登龍門とは、いわゆる1つの関門を示す故事成語である。
一般に、通り抜けることが至難なことについて「門」の比喩として引き合いに出されることが多い。
「登竜門」と書かれることがあるが、後述のように中国の、特に官僚にまつわる故事なので「龍」が正しい。
概要
中国の河川の一つに「龍門」なる河がある。非常に急峻な河で、特にその滝は激しく流下することで有名だった。
そして、この河の激流を身に受けて遡行しきることができた鯉は龍に成れるという伝承があった。
さて、古代中国・後漢末期、いわゆる三国志の少し前の時代に「李膺」という高名な官僚がいた。皇帝の信任厚く、司隷校尉(朝廷内の監査を行う大役)を任じられ、後に「党錮の禁」において清流派官僚として獄死するものの、その子は父の慧眼により曹操に仕えることができ、その後も一族は曹魏に仕え乱世を生き抜いたと伝わる。
この李膺、公明正大にして慧眼鋭く、この李膺の目に適う門下生は将来の出世が約束されたようなものであったが、公明正大であるがゆえに当時流行していた贈賄などが通用しないため、当時の学問レベルからしても彼の評価を得ることは至難であった。
そこで彼に認められることと先述の龍門の故事から、そのような至難の関門を登龍門と呼び習わすようになった。
特に唐代における官吏登用試験「科挙」は李膺以上に至難かつ至上とされ、これに受かることはまさに慶事であった。また、「詩仙」李白も、唐代科挙の難易度と得られる名声をして「一登龍門、則聲譽十倍」(龍門を一度登りつめれば家名は10倍にもなる)と比喩したほどである。このような至難の受験戦争において、この語がどれだけ流布したかは想像に難くないだろう。
一方、某さかなポケモンはまずプレイヤーという至難な関門を経る必要がある。
尤も将来は約束されているようなものなので、個体値にこだわらなければ案外難しくはない、かもしれない。
関連項目
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