持つように誘導し、この品の終盤では旅行者たちの姿をっている。これらを合わせると、「地理学の感覚を持つ人物や旅行を経験した人物が化喩品第七を作った」という事情を推測することができる。

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五百弟子受記品第八

釈迦牟尼が富楼那弥多羅尼子に対して「将来において仏陀になるであろう」と予言する。

富楼那弥多羅尼子は十大弟子exitの中の1人であり、聞とされるが、十大子の中で最も弁舌が巧みであり、教えを説くことが上手かった。つまり、聞とされるが実質的に菩薩というべき僧侶だった。このため「釈迦牟尼以外には、富楼那弥多羅尼子をえる存在が存在しない」とまで賞賛されている。須菩提や摩訶旃延や摩訶葉や摩訶犍連に対する賞賛よりも、富楼那弥多羅尼子に対する賞賛の方がずっと重々しいものになっている。

釈迦牟尼は「富楼那弥多羅尼子は、過去に多くの仏陀に従って教えを説いてきた」と言っている。舎利や須菩提や摩訶旃延や摩訶葉や摩訶犍連に対してはそのようなことを言っていなかったことに注したい。

この品では「菩薩は、聞や独覚に変化して、四諦説や十二因縁説という聞や独覚の教えを広めることがある」という記述が見られる[25]妙音菩薩品第二十四や観世音菩薩普門品第二十五でも同じような記述が出現するのだが、この五子受記品第八の方が先に成立していたとされる[26]。「菩薩が変化して説法をする話の原は五子受記品第八である」と認識してよさそうである。もちろん、「富楼那弥多羅尼子は、実際は菩薩なのだが、あえて聞に変化して教えを説いている」ということを暗示している。

富楼那弥多羅尼子への予言が終わったら、その次は1,200人の阿羅漢に対して「将来において仏陀になるであろう」と予言する。序品第一で「釈迦牟尼は1,200人の阿羅漢に囲まれている」と記述されているので、その場にいる阿羅漢全員が予言を受ける。ちなみに、ここでの阿羅漢とは聞のことである。

この品の名前は「千二子受記品第八」としても良さそうなものだが、しかし、「五子受記品第八」という名になっている。

「1,200人のなかの500人は、その全員が将来において普明という名前仏陀になる。その500人は、いっぺんに仏陀になるのではなく、1人1人が順番に仏陀になる」と予言されている。700人はそれぞれ別個の名前であるのに、500人の全員が普明という名前になるという。サンスクリット語原典においては「500人がサマンタ・プラバーサ(あまねく)という名の仏陀になる」と予言されている。

この普明は、太陽擬人化といえる。太陽あまね球であり、全く同じ姿で東の地平線から出現して西の地平線に沈んでいくことを毎日繰り返している。500人の普明あまねく存在であり、全く同じ名前で出現して入滅することを繰り返すことになる。

将来において普明になることを予言された500人の聞は、「衣裏繋珠の譬え」「衣の裏の宝珠の譬え」といわれるたとえ話をする。

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授学無学人記品第九

釈迦牟尼難と羅睺羅に対して「将来において仏陀になるであろう」と予言する。

難と羅睺羅はどちらも十大子の構成員であるが、難は釈迦牟尼とされるゴータマ・シッダールタの30歳ほど年下とされていて、羅睺羅はゴータマ・シッダールタ16歳ほど年下とされている。2人とも原始仏教教団の中では若手の部類に入るので、「将来において仏陀になる」という予言を受けるのが遅れる事になった。

難はゴータマ・シッダールタ従兄弟であり、ゴータマ・シッダールタにぴったりと従って教えを聴いて教えを記憶する存在である。羅睺羅はゴータマ・シッダールタの実の息子である。この品でもそのように紹介されている。

釈迦牟尼は「自分と難は、過去世においてのもとにいたことがあり、同時に『仏陀になろう』と思い立った」とり、続いて「自分は勇気を出して努したが、難は多く聴くことに専念していた。そのため自分が先に仏陀になり、難は仏陀になることが遅れた」とっている。「法華経は『聴くだけ・学ぶだけ』という姿勢の僧侶を低く評価して『勇気を出して積極的に教えを広めよう』という姿勢の僧侶を高くする経典である」ということを再確認できる。

ただし、釈迦牟尼は「難は多く聴くことによって教えを記録し、菩薩に対して貢献した」と賞賛しており、「聴くだけ・学ぶだけ」という姿勢の僧侶を否定する態度を取らない。「法華経は、教えることを苦手とする小乗仏教に対して融和的な態度を取る経典である」ということを再確認できる。

さらに釈迦牟尼は、2,000人の聞に対しても「将来において仏陀になるであろう」と予言する。2,000人の聞の中には、有学の聞と学の聞が混じっている。序品第一においても「2,000人の聞がいて、有学の聞と学の聞が混じっている」と書いてあるので、褄が合っている。

有学の聞は、学ぶべき余地がある聞で、阿羅漢称号を得ておらず、まだ未熟な聞である。学の聞は、学ぶべき余地がない聞で、阿羅漢称号を得ていて、完成の域に達した聞である。有学の聞という未熟な存在にも「将来において仏陀になるであろう」と予言することは、法華経の階級意識の薄さや等意識の強さを表すものである。

