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単語記事: 福岡ソフトバンクホークス

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パシフィックリーグ
福岡ソフトバンクホークス
基本情報
創設 1938年
本拠地 福岡Yahoo!JAPANドーム
優勝回数
優勝 17回
日本一 5回
セ・パ交流戦優勝 3回
アジアチャンピオン 0回
経歴
南海軍(1938年-1944年途中)
近畿日本軍(1944年途中-1945年)
グレートリング(1946年-1947年途中)
南海ホークス(1947年途中-1988年)
福岡ダイエーホークス(1989年-2004年)
福岡ソフトバンクホークス(2005年-)
プロ野球球団テンプレート

いざゆーけー 無敵ーのー 若軍団ー♪

福岡ソフトバンクホークスとは、日本プロ野球パシフィック・リーグに属する球団である。本拠地は福岡ドーム福岡Yahoo!Japanドーム)、二軍・三軍は福岡市東区にある福岡市雁ノ巣レクリエーションセンター野球場

略称は「ソフトバンク」「ソフバン」「SB」「」など。スポーツ新聞などでは「ソフトB」「ソフト」と書かれることもある。帽子ロゴは「Sh」。
南海時代から二度の身売りを経ながら半世紀以上も同じチーム名を使い続けていることもあって、ファンの間では「ホークス」と呼ばれることの方が多い。

概要

親会社はソフトバンク株式会社。現在の監督秋山幸二2009年~)。

プロ野球明期からの長い歴史を持つ球団。時代と暗黒時代の落差がしく、強豪球団として毎年優勝争いをする時代と、弱小球団として万年Bクラスに沈む時代が数十年スパン回っている。他の球団とべても優勝監督長期政権を取る傾向にあり、南海時代の鶴岡一人は23年、ダイエーソフトバンク時代の王貞治は14年に渡って監督を務めた。

地元九州での人気は非常に高く、パ・リーグでは随一の観客動員数を誇る。所属選手にも九州出身者や九州高校大学社会チームを出た選手が多く、九州ブランドを重視している。また、かつて南海ホークスが本拠地としていた関西にも根強いファンが多い。イケメン選手が多いため、埼玉西武ライオンズほどではないが女性ファンの多い球団でもある。

日本一ホームランが出にくいと言われる福岡ドームを本拠地としながらも、ダイハード打線に代表されるような強打線を売りとしている。基本的に選手の任せの野球をするので、打線や投手歯車が噛み合えば手が付けられないほどの強さを誇るが、失速するとなかなか立ち直れない面がある。また近年は呪われているとしか思えないレベルで怪我人が多く、ほぼ毎年故障者の続出に悩まされている。

セ・パ交流戦を大の得意としており、過去7年間で優勝3回、通算で118勝69敗5分の勝率.631という圧倒的な強さを誇る(2位千葉ロッテマリーンズ100勝84敗8分の勝率.543であり、ゲーム差にして実に16.5差)。2011年には最高勝率記録となる勝率.818(18勝4敗1分)をマークするなど、セ・リーグの各球団から怖れられている(ただし阪神タイガースだけはほぼ互の戦績を残している。鷹虎決戦の項を参照)。毎年交流戦の時期は怪我人が少なく戦が揃っており、交流戦が終わってから怪我人の続出で失速し始めるのがお約束

ダイエー時代から使われている球団歌の「いざゆけ若鷹軍団」は福岡では県民歌のような扱いである。ダイエーからソフトバンクに球団が売却された際、福岡の商工会議所の会頭が孫正義オーナーとの宴席で「いざゆけ若鷹軍団」を歌い上げ、「この曲を変えたら福岡市全員を敵に回すと思って下さい」と脅した曲を変えないよう要望したという噂もある。福岡県民ならずとも、ダイエー時代にダイエー及び関連企業の店舗で飽きるほど聞いて覚えてしまった人も多いだろう。

ホークスオープン戦はほとんどヤフードームで行われる。たまに宮崎などでオープン戦をする場合があるが、2010年催試合全てがヤフードームと、ヤフードーム偏重な日程を組んでいる。九州で人気が高いだけに、もう少し九州オープン戦を開いてほしいところ。公式戦は北九州熊本(藤崎台)などで地方催試合を組む。一時期は東京ドーム催試合を開催していた。

