無知に訴える論証(argument from ignorance)とは、「Aだという根拠がない」から「Aではない」と結論づけるパターンの詭弁である。無知論証ともいう。
概要
ここで言う「Aだという根拠がない」というのは、Aだという根拠が「議論のその時点では提示されていない」という意味である。この時の厳密な判断としては「AかAでないかわからない」が正しい。
これをAだという根拠が「今後も含めて存在することはない」にすり替えると、Aという命題が真となることはなくなる。Aは真ではないのだから「Aではない」が「正しい」判断になる。
上記のようにして「Aだという根拠がない」ことから「Aではない」という結論を引き出すのが無知に訴える論証である。「Aではない」という結論を引き出すには「Aではない根拠」が別途必要であり、根拠が無いのに結論が得られるというのは必ずどこかおかしいのである。「新しい根拠が無ければ新しい説は言えない」のだ。
例
CだからAが正しい。
↓
Cを根拠として認めない。従ってAには根拠がない。
↓
よって(Aは誤りで、必然的に)Bが正しい。
という流れになる場合が多い。
上記において、「Cを根拠として認めない。」自体にツッコミどころがある場合も多いのだが仮にそれが正しいとしても、Bが正しいことの根拠は明示されていない。Cが根拠にならない場合でも別の事実DがAの根拠になるという可能性も残っている。
Bが正しいことの証明に必要なものは下記のいずれかである。(A, B以外の場合が存在しないことは前提として省略する)
- Bである根拠
- Aではない根拠
- Aである根拠が存在し得ないこと
上記の「Aではない根拠」というのは命題「Aではない」が成立するための十分条件となる直接的ものでなければならない。「Aだという根拠が議論のその時点では提示されていない」というのは命題「Aではない」が成立するための必要条件で間接的なものに過ぎず、それを十分条件にすり替えるのはまさに無知に訴える論証である。
なお、本例の議論において「Cである根拠がない」という攻撃手法もあるが、それについてはミュンヒハウゼンのトリレンマを参照のこと。
訴訟の立証責任
議論を離れて(民事)訴訟上の話となると、「Aだ」と主張する側に立証責任が課され、「Aだという根拠がない」場合は訴訟上は原則として「Aではない」とみなされる。これは訴訟の性質上「AかAでないかわからない」という状態が許されないことによる。
→ 悪魔の証明
関連項目
- 論理学 / 背理法 / 対偶 / 前件否定 / 後件肯定
- 詭弁 / 悪魔の証明
- ミュンヒハウゼンのトリレンマ
- シュレディンガーの猫
- 科学
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