ちなみに難は有学(未熟な聞)の代表格で、羅睺羅は学(完成された聞)の代表格である。

2,000人の聞が将来において仏陀になるが、2,000人全てが同時に宝相(宝玉のきの王者のような仏陀)になるという。先ほどの500人の聞が1人ずつ順番に普明になると予言されたこととは対照的である。「2,000人全てが同時に宝相になる」という予言は、「宝物がこの世に豊富に満ちる」という情を連想させるので、法華経の信者満足させる効果があると思われる。

ただし、2,000人の聞が将来において同時に宝相になるが、その寿命は極端に短く、たったの1劫だという。難や羅睺羅が「量千万億の劫の寿命を持つ仏陀になる」と予言されたこととべると、宝相寿命の短さが印的である。宝相寿命の短さは、「宝物というものは、錆びたり欠けたりするもので、長続きせず、寿命が短い」という現実を暗示するものといえる。また、法華経の信奉者に「宝物を追いめるようではいけない。難のように知識を追いめるようになるべきだ」と示唆する意味もあるのだろう。

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法師品第十

この法師品第十から法華経の雰囲気が変わる。授学学人記品第九までは聞を相手にする説法だったが、法師品第十からは菩薩を相手にする説法が増える。法師品第十における聴き手は菩薩である。

この品では「法華経をほんのすこしありがたいと思っただけでも仏陀になることができる」などと説かれている。方便品第二における小善成仏をさらに拡大させたような教えになっている。

「法華経を信奉する者を迫することは、重大な悪行である」とられ、「法華経はまだ全ての人々に受け入れられていない」とられ、「法華経をみだりに布教してはならない」とられ、「迫されても耐えべ」とられている。法華経を信奉する教団が弱小で迫に悩まされていたことを示しているとも受け取ることができるし、授学学人記品第九までのように「無知なものには四諦説や十二因縁説を授けて聞や独覚にさせ、智を得たものに法華経を教えるべきだ」という教えを繰り返したに過ぎないと受け取ることもできる。

「法華経を信奉する人は、転生先の世界を選べるほどの功徳を得ている。苦労のない界に転生して生活することができるのに、あえて苦労の多い現世に転生して法華経を布教している」と述べられている。これはかなりの「身内誉め」と解釈できるが、「楽なところに安住せず、苦労を耐えんで積極果敢に布教せよ」と励する意味も含まれているのだろう。企業の営業部において上が「既存の顧客に対する御用聞きに安住せず、新規顧客を開拓せよ」と発破をかけることと一脈通じるところがある。

菩薩には、法華経を信奉しない菩薩と、法華経を信奉する菩薩がいる」と説かれている。法華経を信奉しない菩薩とは、相手の知識の量を観察せずに全ての相手に対して画一的な教えをする菩薩のことと解釈できる。授学学人記品第九までの法華経では「相手の知識量によって教えを変えるべきだ。無知なものには四諦説や十二因縁説を教えるべきだ」と繰り返しているからである。

ちなみに法華経を信奉しない菩薩のことを「新発意(しんぽっち)の菩薩」と呼んでいる。方便品の序盤にて「新発意の菩薩仏陀の智を知ることができない」と書かれており、菩薩の中でも低く見られる存在である。

釈迦牟尼が、めて土を掘る人のたとえ話をしている。これを「高原穿鑒の譬え」とか「高原の譬え」という。法華七喩のWikipedia記事exitは「高原穿鑒の譬え」を含めず「髻中明珠の譬え」を含んでいる。一方で坂本幸男は「法七喩とは『高原穿鑒の譬え』を含んで、『髻中明珠の譬え』を含まない」と述べている[27]

この品には「法最第一」「諸経の王」と法華経を褒めたたえる記述があり、法華経以外の経典を重視する教団を挑発する態度になっている。授学学人記品第九までは「法華経は素晴らしい」と誉めるだけであり、「他の経典にべて法華経は素晴らしい」という誉め方をしておらず、他の経典を信奉する教団を挑発していなかった。

鎌倉時代日本に出現した日蓮は、「念仏間、天魔言亡国賊」という四箇格言を説いて他の経典を信奉する教団を挑発したが、その行動は法師品第十の記述とよく似ている。

終盤において釈迦牟尼が「私は、法華経を広める菩薩の手助けをするだろう」と述べていて、観世音菩薩普門品第二十五(観音経)のようなことを述べている。授学学人記品第九までの釈迦牟尼はそういうことを述べていなかった。

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見宝塔品第十一

見宝塔品の記事を参照のこと。この品では法華経の設定が変更される。

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提姿達多品第十二

この品の前半において、釈迦牟尼が提姿達多に対して「将来において仏陀になるであろう」と予言する。

提姿達多はゴータマ・シッダールタ従兄弟とされる人物で、ゴータマ・シッダールタ教団に対して綱紀粛正を要したことで知られる。その綱紀粛正は「もっと貧しい暮らしをせよ。寄贈された建物に住まず、森林に住め。食事会に招待されても行かず、食物をもらうだけにせよ。寄贈された衣服を着ず、ボロ衣服を着ろ。牛乳バターを食べるな」というものだった[28]ゴータマ・シッダールタはこの要を拒否したのだが、それに対して提姿達多は子を連れてゴータマ・シッダールタ教団から分離したという。

