石川数正(いしかわ かずまさ 1533~1593)とは、戦国時代の武将である。石川家成は叔父にあたる。
概要
略歴
徳川家康の人質時代から近侍として仕える。本多忠勝や榊原康政らよりは一つ上の世代で家康よりも年上。桶狭間の戦い以後は今川家から独立した家康の下で酒井忠次と共に三河時代の家康を支え、東三河の忠次と併せて徳川家の双璧をなした。
本能寺の変で信長が倒れた後に台頭した秀吉との交渉を任されるが、小牧長久手の戦い後に徳川家から出奔。秀吉に仕えることとなる。その理由は定かではない。
これにより徳川家の軍事機密が秀吉に筒抜けになってしまったため、家康は軍制を改めるハメになる。
北条氏が滅び、家康が関東に写されたのちに信州松本10万石に移封された。 現在の国宝松本城の天守やその城下町を整備したのは数正とその息子康長である。
1593年に死去。享年61。
武功も上げているのだが、武闘派だらけの三河軍団で外交を担当できる貴重な人材であるため、割と文官のイメージが強い。「家康の懐刀」と評されることも。
信長の野望
三河時代の家康の配下では珍しい文官タイプ。革新以降は統率も割と高いのでなにかと重宝する。諸国を放浪している本多正信と違って必ず配下にいるので頼りになる。という三河勢で内政向きなのは彼ぐらい。
ちなみに出奔経験があるため、三河武士にしては義理が低い。
軍事能力 | 内政能力 | |||||||||||||
戦国群雄伝(S1) | 戦闘 | 50 | 政治 | 81 | 魅力 | 67 | 野望 | 72 | ||||||
武将風雲録(S1) | 戦闘 | 50 | 政治 | 84 | 魅力 | 70 | 野望 | 75 | 教養 | 70 | ||||
覇王伝 | 采配 | 70 | 戦闘 | 59 | 智謀 | 65 | 政治 | 80 | 野望 | 75 | ||||
天翔記 | 戦才 | 126(B) | 智才 | 142(B) | 政才 | 164(A) | 魅力 | 65 | 野望 | 75 | ||||
将星録 | 戦闘 | 53 | 智謀 | 84 | 政治 | 88 | ||||||||
烈風伝 | 采配 | 55 | 戦闘 | 44 | 智謀 | 79 | 政治 | 81 | ||||||
嵐世記 | 采配 | 48 | 智謀 | 70 | 政治 | 74 | 野望 | 58 | ||||||
蒼天録 | 統率 | 51 | 知略 | 72 | 政治 | 76 | ||||||||
天下創世 | 統率 | 51 | 知略 | 72 | 政治 | 76 | 教養 | 70 | ||||||
革新 | 統率 | 72 | 武勇 | 51 | 知略 | 80 | 政治 | 85 | ||||||
天道 | 統率 | 72 | 武勇 | 51 | 知略 | 80 | 政治 | 85 | ||||||
創造 | 統率 | 70 | 武勇 | 55 | 知略 | 79 | 政治 | 84 |
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関連項目
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