清音院殿(せいいんいんでん ? ~ 1619)とは、戦国時代~江戸時代にかけての女性である。
概要
詳細は全く明らかになっていないが、真田信綱の娘として誕生した。兄弟に真田与左衛門、真田信興、真田信光らがいるが、どれが兄か弟かも詳細はよくわかっていない。生年も1558年というのも書かれてはいるも不明。
1575年に父が叔父・真田昌輝と共に長篠の戦いで戦死すると、もう1人の叔父・真田昌幸に預けられ、真田信幸と婚約し、正室として嫁いだ。
しかし、徳川家より徳川家康の養女・小松姫(稲姫、本多忠勝の娘)が信幸の正室として嫁ぐと、清音院殿は側室へとランクダウンしてしまった。側室へとなった原因は大名家の女としての格差、または政略的なものだと思われる。
小松姫が正室になっても信幸は子宝に恵まれずに徒に年月は過ぎていったが、1595年に清音院殿は真田家の嫡男となる真田信吉を産み、面目を保った。暫くは清音院殿の男子の家系が嫡流として認められていたが、信吉の子・真田熊之助の夭逝により、真田の嫡流は小松姫の男子の家系へと移った。1619年に亡くなった。
余談であるが、高梨内記の姪という。但し、高梨内記の出自には諸説あり、高梨政頼の子ではないという説もある。
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