このため提姿達多を「釈迦牟尼を与えようとする反逆者」として描写する仏教経典が多いが、法華経では「釈迦牟尼に法華経を教えるなる仙人」とか「釈迦牟尼神通を得る原因となったなる仙人」として提姿達多を描写していて、提姿達多を盛んに賞賛している。

提姿達多に対するこのような賛美は2通りの解釈をすることができる。1つは、「仏教教団に敵対する反逆者を褒めたたえることにより、『自らに敵対する宗教団体に対しても寛容で融和的であるべきだ』という気を法華経の信奉者たちに広めるためにそうした賛美をした」という解釈である。

もう1つは、「法華経を編纂する教団が弱小勢であり、正統的な仏教教団から異端と扱われる教団と仲良くせねばならないほどの窮地に追い込まれていて、提姿達多を信奉する宗教団体の支援を受けるために提姿達多を賛美した」という解釈である。

提姿達多を信奉する宗教団体はインド社会のなかに存在しており、5世紀の中国の法顕や7世紀の中国の玄奘が「インド旅行したときに提姿達多を信奉する宗教団体を見た」と記録している[29]

法華経の提姿達多品第十二では、仙人が国王に「法華経を教えてやるから自分の奴隷になって肉体労働をせよ」と言い、国王がその要に従って仙人の奴隷となってさまざまな肉体労働をしたという。そして、仙人が提姿達多に転生し、国王釈迦牟尼転生したという。こうした階級社会の否定は法華経らしいところである。

釈迦牟尼は「提姿達多が仏陀になってから入滅するときに、遺分割されないだろう」と予言している。ちなみに、ゴータマ・シッダールタが入滅して火葬されたあと、その遺が8つに分割されて8ヶ所の仏舎利で供養されている。このことに関しては2種類の解釈が成り立つ。1つは「提姿達多の宗教団体は仏教とは違うことを暗示している」という解釈である。もう1つは、「多宝が入滅した後に遺分割されなかった。その多宝見宝塔品釈迦牟尼の隣に並ぶほど釈迦牟尼との関係が良好である。ゆえに提姿達多も多宝と同じように釈迦牟尼と関係良好になるだろう」という解釈である。


この品の後半は、女の成仏についての話である。

多宝宰する仏国土からやってきた智積菩薩が「もといた仏国土に帰ろうと思います」と釈迦牟尼に言うが、釈迦牟尼が「文殊菩薩とお喋りしてから帰るがよい」と言う。

そのとき、海底の沙羯羅竜王の宮殿布教していた文殊菩薩が、蓮華に乗っかって海底から昇ってきた。文殊菩薩が智積菩薩挨拶して喋っていると、文殊菩薩が教えた菩薩や沙羯羅竜王の8歳のもついでに蓮華に乗っかって海底から昇ってきた。

文殊菩薩は、沙羯羅竜王の8歳のを「一悟りを開いた」と誉め称えた。智積菩薩は「8歳の幼童が一悟りを開けるわけがない」と信用しなかったし、聞の舎利も「女性五障exitがあって梵天帝釈天魔王・転輪王・仏陀になることができないはずだ」と言った。

それに対し、沙羯羅竜王の8歳のは、皆が見ている前で、女性器を消して男性器を生やして男性になって、一のうちに南方におもむき、仏陀になった。

この沙羯羅竜王の8歳のの話は、女性差別と若年者差別を打ち砕く性質を持つ話である。

法華経全体から発せられる等精からしても、女性成仏を認めるのが当然の帰結であった。しかし、法華経はまだ女性差別全撤する思想にいたっておらず、「女性がそのまま仏陀になる」とは記されず、「女性女性器を消して男性器を生やして男性になってから成仏する」という変成男子成仏だけが記されている。後世の注釈は法華経の本文を無視して「女性がそのまま仏陀になる」と論ずるようになった[30]

また、「若年者が短い時間であっという間に成長して、年配の自分を追い抜いていく」と恐怖して、その恐怖により過度に若年者を抑圧する者はしばしば見られる。体育会系部活動では年上が年下を強に抑圧することが多い。特に大学体育会系部活動では「1年奴隷・2年民・3年天皇・4年神様」と言われるような階級社会が形成されることがあるが、そういう階級社会を形成する原動は、若年者が自分を追い抜いていくことへの警感と恐怖心である。法華経の提姿達多品第十二では8歳の女が大人僧侶一気に追い抜いて仏陀になる様子が描かれており、年齢による階級社会を否定する内容になっている。

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勧持品第十三

品の冒頭で、菩薩と大楽説菩薩がともに「々は釈迦牟尼が入滅した後に、困難を耐えび、迫を甘受しながら、法華経を布教します」と宣言する。この宣言は、見宝塔品第十一の末尾において釈迦牟尼が「自分が入滅した後に法華経を布教するのは大変な難事だ」とっていたことに対応するものである。

このため「見宝塔品第十一と勧持品第十三が先に作られて、その後に提姿達多品第十二が作られて挿入された」という推測をすることができる。布施浩岳がそのように推測しているし[31]岩本裕は「この記事は『法華経』にあとから付け加えられた部分に見られるのであるが、元来は独立した経典であったと考えられている」と述べている[32]