ダイエー時代やソフトバンク身売り直後には年俸数億円の大物外国人を連れてくることが多かった。現在も選手に高額年俸の選手が多く、年俸総額はぶっちぎりでパ・リーグ1位である(2011年は31.6億円で12球団中2位巨人中日よりも高額であった)。その一方、一時期は大の複数年契約が重なったこともあって現有戦の高年俸だけでいっぱいいっぱいになり、補強には非常に消極的な球団になっていた。そのため、2010年オフからはベースを抑え出来高を重視した複数年制を導入。相次いで大補強を敢行するなど、フロントの方針に変化が見られる。秋の風物詩に業を煮やしたのが理由だけど。お金持ち球団のわりに戦流出が多いのはダイエー時代からの伝統である。

世界一の球団をす」と豪する孫正義オーナーは、球団にとっては「は出すが口は出さない」という理想のオーナーを地でいく存在であり、また大事な試合には頻繁に観戦に訪れ、勝利するとベンチに現れ大喜びしている姿がしょっちゅう見られる。2011年の優勝・日本一時には監督に続いて胴上げされるなど、選手からもされている様子。

かつて福岡西鉄ライオンズが本拠地としており、のちにダイエー福岡に進出したのちも、西武ライオンズGMをしていた根本陸夫を引き抜いて西武から工藤公康秋山幸二石毛宏典など選手を多数獲得して現在の強豪ホークスを作り上げるなど、埼玉西武ライオンズとは縁が深く、ホークスにとってはなかなかシーズンで勝ち越せなかった宿敵でもある。また南海時代に同じ関西を本拠地としていたオリックス・バファローズは、阪急ブレーブス時代から不思議といろいろな因縁がついて回っている(オリックス・バファローズの記事参照)。

2011年からは、若手選手の実戦経験の場を増やすため、育成選手を大幅に増やして本格的な三軍制を導入。プロ大学生との交流試合が解禁されたこともあり、地元九州大学社会チームや、四国アイランドリーグplusとの交流戦を行っている。

2012年からはニコニコ生放送にてホームゲーム72試合の無料配信を開始。映像日テレ+のものを使用している。

マスコット

ハリーホーク
(※ダイエー時代)

ハリーホークを筆頭に、「ホークファミリー」と呼ばれる12球団最多の総勢8体マスコットがいる。

1992年福岡ダイエーホークスが本拠地を福岡ドームに移した際に誕生。福岡ソフトバンクホークスとなった現在もカラーリングオレンジから黄色に変更して健在である。ただ人数が多すぎるせいか、ハリーホークはともかく他のホークファミリーに関しては他球団ファンからの認知度は高くない。

デザイナーイラストレーター坂井永年。本人もその縁でかホークスファンハリーホークの誕生秘話は本人のブログ記事にまとめられている。

前身は平和台球場時代に存在したホーマーホークら4体。ハリーはホーマーのという設定である。

歴史

南海軍~南海ホークス時代

1938年に南海として創設されたのが始まりで、以降近畿日本軍(旧近鉄バファローズとは何ら関係は無い)→グレートリングと改称が続き、1947年シーズン中に南海ホークスと改称された。この当時は大阪府を本拠としており、1950年には大阪球場が完成、当時は阪神タイガースぐ人気を誇り、名将・鶴岡一人監督、次いで選手兼任の野村克也監督のもと、1977年までほぼ毎年優勝争いをする強豪球団として名を馳せた。

しかし1977年途中に野村克也監督を解任されてからは戦が急に低下、万年Bクラスとなり、前々から在阪テレビ阪神タイガースへの偏向もあって球団の人気も低下。元から球団が赤字であったこともあり、1988年福岡再開発事業の一環としてダイエーへ売却される事が決定。名前も福岡ダイエーホークスとなった。

福岡ダイエーホークス時代

福岡にはかつて西日本鉄道が経営していた西鉄ライオンズが居たが、所謂黒い霧事件から人気が低下し、西武ライオンズ(→埼玉西武ライオンズ)となった経緯があった為、福岡の者にとっては約10年ぶりの在福球団となった事もあって歓迎ムードで迎えられた。1993年には日本一の面積を誇る福岡ドーム完成し、1995年から元巨人軍王貞治監督として迎えた……が、当のダイエーホークスは相変わらずの万年Bクラスであり、1996年には所謂生卵事件が発生する等何かと人気は出なかった。

