概要
7月1日の「吉符入」に始まり、7月31日の「疫神社夏越祭」で幕を閉じる、京都の中心部で1ヶ月にわたって開催される八坂神社の祭礼。
前祭(さきのまつり)と後祭(あとのまつり)に行われる山鉾巡行を中心に、八坂神社および山鉾町が主催となって様々な行事が行われる。特に山鉾巡行は人気が高く、日本全国はおろか世界中から山鉾を一目見ようと観光客が大量に押し寄せてくるほど。そのため地元民が推奨するのは「期間中、京都在住者は家から出るな」だそうな。交通網は観光客で麻痺、歩行者天国も人の山に加えて夏の猛暑が襲い掛かり、飲食店は超混み…会場は筆舌に尽くしがたい魔境と化す。
基本的に雨天・荒天決行である。大雨が降ろうが台風が吹こうが中止にならない。ただし過去に中止になったことが4回だけあり、その内訳は応仁の乱・太平洋戦争・阪急電車の地下工事・コロナ禍というそうそうたる顔ぶれである(応仁の乱は祇園祭そのものが、それ以外は山鉾巡行が中止)。……って日本史上に大きな名を残す二度の大戦に肩を並べる阪急電車は何者なんだ。
祇園祭の文化はその規模の大きさや華やかさによって地方にも伝播しており、祇園祭の影響を受けたとされる祭りは全国各地で見られる。
歴史
祇園祭の歴史は1000年以上昔、貞観5年(863年)に初めて行われた御霊会にさかのぼる。当時京都で流行っていた疫病をしずめるためのものであったが、効果は薄く疫病・天災により情勢は悪化する一方であった。貞観11年(869年)に66本(当時の国の数に相当)の鉾を立て、3基の神輿を送ったのが祇園祭の始まりと言われている。
平安時代中頃あたりから鉾が豪華なものになり、規模も拡大して祇園祭はより祭りらしい姿を見せるようになった。以降、度重なる戦禍や火災によって山鉾が焼失することもあったが、祇園祭を存続させようとする市民の努力によって再興を繰り返し、祭りは今日に至るまで続けられている。
主な行事
1~18日 吉符入(きっぷいり)
祇園祭のスタートとなる行事。各山鉾町の関係者が祭りの打ち合わせをし、成功を祈願する。一般には非公開。
2日 くじ取り式
各山鉾町の代表者が京都市議会に集まり、山鉾巡行の順番をくじで決める。一部の山鉾は「くじ取らず」と呼ばれ、このくじ取り式に関係なく順番が決まっている。
10日 お迎提灯
提灯を持った行列が八坂神社を出発し、町内を一周したのちに神輿洗前の神輿を迎え、神前にて舞台奉納を行う。
10日・28日 神輿洗式(みこしあらいしき)
三基ある神輿のうち一基(中御座)を八坂神社から四条大橋まで担ぎ、鴨川の水で清める。
10~14日(前祭)・18~21日(後祭) 山鉾建
山鉾巡行に向けて山鉾が組み立てられる。釘を使わず、縄で組み上げるのが特徴。
13日 長刀鉾稚児社参
長刀鉾の生稚児が八坂神社に参り、儀式によって神の使いとなる。儀式後の稚児は地面を踏むことを許されていないため、強力(ごうりき)という人物の肩にかつがれて移動する。
14~16日(前祭)・21~23日(後祭) 宵山
夜になると山鉾の駒形提灯に火が灯り、「こんちきちん♪└(^ω^ )┐ ┌( ^ω^)┘こんちきちん♪」という祇園囃子が聞こえるようになる。前祭のこの期間は山鉾付近の通りが歩行者天国になっており、たくさんの人で大きなにぎわいを見せている。
山鉾の美しい装飾を間近で見られるほか、実際に山鉾の上に搭乗することも可能。山鉾町の中には宵山の期間に町屋の格子を外して屏風を飾っているところもある。また、厄除けのお守りとして粽(ちまき)や御札を販売している山鉾もある。
16日 献茶祭
表千家と裏千家が隔年交代で、八坂神社でお茶を点てて神前に供える。
16日 日和神楽(ひよりかぐら)
各山鉾町と四条御旅所(おたびしょ)の間を囃子方が祇園囃子を演奏しながら往復する。翌日の巡行の晴天を願う行事。
17日(前祭)・24日(後祭) 山鉾巡行
