流通経済大学FCとは、茨城県龍ケ崎市を本拠地とする、関東サッカーリーグ1部所属のサッカークラブ(※後述)及び流通経済大学サッカー部のサテライトチーム(※現在は3軍)である。
概要
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前身は流通経済大学(以下:流経大)サッカー部内のJFL参加用チームである。そのため、正式な創設年はJFLに初参加した2005年となる。決して「流通経済大学サッカー部」として創設した1965年ではないことを留意しておく。
流経大サッカー部は他の社会人チームとは異なり、大学サッカー連盟の推薦で2004年シーズンの地域リーグ決勝大会に参加した(これは、過去にJFLに参加した大学チームも同様の手法で決勝大会に参加し勝ち抜いて、JFLへの参入を果たしている)。その後、決勝大会を勝ち抜いて2位の成績を収めたことから、2005年シーズンからのJFL参入が決定した。
この頃の流経大サッカー部は、当時関東大学リーグ1部に参加しているトップチームや当時のセカンドチームで社会人リーグ所属の「クラブ・ドラゴンズ」(当時茨城県リーグ1部所属)とは別に、JFL参加用チームを新たに創設し、それを新たなセカンドチームを定めたのだった(※ゲキサカの記事を参照)。なお、これにより、クラブ・ドラゴンズは2005年シーズンからサードチームとなる。
大学リーグとJFLの二重登録
2009年シーズンまでのJFLにおける流経大サッカー部は、特殊であり変則的なチームだった。実は所属する学生選手は、大学リーグとJFLとの二重の選手登録が可能であったからだ。しかし、抱える多くの選手に試合経験を積ませるために、基本的にJFL参加チームでのベンチ入りは前述通り2軍に位置する選手が中心であった。
とはいえ、日程に関係なく、大学リーグに参加している一軍の有望な選手たちを合流させようと思えば、直ぐにJFL参加チームに合流させることが出来た。特に後期の終わりごろになると、1軍に位置する選手も何人か加わり、その時の力は他チームをあっさりと凌駕するほどである。
例として2007年シーズンは、天皇杯で東京ヴェルディ・柏レイソル・名古屋グランパスのJリーグ3チームを下して、鹿島アントラーズとの接戦を演じ、ベスト8の成績を残したHonda FCを相手に6-0と圧勝したことがある。ちなみに、当時の1軍は日本代表との練習試合で勝利したこともある実績があるので、それを知っている人間からしたら、あまり驚くことでもなかったりする。
以上のこともあり、この二重登録に不満を持った他チームの意見もあって、流経大サッカー部は2010年シーズン以降、二重登録ができなくなった。具体的に書くと、大学リーグに登録する選手はJFLに登録することが出来ず、逆にJFLに登録する選手は大学リーグに登録することが出来なくなる。
JFL参加用チームをクラブチーム化し、Jリーグ参入構想を立てるが・・・
上記のこともあって、
だったら、JFL参加チームをサッカー部から切り離してクラブチーム化して、ついでにJリーグ参入を目指すわ。(※日刊スポーツの記事を参照)
・・・ということで、JFL参加チームを形式上「切り離して」急遽クラブチーム化し、「流通経済大学FC」(流経大FC)として再出発することになった。ちなみに、源流である流経大サッカー部の英称は「Ryutsu Keizai. Univ. Football Club」なので、名称の混合を避けるために「流通経済大学龍ケ崎FC」とか、もうちょっと捻らなかったのかと言わざるを得ない。
話を元に戻すが、Jリーグ参入まで目指すということで、こうなった以上、「切り離された」このクラブは龍ケ崎市の行政や市民から理解と協力を求めなければならなくなるのはもちろん、スポンサー探しも今まで以上に奔走しなければならなくなる。(ちなみに当時の流経大FCへのスポンサーにはダイドードリンコや清水建設といった大手企業が何気についていた。)
また、クラブチーム化することで、プロや社会人のクラブから選手を獲得することも可能になったため、二重登録できなかった代わりの得策といえる。しかし、そのために大学サッカーリーグで戦う1軍の選手を回せなくなったことが響いたか、2010年はダントツの最下位に沈んでしまい関東リーグ1部に降格と、Jから逆に遠ざかる結果になってしまった。
今後のクラブの在り方について