しかしそんなチームを救ったのは元近鉄パールス所属で西武ライオンズの編成管理部長だった根本陸夫であった。根本西武ライオンズ時代、大トレードを手がけた事から「球界の寝業師」として辣腕をふるっているが、ホークス監督1994年まで勤め上げた後、強行名や太いパイプを駆使し、時には親会社まで動かし、西武ライオンズから秋山幸二(現監督)をいわゆる世紀のトレード秋山渡辺智男・内山佐々木村田勝喜・橋本武広の3対3。秋山佐々木はどちらも球団の看選手同士であった)で、工藤公康FAで獲得。チームに蔓延していた負け犬根性を払拭するとともに、ドラフトでは小久保裕紀城島健司藤井将雄井口資仁松中信彦柴原洋斉藤和巳といった後の選手を多数獲得、強豪ホークスの礎を作り上げた。その功績は「根本マジック」として伝説となり、今でも昔からのホークスファンの間ではとなっている(残念ながら根本氏は1999年4月末に死去されている)。

1999年にはダイエーホークスとして初のリーグ優勝を果たし、中日ドラゴンズも破り日本一く。続く2000年リーグ2連覇を達成。この年、前年に中継ぎエースとして活躍した藤井将雄が病に倒れる。リーグ制覇の胴上げの中、若田健一の持った背番号15のハリー人形の姿は感動を呼んだ。チームV2を見届けた藤井は現役選手のまま肺で逝去。日本シリーズではFA移籍した工藤の所属する巨人に2勝4敗で敗れた。

2003年には小久保が開幕前に怪我で離脱するが、それに伴う打順の組み替えがピタリと嵌り、チーム打率.297(日本記録)という圧倒的破壊の打線と、四本柱と呼ばれることになる斉藤和巳杉内俊哉和田毅新垣渚の揃った充実の投手リーグを独走で制覇。日本シリーズでは阪神タイガースに4勝3敗で勝利し日本一となっている(余談であるが、1999年中日2003年阪神監督星野仙一である)。しかしこの年のオフ小久保が不可解な無償トレードで巨人に移籍。さらに村松有人FAオリックスに移籍(「天然芝の球場でプレーしたい」という名だったが、実際はフロントへの不信感からの移籍だったと言われている)と、フロントと選手間の溝が浮き彫りになる。

そして2004年近鉄オリックスの合併に伴う球界再編の動きの中、親会社のダイエーの経営悪化により、一時はロッテとの合併の噂まで持ち上がる。結局ダイエーは球団経営から撤退、ソフトバンクが球団経営権を引き継ぎ、福岡ソフトバンクホークスが誕生した。

福岡ソフトバンクホークス時代

2005年(89勝45敗2分、1位2位)「ストロングホークスと秋の風物詩」 監督:王貞治

球団売却と前後しての流出が相次ぎながらも厚い選手層で優勝争いを続けていたが、2004年から始まったプレーオフの悲劇がホークスを襲う。2004年レギュラーシーズン1位通過するも、プレーオフ2勝3敗で西武ライオンズに敗退。これが全ての始まりだった。

ソフトバンク1年となる2005年は、FA大村直之、新外国人としてトニー・バティスタとホルベルト・カブレラを獲得。退団した井口資仁を埋めて余りある大補強をもって迎えた。

その分厚い戦通り、シーズンはほぼ順満帆だった。投手タイトルをほぼ総なめにする大活躍を見せた杉内俊哉を筆頭に、斉藤和巳和田毅新垣渚の四本柱が揃った先発に加え、シーズン中に馬原孝浩が守護に定着。打線も二冠王の松中信彦、打撃3部門全て2位の活躍を見せたフリオ・ズレータら中軸に加え前年テスト入団の宮地克彦らが脇を締め、圧倒的な強さで勝ち続けた。最終的に89勝45敗の勝率.664、積み上げた貯は実に44最強打線を誇った2003年に勝るとも劣らない最強チームだった。

……のだが、1勝のアドバンテージを得られる2位との5ゲーム差に僅かに届かず(4.5ゲーム差)、終盤に自打球で戦線離脱した城島を欠いたプレーオフでは、またしても2勝3敗で今度はコバマサナイト千葉ロッテマリーンズの前に敗れ去る。プレーオフさえなければ3連覇を果たしていたはずだったのに、どうしてこうなった……。どうしてこうなった!