菩薩と大楽説菩薩の宣言が終わったら、摩訶波闍波提が「自分に対して『将来に仏陀になる』という予言をしてほしい」と懇請する。その懇請に応じて、釈迦牟尼が予言する。

摩訶波闍波提はゴータマ・シッダールタ母親で、ゴータマ・シッダールタ叔母であり、幼少期のゴータマ・シッダールタを養育した女性である。ゴータマ・シッダールタが出した後に、摩訶波闍波提が「自分も出して仏教教団に参加したい」と懇請したが、ゴータマ・シッダールタは拒否した。しかし難のはからいもあり、摩訶波闍波提は史上初めての仏教の尼僧になった[33]難は摩訶波闍波提が仏教教団に入ることを手助けしたので、先輩僧侶に「罪深いことをした」と責められ、「自分はそう思わないが、先輩がそういうのなら、しかたがない」といった[34]。このような歴史を反映し、摩訶波闍波提が懇請した後に釈迦牟尼が「将来に仏陀になる」と予言をするという形式になっている。

摩訶波闍波提は「一切衆生喜見(一切の衆生の眼に快い)という名前仏陀になる」と予言された。「眼に快い」というのは、要するに、綺麗とか麗といった意味合いである。

そのあとの釈迦牟尼は、次々と尼僧に対して「将来に仏陀になる」と予言をする。ゴータマ・シッダールタが出していなかったころのゴータマ・シッダールタの妻で、ゴータマ・シッダールタが出した後に仏教教団に入った耶輸羅に対しても予言をする。その他、合計で1万人の尼僧に対して予言をする。

この品の終盤では、菩薩たちが「困難を耐えび、迫を甘受しながら、法華経を布教します」と宣言する。このときの迫の描写は生々しいものであり、法華経を編纂した教団が弱小勢だったことをうかがわせるものになっている。

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安楽行品第十四

この品では、菩薩に対してさまざまな規範を与えている。見宝塔品第十一や勧持品第十三でさんざん「法華経を布教するのは難事である」と言ったので、菩薩の中の新参者が恐れてしまう可性が出てきた。新参者菩薩に対して「こうしたことをしておけばうまく布教できる」と励ますため、文殊菩薩に質問された釈迦牟尼菩薩に対してさまざまな規範を与えている。

の思想を持ちつつ行動と交際の範囲を厳守し、②悪口を言わず、③嫉妬せず依怙贔屓せず、④人々を救済しようとする。これら4つの安楽行を実践すれば上手くいくと説いている。

①において交際の範囲が規定されている。「遊芸人格闘技の選手と交際するな」などと書かれており、法華経が編纂された古代インド生活を想像することができる。「狩猟業者や屠殺業者と交際するな」と書かれており、この当時の仏教教団食を忌避していたことをうかがわせる。

ちなみに、「遊芸人格闘技の選手や狩猟業者や屠殺業者と交際したら、地獄に落ちる」と言っているわけではなく、「遊芸人格闘技の選手や狩猟業者や屠殺業者と交際したら、うまく布教できなくなる」と言っているだけで、禁止の度合いがかなり緩やかであることに注すべきである。

原始仏教教団においてもシーラ)と(ヴィナヤ)があった。は個人的で自的な規範で、「殺生(を食べること)・偸盗・邪淫・妄・飲をするな、不適切な時間の飲食をするな、踊りや見せ物の見物をするな、化粧品や装飾品の使用をするな」などとによって定められたが、それを破ったとしても教団から処罰されるわけではなかった。一方では団体的で他的な規範で、「殺人をするな」などとによって定められ、それを破ると教団から処罰された[35]

宗教団体が食を忌避することは、「を殺するのは可哀相である」という動物愛護の精と、「冷蔵庫がないので、を食べることで食中毒を起こしやすく、危ない」という実利的な危機管理の精が混じり合ったものと解釈できる。逆に言うと、冷蔵庫が普及した現代において、食による食中毒の危険が減しているから、食忌避の規範が緩和されても不思議ではない。

この品の終盤では釈迦牟尼が「髻中明珠の譬え」といわれるたとえ話をする。法師品第十と同じように「法華経はまだ全ての人々に受け入れられていない」と釈迦牟尼が述べている。

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従地涌出品第十五

見宝塔品第十一で多宝分身釈迦牟尼分身とともに他の仏国土から娑婆世界にやってきた菩薩たちが「々も娑婆世界布教しましょう」と言った。それに対して釈迦牟尼は「それをする必要はない。娑婆世界には極めて多くの菩薩がいるからである」と述べた。

釈迦牟尼るやいなや、娑婆世界の地面が割れ、そこから大量の菩薩が飛びだしてきた。大量の菩薩は、娑婆世界大地の下にある中世界に住んでいたのである。大量の菩薩たちは、釈迦牟尼挨拶を交わし、しげに会話をした。

それを見た弥勒菩薩は「自分は娑婆世界を歩き回ったが、あの大量の菩薩を1人として知らない」と不思議に思い、釈迦牟尼に「あの大量の菩薩が教化したのですか」と尋ねた。

釈迦牟尼は「自分があの大量の菩薩を教化した」と答えた。それに対して弥勒菩薩は「釈迦牟尼が35歳成仏してから40余年しか経っていない。その短い期間で、どうしてあれほど大量の菩薩を教化できたのだろうか」とか「25歳青年100歳の老人を『あの老人は私の息子である』というようなもので、信じがたい」と思い、釈迦牟尼に対して詳しく説明するように懇請した。