結果、2011年度は関東リーグ1部で過ごすことになった流経大FC。今後のクラブの在り方について、流経大サッカー部の中野雄二総監督は、ライターのインタビューに応じ、こう語っている。
流経大がここまで強くなったのは、間違いなくJFLで戦ってきたからです。
型のはまった相手が揃う大学リーグとは違い、Jリーグを目指すチーム、アマチュア最強の企業チーム、Jの下部組織、クラブチームと、いろいろな相手と真剣勝負できるJFLにいたことで力をつけてきました。
しかし、今年(2010年)から登録のルールが変更となったことは大きかったです。この登録ルールで戦うのであるならば、ウチとしてはあまりメリットは少ないですから・・・。
なお、肝心のJFL復帰については明言を避けた格好となった。ちなみに、流経大FCが降格した2010年にはクラブ・ドラゴンズも関東リーグ1部から2部に降格していた。そして、クラブ・ドラゴンズは2011年シーズンを2部3位で終え1部に復帰[注1](※流経大FCは、1部を3位で終えたため残留)。2012年は、流経大FCとクラブ・ドラゴンズ・・・セカンドチームとサードチームがともに関東リーグ1部で戦うこととなった。
コツコツとJFL復帰を目指していたのだが・・・
2013年、関東リーグ1部で中々優勝できず、JFL復帰へのチャンスが掴めずにいた流経大FCに朗報が入った。
それは、2014年からJリーグが3部(※J3リーグ)を創設したためにJFLへの参入枠が開いたということで、全国から募集しているということだった。
早速、流経大FCは応募したが、審査の結果、JFL入りは叶わず、復帰は果たせなかった。
あとはね、選考では結果的に漏れてしまいましたが流通経済大学の評価は、限りなく4番目に近かったですね。
まあ、流通経済大学とヴァンラーレ八戸を同じ土俵で評価するのは非常に難しいとは思うのですが、やはり4番目(ヴァンラーレ)と比較すると、どうしても「推し」という部分では弱かったんですよね。
正直に言えば、ヴァンラーレと流通経済大学を比較した時にほとんど差はなかったですよ。それに我々事務局的にいえば、流通経済大学は過去6シーズン、しっかりこのリーグを戦ったという実績があるし、運営ノウハウがあるので安心感が高いのは事実でしたね。
そんなわけで2014年以降もまた、成績面でJFL復帰を目指すことになったのだが、気づいたらまた関東リーグ2部に落ちていたはずの3軍のクラブ・ドラゴンズがいつの間にかJFL初昇格を成し遂げてしまっていた・・・![注2]
その為、2015年からはクラブ・ドラゴンズと入れ替わりで3軍の立場となっている。
あれ、もしかしてもう・・・JFL復帰しなくてもいいのk・・・いや、復帰しようと思ってももう出来なくなっちゃう・・・?
そのクラブ・ドラゴンズは2019年にJFLから降格し関東1部所属となり、久しぶりに同門対決が行われるようになった。
しかし、流経大FCは2021年に12位となり関東2部へ、2022年に10位となり茨城県1部へと2年連続で降格してしまった。2023年はさすがに茨城県リーグでは格が違うとばかりに13勝1敗の圧倒的な成績で優勝したが、関東社会人サッカー大会では準決勝で敗退し1年での関東リーグ復帰はならず。
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脚注
[注1] 本来なら昇格できるのは2位までであるところ、翌年からリーグが10チームに拡大するのとY.S.C.C.が関東1部からJFLに昇格したため、その分の繰り上げで3位のクラブ・ドラゴンズも昇格となった。
[注2] クラブ・ドラゴンズは全国社会人サッカー選手権大会本選にて3位以内に入賞し、全国地域サッカーリーグ決勝大会(地決)への出場権を獲得したが、その地決で3位になったため。
関連項目
※太字は記事有り
- サッカー地域リーグ - サッカー地域リーグのチーム一覧
- 茨城県龍ケ崎市 - 以下の団体組織も全てこの地域を本拠地(ホームタウン)としている。
- 関東鉄道竜ヶ崎線 - スタジアム最寄駅(竜ヶ崎駅)がある鉄道路線。JR常磐線佐貫駅から乗換して利用する。
- SAGAWA SHIGA FC - 前身の一つである佐川急便大阪SCは嘗て、大阪体育大学サッカー部の2軍だった。
クラブ(チーム)公式サイト
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