2006年(75勝56敗5分、3位)「エース・斉藤和巳」 監督:王貞治→森脇浩司(代行)

城島健司FAメジャー移籍し退団。加えて前年3番打者を務めたトニー・バティスタを解雇したため、1点を確実に取りに行くスモールベースボールへの転換を掲げて迎えたシーズン。しかし、開幕前に第1回WBC監督を努めた王貞治監督シーズン中に倒れ、森脇浩司監督代行の下での戦いとなる。

斉藤和巳を筆頭とした投手の奮闘で、西武日本ハムと三つの熾な優勝争いを繰り広げるが、バティスタに代わる3番打者を結局シーズン通して固定できず、加えて城島の抜けた打線は破壊を欠き、スモールベースボールは単なる貧打に終わった。結局終盤に息切れして最後の最後に6連敗、3位でシーズンを終える。

プレーオフでは2位西武に勝利する(ちなみにこれが2011年CSを突破するまで一のプレーオフCSでの勝ち上がりであった)ものの、日本ハムの勢いの前に屈し敗退。第2戦、0-1のサヨナラ負けで敗退が決まった間、マウンドに崩れ落ちて立ち上がれなくなった斉藤和巳の姿は彼がすっかり見えなくなってしまった今もホークスファンの瞼に焼き付いている。

2007年(73勝66敗5分、3位)「机上の空論」 監督:王貞治

4年前、不可解な無償トレードで巨人放出された小久保裕紀FAチームに復帰。トレードで多村仁ヤクルトを退団したリックガトームソンを獲得。大物ルーキー大隣憲司も加わり、圧倒的優勝候補とされた。

が、シーズンが始まってみれば多村小久保とも期待されたほどの打棒は見せられず、中に至ってはレギュラー定着後最低の数字となる大不振に陥り、球界最強クリーンナップのはずだった「TMK」は見事に回った。川崎宗則が故障で長期離脱、さらにエース斉藤和巳が肩を痛めて本来の投球ができず、新垣渚は暴投王ARAKAKIと化す。ガトームソンはドーピング違反騒動を起こし、大隣ルーキーとしての期待に応えられず、前年リリーフで奮闘した藤岡好明瀬明宏は不調で結果を残せずに終わる。

杉内俊哉が復活、馬原孝浩セーブ王き、水田章雄リリーフとしてフル回転するなどしたものの、結局チームは波に乗れないままレギュラーシーズン3位に終わり、クライマックスシリーズでは2位千葉ロッテ敗北4年連続プレーオフ敗退となった。

2008年(64勝77敗3分、6位)「時代の終焉」 監督:王貞治

王貞治監督ラストシーズンとの覚悟を持って臨んだ2008年。しかし斉藤和巳が開幕前の手術で結局シーズンを棒に振り、和田原、大村小久保を故障で欠いて開幕を迎える。

開幕戦は楽天柴原洋の逆転サヨナラ3ランで勝利するという劇的な形でスタート小久保の復帰や、松田宣浩久米勇紀ら若手の台頭もあり、セ・パ交流戦では熾なデッドヒートを制し、ソフトバンクとなってから初の「優勝」を手にする。

しかし交流戦後は、前年から続く故障禍、リリーバテ、北京五輪への派遣などで戦が低下。西武にじわじわと引き離されながらもなんとかCS内は確保し続けていたが、9月に入ると糸が切れたように記録的な大失速。く間に順位を転がり落ち、9/24の本拠地最終戦に敗れ11年ぶりのBクラスが確定。その後は楽天と一進一退の最下位争いを続けたが、最終戦の直接対決に延長12回サヨナラで敗れ、1996年以来12年ぶりの最下位に沈むことになった。

野球板的には「ドミンゴwwwwwwwww」で始まり、プロブロガーが誕生し、ストレート 140km/h 真中中央 ゴロ(二併打)で終わるという色んな意味で濃い年であった。