この品では地面の割れ目から大量の菩薩が吹き出てくる様子がられる。その描写は、火山において地面から溶岩が出る様子や、間欠において地面から熱が出る様子を連想させるものである(画像1exit画像2exit)。ちなみにインドにはさほど多くの火山があるわけではなく(資料exit)、温泉ならいくつかある。

この品で地面から涌出した菩薩のことを地涌(じゆ)の菩薩という。地涌の菩薩の中で導者のような存在なのが上行菩薩辺行菩薩、浄行菩薩、安立行菩薩の4人である。

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如来寿量品第十六

如来寿量品の記事を参照のこと。如来寿量品方便品第二とともに法華経の二大中心をなす教義的に極めて重要な品である[36]

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分別功徳品第十七

如来寿量品第十六を聴いて理解することの功徳を讃えている。聴き手は弥勒菩薩である。

菩薩修行方法として六波羅蜜がある。六波羅蜜のなかの布施・精進・定・耐・持の5つを極めて長い時間において実践したときに得られる功徳は巨大である。しかし、法華経の如来寿量品第十六を聴いて理解したときに得られる功徳は、それよりもさらに巨大であるという。

また、「法華経の如来寿量品第十六を聴いて理解した者は、寺院を建立するなどの行為をする必要はい」と述べていて、「如来寿量品第十六に関する智」を布施よりも重視する姿勢を鮮明にしている。

世の中には信者に対して「宗教施設を建築するのでお金布施すべし」とか「布施をしないと宗教施設を建築できず功徳を積み重ねられない」と言ってくる宗教団体がある。そういう宗教団体とは一線を画する教義が、分別功徳品第十七で述べられている。

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随喜功徳品第十八

法華経を信奉することの功徳を讃えている。聴き手は弥勒菩薩である。

法華経が人から人へ布教されて50番の人に到達したとして、その50番の人が得られる功徳をAとする。一方で、広大世界においてさまざまな生物に対し、80年間にわたって布施を行って歓喜させ、そのあとになって阿羅漢という聞の高僧になるまで四諦説を教えた人がいて、その人が得られる功徳をBとする。AはBよりもはるかに巨大であるという。分別功徳品第十七と同じように、「法華経に関する智」を布施よりも重視する姿勢を鮮明にしている。

この品の後半において、「法華経を布教すると来世において利益を受ける。利口になって偏差値が上がり、顔面偏差値が上がってイケメンになり、病気にならず、体から悪臭を放たず、界に生まれ変わって神様になる」と説かれる。「善行をすると来世において果報を得られる」という因果応報の考え方で、仏教らしい考え方である。しかし、典的なルッキズムというべき文章であり、やや俗っぽいところを感じさせる文章である。

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法師功徳品第十九

法華経を信奉することの功徳を讃えている。

「法華経を信奉すると、眼やや舌や身体や心といった六根が清浄になり、健康になり、卓越したを得られるようになる」と述べていて、現世利益の内容となっている。「健康になりたい」という願いは人類共通の願いなので、そうした願望が経典に反映されたものである。

この品の聴き手は常精進菩薩である。精進は努という意味だが、努をするには健康を維持することが大前提なので、精進というと健康を連想する人も多い。精進料理というと「健康をもたらす料理」と一般的に受け止められている。「法華経を信奉すると健康になる」という内容の品に、健康を強く連想させる精進という言葉を名前としている菩薩が登場しているので、「名は体を表す」と言うことになっている。

法華経を信奉すると眼や健康になり、感覚が優れるようになり、地獄から上界まで様々な世界の様子を見通したり聞き分けたりできるようになる。「地獄の様子を見たり聞いたりできるようになる」というのが序品第一と共通するところである。世の中には「地獄のような状況を撃せず、そういうことを撃しそうになったらせて、見なかったことにして、楽天的な気分を維持しよう」と説く者がいるが、そうしたものと正反対のことを釈迦牟尼が説いている。

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常不軽菩薩品第二十

常不軽菩薩品の記事を参照のこと。

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如来神力品第二十一

従地涌出品第十五で地面の割れ目から飛びだしてきた地涌の菩薩たちが「釈迦牟尼が入滅した後に、々が法華経を布教します」と宣言した。この地涌の菩薩たちのなかで導者のような存在が上行菩薩であった。

序品第一から釈迦牟尼を取り囲んでいる衆生の中で導者のような存在が文殊菩薩だったが、その文殊菩薩も「釈迦牟尼が入滅した後に、々が法華経を布教します」と宣言した。

釈迦牟尼は上行菩薩に「そのようにするがよい」と言った。そして釈迦牟尼と多宝は、舌をみょーんと長く突き出して、梵天がいる上の世界にまで舌を伸ばした。そして舌からを放ち、世界を照らした。さらにはから菩薩が大量に発生した。発生した大量の菩薩は様々な世界に飛んでいき、空中浮遊しつつ教えを広めた。