祇園祭りのメインイベント。前祭は計23基、後祭は計10基の山鉾がくじ取り式での順番に従って京都の街を練り歩く。巡行を終えて元の位置に戻った山鉾は即座に解体される。
くじ改め
巡行の開始直後のポイントで奉行(京都市長)によるくじ改めが行われ、各山鉾の代表者はくじ取り式で受けたくじ札を見せることで巡行が正しい順に行われていることを確認する。山鉾ごとに異なるくじ札の魅せ方も注目ポイント。
注連縄切り(しめなわきり)
長刀鉾が巡行の途中、稚児が四条麩屋町に張られた注連縄を太刀で切り落とす儀式。これにより神域の結界が切れ、山鉾が神の領域に進めるようになる。
辻回し
大型の山鉾が交差点に差し掛かった際、方向転換として行われる一連の所作。車輪の下に青竹を敷き、水をまいて車輪を滑らせることで向きを変える。迫力のあるかけ声と大きな山鉾が向きを変えていく様子は圧巻の一言である。
17日 神幸祭神輿渡御(しんこうさいみこしとぎょ)
八坂神社にある三基の神輿がそれぞれ所定のコースを通って四条御旅所に向かう。優雅な山鉾巡行と違って、男たちが神輿を「ホイットー!ホイットー!」と勇ましく担いでいくのが特徴。
24日 花傘巡行
十数基の傘鉾を中心に、稚児や芸舞妓、獅子舞に田楽といったメンバー総勢約1,000人による巡行。かつて前祭と後祭が合同で行われていたときに、後祭の代替として行われるようになった。
24日 還幸祭神輿渡御(かんこうさいみこしとぎょ)
三基の神輿が四条御旅所から八坂神社に向けて還っていく。神幸祭同様勇ましいかけ声がかけられるが、神輿から御神霊が本殿に戻るシーンは一転して物静かに進められる。
31日 疫神社夏越祭(えきじんじゃなごしさい)
八坂神社境内の疫神社鳥居に取りつけられた茅の輪をくぐり、厄を払って護符を授かる。これにて1ヶ月にわたって行われた祇園祭は終わりを迎えるわけである。
主な山鉾
ここでは数多くある山鉾のうち、「くじ取らず」で毎年決まった順番で巡行する9基の山鉾を紹介する。
ちなみに、屋根の上に真木(しんぎ)と呼ばれる長い鉾が立ち、その頂点に鉾頭がついているのが「鉾」で、真木の代わりに真松(しんまつ)と呼ばれる松の木を使用しているのが「山」である。山はさらに鉾に似た形をした大型の「曳山(ひきやま)」と、小ぶりで担棒をかついで運ぶ「舁山(かきやま)」に大別される。
長刀鉾(なぎなたほこ)
毎年、前祭の先頭を行く鉾。
生稚児が乗る唯一の鉾。鉾頭は疫病邪悪を祓う大長刀で、刃は御所や神社に刃向わないよう南を向いている。
函谷鉾(かんこほこ)
斉の孟嘗君が函谷関で家来に鶏の鳴き声を真似させることで関門を突破したという中国の故事にちなむ。
放下鉾(ほうかほこ)
鉾頭は日・月・星の三光を表す。稚児人形「三光丸」が乗っており、稚児人形ならではの可愛らしい舞を披露する。
岩戸山(いわとやま)
神話における「国生み」と「天岩戸」をモチーフにした山。屋形内には天照大神・手力男命・伊弉諾尊の3体の人形が神体として飾られている。
船鉾(ふねほこ)
日本書紀に記された神功皇后の新羅征討にちなんだ鉾。船頭に「鷁(げき)」という想像上の鳥を飾っている。
橋弁慶山(はしべんけいやま)
毎年、後祭の先頭を行く舁山。
北観音山(きたかんのんやま)
真木として立てる松の木は毎年2本用意されるが、南観音山とクジを引いてどちらが良い方を使うのか決めている。
南観音山(みなみかんのんやま)
元々は北観音山と隔年で巡行していたが、明治からともに毎年出るようになった。
23日深夜には、ご神体を神輿にくくりつけて町内を荒々しく駆け巡る「あばれ観音」が行われている。
大船鉾(おおふねほこ)
船鉾が新羅征討における出陣の船を表すのに対し、大船鉾は凱旋の船を表す。
1864年の蛤御門の変の際に焼失していたが、2014年に150年ぶりに復活。これにより1966年以来前祭と合同となっていた後祭が復活することとなった。
関連動画
関連静画
関連商品
関連リンク
関連項目
- 2
- 0pt