この年、1995年から14年間監督を務めた王貞治監督が、体調不良と成績不振を理由に退任を表明。後任には総合コーチ秋山幸二が昇格し、2009年からは秋山監督のもとチーム再建に挑む事になった。

2009年(74勝65敗5分、3位)「新生ホークスといつものホークス」 監督:秋山幸二

秋山政権1年リリーの立て直し、城島移籍以来固まらない正捕手の固定、3番打者不在の解消など課題を多く抱えて開幕を迎える。多村が開幕前に当然のように離脱、開幕戦では新3番打者のはずだった松田折と不穏なスタートを切り、開幕からしばらくは勝率5割前後をうろうろし続けた。

しかし、松田の離脱によって急遽獲得したホセ・オーティズが抜群の勝負強さで長年の懸案だった3番打者に定着。さらに3年長谷川勇也が一時は首位打者争いをするなど覚醒田上秀則が攻守両面で大きな成長を見せ城島移籍以来最大のウィークポイントだった正捕手問題に決着をつけるなど、打のニューヒーローが続々と登場。投手も、前年の弱点だった救援ルーキー攝津正と新外国人ブライアン・ファルケンボーグが加わり、守護馬原孝浩へ繋ぐ勝利の方程式SBM」が確立した。

多村松田が復帰した交流戦では不動のオーダーと盤石の投手で快進撃を続け連覇を達成、一気に日本ハムとの首位争いに参戦した。が、交流戦の終わり頃から場にかけて、和田松田オーティズらが立て続けに故障離脱。先発の駒不も露呈し、終盤には投げすぎの影ファルケンボーグの離脱と原の大炎上SBM空中分解9月に入ってハムが失速した際もお付き合いしてしまい、結局猛な追い上げを見せた楽天に抜かれ3位に終わった。

え、CS?そんなもの無かったよ。

2010年(76勝63敗5分、優勝したけどCS敗退)「奇跡と悲劇」 監督:秋山幸二

シーズン開幕前にシアトル・マリナーズに移籍していた城島健司日本球界に復帰すると発表。古巣であるホークスが獲得に名乗り出るかと思われたが、なぜか見送った。田上ェ・・・
ちなみに城島本人はソフトバンクからオファーがあれば、最優先で受けるつもりだったとのこと。

シーズン開幕後には中、田上長谷川ホールトンらが不振に陥ったものの、前年4勝の和田が復活し内とともに勝ちのデッドヒートを繰り広げ、SBMを擁するリリーには甲藤啓介が加わりSBM48としてさらに盤石となる。打線も川崎小久保が開幕から好調でチームを牽引し、松田小久保が離脱してからも多村仁志がスペらず打線の核として奮闘。途中加入のロベルト・ペタジーニも打線のを埋め、西武ロッテと熾な優勝争いを繰り広げる。西武ドームでの西武戦が大の苦手だったために、一時期西武に突き放されるが、途中入団の金澤健人、4年森福允彦らが台頭して12球団最強リリーを形勢し西武に追いすがった。

9月に入ると例年通り失速。西武マジックも点し、今年もここまでかと誰もが思った、残り6試合から奇跡が起こる。福岡ドームでの西武との最終3連戦を、全て逆転で3連勝。3.5ゲーム差を一気にひっくり返し、残り2試合でマジック2を点させる。9月25日日本ハム戦で内がダルビッシュに完封で投げ勝ちマジック1。そして翌日、デーゲーム西武が敗れたため楽天との最終戦の試合中に7年ぶりのリーグ優勝が決まった。最終的に西武とのゲーム差は0、勝率2厘差(ソフトバンク.547、西武.545)という大接戦のシーズンを制し、チームは歓喜の美に酔った。

が。1勝のアドバンテージを得て迎えたクライマックスシリーズでは、驚異的な勝負強さで勝ち上がってきた3位ロッテを迎え撃ち、3勝1敗で王手をかける。しかし打線の不振は明らかであり、チームを優勝に導いた原動であった内や攝ファルケンボーグが打たれ、大手をかけた状態からまさかの3連敗。6度の挑戦にして、またしても日本シリーズの夢はホークスの手からするりと逃げていった。もはや呪いと言っていいこの悪夢を振り払えるのはいつになるのか……。