見宝塔品で多宝分身仏陀釈迦牟尼分身仏陀が大量に釈迦牟尼のもとへ集まってきていたが、それらの仏陀たちも舌をみょーんと長く突き出して、舌からを放った。

しばらくの時間が経った後、釈迦牟尼や多宝やその他の大量の仏陀たちは、舌を引っ込めて、そのあと「エヘン」と咳払いして、そしてを弾いて音を立てた。すると様々な世界地震が起き、その世界に住んでいる生物たちは釈迦牟尼仏国土である娑婆世界を見ることができたし、釈迦牟尼や多宝の様子も見ることができた。地震が起きた世界生物たちは、釈迦牟尼や多宝に向かって「礼拝します」と言いつつや宝玉といったものを投げて届けて、釈迦牟尼や多宝を供養した。

この品では仏陀神通が表現されているのだが、実に面白い表現になっている。舌をみょーんと長く突き出すことが古代インド人の好みだったらしい。

舌をみょーんと長く突き出すことを訳すると広長舌という。広長舌という表現は日本にも輸入され、「巧みな弁舌」といった意味で使われている。

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嘱累品第二十二

妙法蓮華経は嘱累品を第22番に配置し、普賢菩薩勧発品を第28番に配置している。しかし、サンスクリット語原典の『サッダルマ・プンダリーカ』や、法護の『正法華経』や、闍那崛多や達摩多の『添品妙法蓮華経』は、いずれも嘱累品に相当する部分を最後に配置している。

嘱累品の末尾は、ある経典の末尾の一般的形式と同じである。従って嘱累品が法華経の末尾になると考えるのが妥当である[37]

妙法蓮華経が嘱累品を最後に置いたのは、翻訳者の摩羅の間違いか、もしくは摩羅が入手したサンスクリット語原典が間違っていたのか、そのどちらかと思われる。

嘱累(ぞくるい)とは、「言いつける」「依頼する」という意味の付嘱exitと同義である[38]。その名の通りに、釈迦牟尼菩薩たちに向かって「法華経を布教するように」と言いつける。

そして釈迦牟尼は、見宝塔品のときに集まってきた大量の仏陀たちに対して「この場を立ち去って、もといた仏国土で安楽に暮らせ」と言った。多宝に対しても「宝を元の場所に再建するので、そこで安楽に暮らせ」と言った。

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薬王菩薩本事品第二十三

薬王菩薩本事品の記事を参照のこと。

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妙音菩薩品第二十四

妙音菩薩品の記事を参照のこと。

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観世音菩薩普門品第二十五

観世音菩薩普門品の記事を参照のこと。

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陀羅尼品第二十六

この品では羅尼が出てくる。羅尼とはサンスクリット語のダーラニーを音訳したものである。ダーラニーにはいくつかの意味があるが、そのうちの1つは「呪文」という意味である。

この品の羅尼は、すべて名あるいはその異称の呼びかけの形で記されている[39]。つまり、この品の羅尼はインド神様を呼びかける内容の言葉を繰り返すものである。

菩薩と勇施菩薩毘沙門天と持サンスクリット語原典だと増長)と羅刹女10名(サンスクリット語原典だと11名)が、法華経を布教する者に対して羅尼を与える。

羅尼を唱えると、悪や病魔が法華経を布教する者に対して害悪を与えることができなくなる」とられている。なかでも羅刹女10名は、「羅尼を唱えると、法華経を布教する者に対して害悪を与える悪は、頭がパーンとなって頭破七分になる」とっている。

羅刹女10名は「法華経を信奉する者を悩ませる悪々が退治します」などとり切ったことを言っている。羅刹女とは「羅刹女神」という意味で、インド女神であり、人を喰らう美形の鬼女とされる。仏教経典には経典を守護する守護として登場する。

この品における羅刹女10名は「十羅刹女」とされ、日本において様々な画たちが想像を発揮して絵画にしてきた(画像exit)。


法華経の羅尼品には、カルト宗教団体や霊感商法とは一線を画する思想が見受けられる。

カルト宗教団体の一部は、「①人を悩ませる悪魔がそこら中に存在する。②悪魔を払いのけることができるのは教祖だけである。③ゆえに教祖を絶対的に崇拝しよう」という論法を好む。また、霊感商法をする者は、「①人を悩ませる悪魔があなたの近くに存在する。②悪魔を払いのけることができるのはこの商品だけである。③ゆえにこの商品を買いましょう」という論法を好む。言い換えると、カルト宗教団体の一部や霊感商法をする者は「悪魔を払いのけることは難しいことである」という思想を持っており、その思想を相手に吹き込むことを得意としている。

一方で法華経の羅尼品は、「①人を悩ませる悪魔がそこら中に存在する。②悪魔を払いのけることができるのは仏陀菩薩だけではない。羅刹女のような存在も悪魔を払いのけることができる」という論法になっている。羅刹女というのは法華経において説法をするような存在ではなく、かなりの下っ端という感じの存在なので、法華経は「悪魔を払いのけることはそんなに難しいことではない」という思想を持つ経典と言える。

