硝子の少年(がらす――しょうねん) とは、1997年にリリースされたKinKi Kidsの楽曲である。
同デュオのデビュー曲であり、かつ一般的なジャニーズ事務所のグループのデビュー曲とはとある点で異彩を放つ楽曲である。
概要
ジャニーズ・エンタテイメントより1997年7月21日に8cmCDで発売された楽曲。2007年12月26日に12cmCDで再発売されている。作詞は松本隆、作曲は山下達郎。
KinKi Kids自体は1993年には活動開始していたのだが、メジャーシングルはこの『硝子の少年』が初。同時にジャニーズ・エンタテイメントがレコード会社としてはじめて発売した作品でもある。この作品はアルバム『A album』と同時発売されるという異色の形で発売されている (つまり、KinKi Kidsは初シングルと初アルバムが同じ日に発売されている) うえに、初回プレスはその『A album』がセットになった仕様で発売された (なお『硝子の少年』自体は『A album』には収録されず、その次の『B Album』に収録される形をとった) 。
これについて本楽曲の作曲を行った山下達郎は『ジャニー喜多川の意向である』と説明している。ジャニー喜多川はKinKi Kidsをシングルではなくアルバムでデビューさせたいと語っており、当初は『Kissからはじまるミステリー』でデビューする予定だったものもジャニー喜多川に否定されたとのこと (ちなみに『Kissからはじまるミステリー』も作詞・作曲は同じ) 。仕方なく、デビューシングルとデビューアルバムを同時に発売することでこの問題を解決したとのこと。
楽曲内容は彼女に振られた「僕」が、彼女が誰かに抱かれながらバスに乗っていくのを見る――というものなのだが、このときの彼女は別の彼氏と付き合っているわけではない。指環を指して「そんな小さな石で未来ごと売り渡す」とあるように、彼女は援助交際、今で言うパパ活をしているのである。デビュー曲でここまで攻めた内容もなかなかないだろう。また、曲調も平成の世にあって当時の流行りのユーロビートとは異なる、昭和歌謡のような哀愁漂うメロディと、爽やかな十代のアイドルのデビュー、というにはかなり異質なものである。
しかしこれでミリオンヒットを叩き出し、KinKi Kidsはアイドルとして鮮烈なデビューを果たすことになる。
背景
作詞の松本隆ははっぴぃえんど元ドラマーで、同バンドの作詞担当としても活動し、日本語ロック論争を巻き起こすまでの時代の寵児でもあった。作曲の山下達郎も『音の職人』とも称される名アーティストである。
しかしそんな2人も、既にキャリアがあり人気を博していたKinKi Kidsのデビュー曲を担当するにあたっては緊張があったようだ。というのも、KinKi Kidsといえば堂本剛は『金田一少年の事件簿』(日本テレビ系, 1995)で主演を演じ、堂本光一も『銀狼怪奇ファイル〜二つの頭脳を持つ少年〜』(日本テレビ系, 1996)で主演を務めるゴールデンコンビであった。そして本楽曲の前年に放映されたドラマ『若葉のころ』(TBS, 1996)ではコンビで主演を務めた状態であり、ジャニーズ事務所では初のデュオ、初の関西出身と兎に角話題性のあるスターであった。そのため、ジャニー喜多川のオーダーは簡潔でありしかしかなりハードルの高いものであった。
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松本はこの当時、7年ほど一線を引いており、「自分はまだ売れるのか」不安にかられたという。実際に2人が放つ「輝きと独特な危うさ」をどう表現するか悩み、詞を書き続けるがジャニーズ事務所からのOKもでなかったという。そんな彼はある日悩んでテレビを見ていると、偶然KinKi Kidsが出演しており、それを見た彼は「ガラスの少年じゃないか!」そこから「別れのドラマが描けるバス」をテーマにすることを思いつく。そこに、当時はやっていた援助交際を題材に含め、傷つきやすい10代の心情を綴った楽曲にしたのだという。
ただ、事務所からは暗いと言われ、また当時はユーロビート全盛期でありながら昭和歌謡のようなメロディということもあり、KinKi Kidsの二人はこれを歌うことに不安もあったという。これに対して、山下は二人にこう声をかけて励ましたのだとか。
「大丈夫だよって。あなたたちが40歳になっても歌える曲だから」
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結果として本楽曲はミリオンヒットとなる。山下達郎作品では唯一のミリオンセラーで最も売れた曲である。しかし今になっても二人にとっては緊張する曲であるらしい。また、この曲のイメージが強いあまりに『ボクの背中には羽根がある』(2001) までのあいだ方向性に悩んでいたとも。
後に山下達郎は1997年8月31日のサンデーソングブック納涼夫婦放談パート2において本作のデモ音源(厳密には発売版のカラオケにデモテープのボーカルを継ぎ接ぎしたバージョン)を公開している。ちなみにこの前週には「Kissからはじまるミステリー」の同じ山下達郎バージョンをオンエアしている。尚、某百科サイトでは「本来のキーではないため間が抜けた感じに~」と言ったことを語ったことになっているが、その発言は実際には同じくサンデーソングブックで「ハイティーン・ブギ」のデモテープを公開した際の発言で、硝子の少年の時のものではない。(ちなみにハイティーン・ブギもジャニーズの近藤真彦に提供した曲である)
1998年6月21日、1999年12月12日のサンデーソングブックではFUNKEY FLUSHIN'~硝子の少年~BOMBER~FUNKEY FLUSHIN'のメドレー形式でのライブバージョンもオンエアしている。(それぞれ別の会場)
この山下達郎セルフカバーバージョンは長らくラジオオンエアのみであったが、このバージョンが動画サイトなどで無断転載されたりといったことに胸を痛めていた山下達郎は、2012年9月26日発売のオールタイムベストアルバム『OPUS ~ALL TIME BEST 1975-2012~』の初回盤ボーナスディスクに1997年にオンエアしたUNRELEASED DEMO VOCALバージョンとして収録し、正式にCD化されている。
尚、山下達郎がKinKi Kidsに提供した楽曲で最初にセルフカバーバージョンがCD化されたのは本作ではなく、2002年10月30日の『RARITIES』に収録された「Happy Happy Greeting」が最初(これは演奏データはKinKiのものだが、ボーカルは完全に録り直されている)。山下達郎がKinKi Kidsに提供した楽曲は何らかの形(大抵はサンデーソングブック)で全編ないし一部が山下達郎バージョンで公開されている。特に3枚目のシングル「ジェットコースター・ロマンス」は全くアレンジが異なっている(この曲のみ編曲が山下達郎ではないため)。
関連動画
関連リンク
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関連項目
- KinKi Kids
- 松本隆 / 山下達郎
- 援助交際 / パパ活
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