2011年(88勝46敗10分、完全優勝・CS制覇・日本一)「無敵の若鷹軍団」 監督:秋山幸二

ついにフロント秋の風物詩に業を煮やし、数年ぶりの大補強に打って出た。内川聖一細川亨FAで入団。さらにオリックスを退団したアレックス・カブレラを獲得。FA宣言した多村仁志が残留したため戦の流出もなく、小久保中・内川オーティズカブレラのうち最低でもひとりは必ずベンチになるという豪勢な野手が揃うことになった。一方、投手は「右の先発」という明確な弱点に対して補強はせず、不振だったホールトンの残留と攝津正先発転向でまかなう方針をとった。

甲藤啓介キャンプで離脱した以外はほぼベストメンバーを揃えて開幕を迎えると、統一球の導入を味方につけて投手無双状態に突入。前年、駒不に苦しんだ先発は、ホールトンの完全復活、攝津正の転向の成功、山田大樹岩嵜翔の台頭で12球団最強と化した。4月19日から5月15日まで22試合連続QS達成5月までチームQS9割という驚異の先発無双で、前年まで酷使無双だった中継ぎの負担が減るどころか敗戦処理組が失業状態に。

と攝の抜けたリリーフは、開幕から原が絶不調で二軍落ち、同時期にファルケンボーグも一時離脱するなど普通ならガタガタになりそうな状況だったが、前述の先発無双に加え森福允彦金澤健人がしっかりとを埋め、SBM48の解体を感じさせない定感を誇った。打線は4番に座るカブレラが不振に陥ったものの、3番に入った内川聖一が打ちまくり、本多雄一とともに打線を牽引。また松田宣浩が統一球をものともせず本塁打を量産し覚醒の気配を見せる。

日本ハムと同率首位で得意の交流戦に突入すると、交流戦史上最高勝率となる18勝4敗2分の勝率.818をマークするなど圧倒的な強さで勝ちまくり、3度交流戦優勝を果たした。しかしどれだけ勝っても日本ハムが追いすがり、3ゲーム差の一騎打ち状態でリーグ戦へ戻ることに。

交流戦の終盤から、故障者が続出。交流戦MVP内川に加え、多村オーティズが離脱、カブレラも故障を抱えた状態での出場になる。7月に入ると多村オーティズが復帰したものの、福田秀平カブレラ細川田上秀則原が立て続けに故障で二軍落ちするというスクランブル状態に陥る。が、5月までは代打に甘んじていた松中信彦内川の代役の3番打者として奮闘しチームを牽引するなど、大補強による層の厚さがそれを補った。一度は日本ハムに首位を明け渡したものの、交流戦後も勝ち越し、貯24を積み上げて日本ハムと同率首位で前半戦を終えた。

後半戦が始まっても交流戦の勢いそのままに、オリックス戦で3タテを2回されつつも順調に勝ちを積み重ねていった。ローテーションを回すかのように故障者が復帰しては新たな故障者が生じていたが、補強に加え福田秀平明石健志ら若手も台頭する選手層の厚さでそれを乗り切り、投手も崩れることなく、常に隙の無い戦いで首位を守った。

ぴたりと2位で追いすがっていた日本ハムが、8月下旬、梨田昌孝監督の退任報道をきっかけに大失速。ゲーム差が一気に広がり始め、9月17日についに優勝マジック17を点させる。その後はそのまま連敗することなく着々とマジックを減らし、10月1日マジック1で迎えた西武戦に勝利し、見事リーグ2連覇を達成する。西武ドームでの試合だったが、秋山監督孫正義オーナー川崎小久保内川の胴上げが行われ、ライトスタンドからはいざゆけ若鷹軍団大合唱。球場内は歓喜の輪に包まれた。

また、リーグ制覇の10月1日以後、中止の1試合を除き連勝を続けたホークスは、10月10日オリックス戦に勝利し、ペナントレースを通して他の全ての11球団(交流戦も含む)に勝ち越す、史上初の完全優勝を達成した。最終的に88勝46敗10分、積み上げた貯42勝率.657という、2005年に匹敵する勝ちっぷりで、2位日本ハムに17.5ゲーム差をつける圧勝であった。