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妙荘厳王本事品二十七

妙荘厳王本事品の記事を参照のこと。

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普賢菩薩勧発品第二十八

釈迦牟尼が統治する娑婆世界東方に、宝威徳上王仏国土がある。その仏国土から普賢菩薩が大勢の菩薩を引き連れてやってきて、釈迦牟尼を礼拝した。

普賢菩薩釈迦牟尼に対して「私は、釈迦牟尼が入滅したあとの時代において、法華経を信奉する者を守護します」とった。法華経を信奉する者の周りに悪魔が出現しないようにしつつ、六本の牙を持つに乗って出現して、さらには法者の大群を引き連れて、法華経を説く者を警護するという。法華経を説く者が言葉を忘れたら、普賢菩薩がその言葉を教えてあげるという。さらには、法華経を説く者が三昧(神通)を発揮するようにするし、法華経を説く者に羅尼(呪文)を与えるという。

釈迦牟尼は「普賢菩薩の助けを得るなどして法華経を信奉する者は、踊り子・格闘・食業者などに近づこうと思わなくなるであろう。うぬぼれの心を持たなくなり、欲になって物資を欲しがったりしなくなるだろう」と述べ、「法華経を信奉する者に対して『法華経を信奉するのは駄である』と言うものは悲惨な運命をたどるだろう」と述べた。

妙音菩薩品と同じく、東方にある仏国土から高名な菩薩がやってくるという話である。太陽が東の地平線から昇ってに浮かんでいくことから着想を得ているものと思われる。

普賢菩薩は法華経を信奉する者を警護する菩薩として人気が高く、古来より様々な画に描かれている。六本の牙を持つ颯爽と騎乗する姿を描かれることが多い(画像exit)。

安楽行品第十四では「法華経を布教する者は交際の範囲を限定すべきである」というめが授けられた。一方で、この普賢菩薩勧発品第二十八では「法華経を布教していると自然めを自分に課するようになり、交際の範囲を限定するようになる」と説かれている。

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関連項目

脚注

  1. *『法華経(上)岩波文庫 1976年版』(岩波書店坂本幸男・岩本裕 410ページ
  2. *『法華経(上)岩波文庫 1976年版』(岩波書店坂本幸男・岩本裕 425ページ
  3. *『法華経(上)岩波文庫 1976年版』(岩波書店坂本幸男・岩本裕 425ページ
  4. *『法華経(上)岩波文庫 1976年版』(岩波書店坂本幸男・岩本裕 430ページ
  5. *『法華経(上)岩波文庫 1976年版』(岩波書店坂本幸男・岩本裕 371ページ
  6. *『法華経(下)岩波文庫 1976年版』(岩波書店坂本幸男・岩本419ページを参照に記述。
  7. *『法華経(下)岩波文庫 1976年版』(岩波書店坂本幸男・岩本421ページ
  8. *『法華経(上)岩波文庫 1976年版』(岩波書店坂本幸男・岩本441ページ
  9. *『法華経(上)岩波文庫 1976年版』(岩波書店坂本幸男・岩本401ページ、『法華経(下)岩波文庫 1976年版』(岩波書店坂本幸男・岩本裕 387ページ
  10. *『法華経(上)岩波文庫 1976年版』(岩波書店坂本幸男・岩本裕 432ページ
  11. *『法華経(中)岩波文庫 1976年版』(岩波書店坂本幸男・岩本373ページ。なお、実際の文章は“勧持品第十三”ではなく“第十二章「絶えざる努」”である。
  12. *『法華経(上)岩波文庫 1976年版』(岩波書店坂本幸男・岩本362ページ402ページ、『法華経(中)岩波文庫 1976年版』(岩波書店坂本幸男・岩本裕 366ページや367ページ
  13. *『法華経(下)岩波文庫 1976年版』(岩波書店坂本幸男・岩本裕 174~175ページ
  14. *『法華経(中)岩波文庫 1976年版』(岩波書店坂本幸男・岩本裕 98~99ページ
  15. *『法華経(下)岩波文庫 1976年版』(岩波書店坂本幸男・岩本裕 269ページ
  16. *『法華経(下)岩波文庫 1976年版』(岩波書店坂本幸男・岩本204205ページ
  17. *入門新書』(中央公論社岩本102103ページ110~111ページ113114ページ
  18. *『法華経(中)岩波文庫 1976年版』(岩波書店坂本幸男・岩本裕 52ページ
  19. *日本の税制では、政治家がその子ども資産相続させるときに、政治団体から子の政治団体へ寄付するという方式を使うと簡単に相続税を回避できる。『税のタブー インターナショナル新書exit_nicoichiba集英社インターナショナル三木義一』 44~48ページにて、『世襲議員のからくり 文春新書exit_nicoichiba文藝春秋上杉隆』の69~70ページ引用し、小渕恵三政治団体から小渕優子政治団体へ大量の資が流れたのに相続税がかからなかったことを紹介している。
  20. *『法華経(上)岩波文庫 1976年版』(岩波書店坂本幸男・岩本裕 430ページ
  21. *サミュエルスマイルズの自助論には「不幸退廃からをそむけて、幸福感に満ちあふれた楽天的な性格になり、得をしよう」という記述がある。ちなみに自助論は、小泉純一郎竹中平蔵マーガレット・サッチャーといった新自由主義者が好する書物である。
  22. *『法華経(下)岩波文庫 1976年版』(岩波書店坂本幸男・岩本431ページ
  23. *『法華経(中)岩波文庫 1976年版』(岩波書店坂本幸男・岩本裕 439ページ
  24. *岩本裕は「(西のと、東のと、北東の釈迦牟尼をのぞいた)他の十三は名のみで、古代インド人の列挙による枚挙であるので、ここに名称の意味を記すまでもないであろう。」と述べている。『法華経(中)岩波文庫 1976年版』(岩波書店坂本幸男・岩本365ページ
  25. *『法華経(中)岩波文庫 1976年版』(岩波書店坂本幸男・岩本100102ページ
  26. *『法華経(上)岩波文庫 1976年版』(岩波書店坂本幸男・岩本裕 429~430ページ
  27. *『法華経(下)岩波文庫 1976年版』(岩波書店坂本幸男・岩本445ページ、452ページ
  28. *入門新書』(中央公論社岩本143144ページ
  29. *『法華経(中)岩波文庫 1976年版』(岩波書店坂本幸男・岩本裕 378ページ
  30. *『法華経(中)岩波文庫 1976年版』(岩波書店坂本幸男・岩本裕 375ページ、『法華経(下)岩波文庫 1976年版』(岩波書店坂本幸男・岩本裕 449ページ
  31. *『法華経(上)岩波文庫 1976年版』(岩波書店坂本幸男・岩本裕 429ページ
  32. *入門新書』(中央公論社岩本146ページ。「この記事」とは、釈迦牟尼が「提姿達多のおかげで六波羅蜜を完成させて神通を得た」とる部分である。
  33. *入門新書』(中央公論社岩本101102ページ
  34. *入門新書』(中央公論社岩本114ページ
  35. *入門新書』(中央公論社岩本裕 81~83ページ
  36. *『法華経(下)岩波文庫 1976年版』(岩波書店坂本幸男・岩本431ページ
  37. *『法華経(下)岩波文庫 1976年版』(岩波書店坂本幸男・岩本404ページ
  38. *『法華経(下)岩波文庫 1976年版』(岩波書店坂本幸男・岩本363ページ
  39. *『法華経(下)岩波文庫 1976年版』(岩波書店坂本幸男・岩本裕 411ページ

