編集  

海防艦単語

カイボウカン

海防艦とは、大日本帝国海軍において存在した軍艦の種類の一つである。海防艦は1942年の軍艦の類別変更の前後で大きくその性格が異なり、変更前は

・旧式化した戦艦巡洋艦で沿・領防衛にあたる軍艦

であり、変更後は

・対潜や船団護衛にあたる小軍艦

であった。以下に変更の前後に分けて記述する。

類別変更前(~1942年6月)

 帝国海軍において海防艦の艦種が誕生したのは明治31年(1898年)の軍艦艇類別標準によってであり、その任務は各地の警備・沿防衛・要地防御であった。一般的に海防艦は旧式化した戦艦巡洋艦が第一線から外され海防艦に類別されるのが普通であった。従って基本的に新造艦が最初から類別されることはく、また元が戦艦巡洋艦であるため海防艦は純然たる”軍艦”である※。尚、著名なところだと、日清戦争鹵獲した「鎮遠」や日露戦争で活躍した「日進」「春日」等も旧式化した際に海防艦に変更されている。

 ところで、これ等の艦は二線級の戦として沿・領警備が主任務だったが、軍兵学校練習艦として用いられることも多かった。また、元が大艦であるため、しばしば大船としても用いられたりと、艦の整備に手いっぱいで補助艦艇の整備にまで手が回らない帝国海軍においては、補助艦の不足を補うものでもあったようだ。

 このように海防艦は旧式化した元戦艦巡洋艦が多かったが、中には従来の類別でカテゴライズできない軍艦海防艦に類別されることもあった。例えば帝国海軍初の航空作戦を実施し後に航空母艦(実質は水上機母艦)に類別された「若宮」も当初は海防艦であった。また北方漁業警備・船団護衛用の占守海防艦として建造されたのもこの流れによるものだろう。


軍艦とは一般的に軍が保有する船舶全般のことを言うが、帝国海軍においては戦艦をはじめとした艦をさして特に軍艦と言っていた。軍艦とは艦首に菊のご紋章を抱く格式の高い船であった。

類別変更後(1942年7月~)

 このように、海防艦とは言ってみれば旧式艦の最後のご奉先であったが、占守型が建造される頃、すなわち、1930年代には海防艦は老朽化による除籍、軍縮条約による軍備の制限、雑多な艦種の整理統合などによりほとんど姿を消しており、宙に浮いた艦種になってしまっていた。

 このような中、太平洋戦争が勃発し、船団護衛用の軍艦が大量に必要になると占守型海防艦ベースに多くの海防艦が建造されることになったが、ここで海防艦の類別を変更し船団護衛・対潜用の艦という位置付けを与えられることとなったのである。また併せて、この際に海防艦軍艦籍から外されている。ちなみにこの変更の際、6隻在籍していた従来の意味での海防艦はいずれも練習特務艦や一等巡洋艦に変更されている。

尚、新類別においては占守型を含め下記の海防艦が建造され船団護衛に従事していた。

最後の、丁では工期短縮など様々な理由からブロック工法や電気溶接など、戦後の高度成長を支えた日本の造船技術の基礎技術が導入されている。

しかしながら日本海軍において常に艦首に菊の御紋章をかかげる「軍艦」こそが常とされ海防艦が活躍する上護衛はあまり重点を置かれなかったことは特筆して書かねばならないだろう。
上護衛隊も組織されていたもののおざなりの感はぬぐえず、海防艦に乗り組んだ兵員も生軍士官ではなく予備士官、すなわち商船学校上がりの普通の高級商船乗組員が大半だった。彼らの努むなしく、海防艦や旧式の駆逐艦では上護衛戦で船団護衛を果たせず日本の商船団は太平洋戦争で壊滅するに至る。

今をもって日本民間商船会社の軍末裔を自負する海自(というより時の政府)に対する不信感の温床は、軍の的を見失った日本海軍の愚かさにあり、その不幸を背負ったのが海防艦なのかもしれない。

170隻あまりが建造された海防艦だが、その多く(70隻弱)が失われた。一隻あたり100140名近く乗り組んでいたことを考えると犠牲になった乗組員の数に瞠せざるをえないだろう。

余談だが、靖国神社において軍艦艇として見られることなく重要な責務を帯びて戦った海防艦とその乗組員に対しての石碑がある。もし機会があるのなら立ち寄ることをお勧めする。
北のから南は遠くブルネイトラックまで、日本海上交通路を守るために戦った記録がそこにある。