迎えたクライマックスシリーズ1stステージ日本ハムを撃破した西武を迎え撃つ。シーズンでは15勝5敗4分と圧勝した相手だが、昨年と同じギリギリで3位に滑り込み勢いに乗るチームということで秋の風物詩の不が高まる。しかし第1戦を、内川聖一の先制打などで4-2で勝利すると、第2戦では秋の風物詩徴であった松中信彦代打満塁ホームランを放ちの不を完全に粉砕。第3戦では杉内俊哉涌井秀章の熾な投げ合いの末、延長10回に一度はリードされるも長谷川勇也タイムリーで追いつき、延長12回表を抑え引き分け以上が確定してついに悲願の日本シリーズ進出が決定。最後は長谷川サヨナラ打を放って無敗の3連勝で花を添え、長年苦しめられた短期決戦の呪縛をついに解き放った。

中日ドラゴンズとの日本シリーズでは、下評では圧倒的優勢とされたが、本拠地での第1戦、第2戦とも1-1の延長10回に原が打たれて連敗、いきなり苦境に立たされる。しかしナゴヤドームに移った第3戦を攝の好投や第2戦まで絶不調だった多村本塁打、抑えをファルケンボーグスイッチするなどで勝利すると、第4戦では森福允彦が無死満塁ピンチを切り抜ける「福の11球」、そしてとどめのファルケンボーグ8・9回連投で、勢いに乗って敵地で3連勝、王手をかける。が、福岡に戻っての第6戦を落とし3勝3敗、誰も予想だにしなかった外弁慶シリーズに。そして運命の第7戦、杉内俊哉の好投、打線も川崎小林の球を見切り満塁押し出しで先制したのを皮切りに、山崎の適時打と中のホームインなどで3点を獲得、最後は9回ファルケンボーグピッチャー強襲退場と言うアクシデントが発生するも、福→攝リレー封。3-0で勝利し、4勝3敗で8年ぶりの日本一を達成した。

アジアシリーズではベテランが欠場し若手体で挑んだが、決勝で韓国の三ライオンズに敗れた。

2012年(???) 監督:秋山幸二

1999年オフには工藤公康FA巨人に移籍、2003年オフには小久保裕紀の無償トレード事件に加え村松有人FAオリックスへ移籍……と、日本一オフには予想だにしないの流出があるという嫌なジンクスは健在であった。既定路線であった和田毅川崎宗則メジャー挑戦に加え、杉内俊哉D.J.ホールトン巨人に移籍。3人で43勝を挙げたローテ投手3人と不動の正遊撃手が一気に抜けるという異常事態レベルの戦流出に見舞われる。

先発ローテのを埋めるべく、西武から帆足和幸FAで、また前年MLBで11勝を挙げたブラッド・ペニーを総額750万ドルという契約で獲得。野手ではメジャー通算84発の実績を持つウィリー・モー・ペーニャを獲得した。また開幕前に馬原孝浩が右肩の手術で姿を消したため、リリーフの埋めとして岡島秀樹を獲得。

故障者

2008年シーズンの主な故障者

この他にも二軍選手にも多くの故障者を抱えていた。


2009年シーズンの主な故障者

この他にも松中信彦満足に走れないほどの膝の状態ながら強行出場を続けていたりした。


2010年シーズン故障者リスト


2011年シーズン故障者リスト


2012年シーズン故障者リスト(☆は離脱中)


故障者が多いのはスペ様の伝染スペランカー病蔓延説が有である・・・といわれているが、実際には起用法の問題や固い人工芝のせいであると言われている(なお福岡Yahoo!Japanドームの人工芝は2009年開幕前にやわらかく自然芝に近いフィールドターフにり替えられた)。

常勝軍団再建には故障者を減らす努が何より大切なのかもしれない。……と思っていたら2011年は補強と若手の台頭で「故障者が出ても何ともないぜ」という選手層の厚さで圧勝した。もはや故障者が多いのは運命として受け入れる方針なのかもしれない。日本シリーズ原の不調、ファルケンボーグの負傷と言ったアクシデントが起きても持ち堪えたのは、この選手層の厚さの徴ともいえる。

2008/09/24ニコニコ生放送

2008年9月24日ニコニコ生放送において、Yahoo!動画との提携により初の野球中継が実現。対戦カード福岡ソフトバンクホークスvsオリックス・バファローズだった。

奇しくも前日、ソフトバンク王貞治監督が今期限りでの退任を表明。当該試合はソフトバンクの今季本拠地最終戦であるとともに、王監督政権下での本拠地最終戦ともなった。また、前日の段階で埼玉西武ライオンズリーグ優勝マジックを1としており、同日のロッテ戦に西武が勝つか、2位オリックスがこの試合に敗れるかで西武リーグ優勝が決まるという試合でもあった。こんな試合を引き当てたのは偶然か、はたまた運営の強運か?