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法華経

28 ななしのよっしん
2019/11/18(月) 00:54:15 ID: UYTHGQcgDc
法華経、史実的には釈迦ではなく後代のインド人が書いたってマジなんですか?
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29 ななしのよっしん
2019/11/18(月) 18:02:27 ID: /2sNLza8mH
>>28
釈迦が書いたお経なんか法華経どころか上座部まで含めても一つもいけど?
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30 ななしのよっしん
2020/02/20(木) 23:28:22 ID: QaVthDlCJh
なんと言われようと宗教ってゴミだわ。
病気と結びついて人生ズタズタだよ。
人生苦しかった時にすがったけど結局病気人生もとんでもなく悪化した。
すがらなければ人生の軌戻ったんだよ。
本当に悔しいわ。
今も宗教にすがって悪化してしまった状況から抜け出せない。
苦しいわ。宗教本当に嫌いだわ。
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31 ななしのよっしん
2020/02/20(木) 23:32:51 ID: 6EXvfxTFSz
波の戦国大名である三好長治領民すべてに法華経のみを信仰するように強制し支持を全に失った
三好長慶後ここまで三好氏が落するとは悲しくなる
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32 ななしのよっしん
2020/03/01(日) 09:36:54 ID: S7l3yl+94B
導の一とかもあったからなぁ。
日蓮宗や法系の大名やら多いイメージはある
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33 ななしのよっしん
2021/04/29(木) 22:25:19 ID: EpSjlLoqT8
植木俊さん訳を読んだ
何も説かれてないどころか
・お釈迦さまは過去現在未来のすべてを見せることができる
シャーリートララーフラなどの有名人を質問役にして読みやすくしてる
・自分を助けてくれた持ちが父親と気づかなかったり宝石がついてることに気づかなかったりするようにみんなすでに救われているんだよ
・燃えているから子供を出すためにオモチャで釣るように個人の信仰が大事だよ
・欲しがるオモチャが違うように信仰の仕方はそれぞれだけど最終的にはみんな同じところに行くよ
・お釈迦様の遺より経典が大事だよ
法華経のことを人に教えると成仏に近づけるよ
・場所なんてどこでもいいさ
・お釈迦さまは過去現在未来のすべてのさまをえた偉い人だよ
・でもこれからは地面から湧いてきた新しいさまの出番かもね
(省略しています。全て読むにはこのリンクをクリック!)
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34 ななしのよっしん
2021/10/01(金) 22:39:14 ID: nx69jN/Z0W
>>33
ありがとう。
まぁなんというか、普通にちゃんとした仏教経典なんだね。
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35 ななしのよっしん
2022/02/01(火) 18:37:01 ID: EpSjlLoqT8
太郎さんの「法華経生きる」はタイトルのわりにほとんど法華経に触れてないエッセ
霊友会に入った経緯は選挙支援をしてもらうためと書いていてそんなこと自分から言うか?って思ったのと若いころから自分が死ぬことを受け入れてたというのが印的だった
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36 ななしのよっしん
2022/11/23(水) 21:40:24 ID: bNLEmm6ri9
めたら法華経
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37 ななしのよっしん
2023/08/04(金) 02:16:12 ID: HE0qa4XE3B
タカのくせにハトみてえな名前しやがって
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