海防戦艦

海防艦を大化させ、より強艦砲や装甲を有する、いわば大海防艦を「海防戦艦」と呼称することがある。フィンランド軍の「イルマリネン級」やタイ王国軍の「トンブリ級」などがそれにあたる。「戦艦」の名を冠してはいるが、英語表記だと「coastal defense ship」なので厳密に言うと戦艦ではないが、海防艦より内海警備や沿部防衛の為に特化しており、こちらは外や遠洋での作戦行動は企図されていない。海防艦以上の火力と装甲を有しつつ戦艦以下の運用コストを実現した中小国向けの艦艇である。

関連商品

関連項目


【スポンサーリンク】

スマホ版URL:
http://dic.nicovideo.jp/t/a/%E6%B5%B7%E9%98%B2%E8%89%A6
ページ番号: 4134975 リビジョン番号: 2290246
読み:カイボウカン
初版作成日: 09/08/02 18:12 ◆ 最終更新日: 15/11/19 21:22
編集内容についての説明/コメント: 商品整理
記事編集 / 編集履歴を閲覧
このエントリーをはてなブックマークに追加

この記事の掲示板に最近描かれたお絵カキコ

お絵カキコがありません

この記事の掲示板に最近投稿されたピコカキコ

ピコカキコがありません

海防艦について語るスレ

42 : ななしのよっしん :2016/05/11(水) 18:44:07 ID: tTcDDAdCbD
駆逐艦でも1500~2000トン排水量と、それに見合った武装はあるのに、1000トン前後の排水量しかない海防艦とその武装を再現実装しても……と言うのは本来武装ゼロまるゆだの、工作船の明石だの出す時点であれだな。燃費が良くて遠征に使えるなら使いみちはあるか。

なお海防艦の多くは記事の通り失われたが、残ったものもあるわけで、残った海防艦の一部は「おじ称船:旧海防艦巡視船」と称し海上保安庁に再就役していた。
「最後の帝国海軍艦艇(後述の宗谷は徴発された「特務艦」なので軍「艦艇」ではない)」と呼ばれた、の「志賀」も、「おじ巡視船こじま」と名して海保に再就役していた。

ところで海保といえば、ある意味では大和以上に知名度があるであろう南極観測船にして、元・特務艦の「宗谷」も何故か未だに実装されていないな。そして海保海自(と言うか旧軍)との仲の悪さ、およびその原因は、ピクシブ百科事典の「海上保安庁」「特務艦」に詳しい(あとはこのページの「類別変更後(1942年7月~)」の項)

……こ
(省略しています。全て読むにはこのリンクをクリック!)
43 : ななしのよっしん :2017/05/03(水) 01:03:00 ID: y5iKcAsRyo
>>41
後「やあ」
44 : ななしのよっしん :2017/05/03(水) 01:08:29 ID: 6bmQXCC9nU
艦これ)の隔離記事はよ
45 : ななしのよっしん :2017/05/03(水) 02:10:25 ID: /QiuaOAFjy
>>44
隔離したければ、あなたが隔離記事を作られては?

言いたいことはわかるが、占守型海防艦の記事にも同様の書き込みをしたのはあなたでしょうよ、おそらく。
46 : 削除しました :削除しました ID: 4lKk+qncB7
削除しました
47 : ななしのよっしん :2017/05/03(水) 14:37:23 ID: OZqL3ovJnA
バランスが悪ければ、弱い所を攻められる。

弱い所を補おうとすればリソースが分散する。

そんな中でも必死に戦ったのが海防艦だと思う。
48 : 削除しました :削除しました ID: 5lVDBqbNMb
削除しました
49 : ななしのよっしん :2017/05/05(金) 23:51:22 ID: 9gPaR+iPKU
いいも何もそれが事実じゃない?
50 : ななしのよっしん :2017/06/03(土) 14:01:49 ID: WJLjZ6y33w
>>38
イギリスは別に戦艦で護衛したかったわけではなく、ドイツ軍が単独の大艦+駆逐艦数隻で襲撃してくるから、
巡洋艦では負ける可性が多分に合って、そうするしかなかったんだよ

だから、あれだけ努してティルピッツを撃沈しようとしたし、チャンネルダッシュの時には、
謀にもソードフィッシュ6機で9隻+護衛戦闘機の艦隊を攻撃させてる
脅威を排除すれば、護衛する艦船の数と質を落としても大丈夫だからね
51 : ななしのよっしん :2017/07/06(木) 15:00:30 ID: Ldwmm139p7
海自の新4000t護衛艦DEXと呼ばれてた頃は海防艦ポジションきたー!って思ってたけど、海防艦というには余りにも重装備で強な…というか立な甲護衛艦になったね
下手すると5番艦辺りから現護衛艦駕する間防火力すら持ちそう("゚д゚)
急上昇ワード
ニコニコニューストピックス
  JASRAC許諾番号: 9013388001Y45123
  NexTone許諾番号: ID000001829