先着1万名限定との告知だったが、実際には延べ4万人が視聴、総コメント数は35万を突破する盛況ぶりを見せ、荒らしなどの問題はあったものの中継自体は概ね好評を得た模様である。

なお、試合は4-1でオリックス・バファローズが勝利。西武ロッテに敗れたため、西武の優勝決定は26日の日本ハム戦に持ち越されることになった。ソフトバンクは王監督の本拠地最終戦で飾れず6連敗。この敗戦で11年ぶりのBクラスが確定することとなった。また、試合後の王監督の退任セレモニーも合わせて中継された。

余談であるが、動画上部にときおり現れる運営コメントはややホークス寄りであった(ホークスの攻撃時、フェンス際への大飛球に「惜しい」とのコメントのあと、「そして、セーフ」と後付けのフォローが入っていた)。

この中継の成功が、現在の東北楽天ゴールデンイーグルスとの提携に繋がった……のかもしれない。そして2012年からは、ホークスホームゲームニコニコ生放送無料配信されることとなった。

大百科に記事のある所属選手・首脳陣

首脳陣

一軍 二軍・三軍

所属選手

投手 捕手 内野手 外野手

球団スタッフ

OB・移籍選手・関係者(南海・ダイエー時代を含む)

あ行 か行
さ行 た行
な行 は行
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ページ番号: 503970 リビジョン番号: 1535815
読み:フクオカソフトバンクホークス
初版作成日: 08/08/28 23:43 ◆ 最終更新日: 12/05/22 16:20
編集内容についての説明/コメント: 故障者リスト更新
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福岡ソフトバンクホークスについて語るスレ

306 : ななしのよっしん :2012/04/26(木) 23:15:36 ID: YHfHhoOvqx
ベリーグのごときにホームで負け越しかよ・・・
307 : ななしのよっしん :2012/05/06(日) 10:17:40 ID: 6IyqpdkhJn
ハム相手だと調子が良く、ロッテ相手だと見事に不調
わかりやすい三すくみだな

若手が頑ってることだし、故障者がこれ以上増えなければ戦っていけるね
308 : ななしのよっしん :2012/05/09(水) 01:08:46 ID: QMRvpWAkZx
お笑い外国人歴史がまた1ページと聞いて
309 : ななしのよっしん :2012/05/09(水) 02:00:15 ID: Jb6BhDHbUD
>>305
今となっては恥ずかしい・・・
310 : ななしのよっしん :2012/05/10(木) 12:51:44 ID: EU1zwjZVfq
わずか64球でソフトB退団のペニー「米国に帰ってきて最高!」
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20120510-00000023-dal-base

ここまでの糞人はミセリ以来かね
311 : ななしのよっしん :2012/05/10(木) 23:21:59 ID: pKggWSQBY3
>>310
これは酷い
フロントも何でこんなヤツ連れて来たんだろ。
312 : ななしのよっしん :2012/05/11(金) 00:34:42 ID: KC/bMzYqUg
まさに「」人だな。
ここまでこの言葉が似合うもそう滅多にはおらんぞ。
313 : ななしのよっしん :2012/05/11(金) 15:48:31 ID: 91iJCcVMRz
グリーンウェルやミセリと並ぶね、NPB史上で
打者とはいえペーニャという良い助っ人が引き立つ
ペニーはむしろ7千万位で切れてよかったんじゃない

※306
対戦相手を○○ごときとかいう態度はアカ
314 : ななしのよっしん :2012/05/12(土) 17:44:09 ID: zO7kCRO0xa
ロッテ相手に全然勝てない件
に負けはつかなかったけど、福が引っり込まれたな

は続く
315 : ななしのよっしん :2012/05/18(金) 14:22:08 ID: TUe8z5TYtS
2010年のところが王手じゃなくて大手になってます

誰か修正おねがいします
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