私人間効力論(しじんかん・こうりょくろん)とは、私人と私人の間、つまり私人間(しじんかん)の争いにおいて、憲法が私人に対して効力を発揮するかどうかを論ずることである。
私人・間(しじん・かん)であって、私・人間(し・にんげん)ではない。
概要
定義
日本国憲法第98条で示されるように、憲法は政府と私人の間の争いにおいて政府に対して効力を発揮する法規であり、政府の行動を規定して政府の権力を制限する法規である。政府が私人Aの基本的人権を侵害したのなら、裁判所が違憲と判断して政府の行為を取り消す。
それに対し、憲法は私人と私人の間の争いにおいて私人に対しても効力を持つのではないか、私人Bが私人Aの基本的人権を侵害したのなら裁判所が違憲と判断して私人Bの行為を取り消すことが可能ではないのか、という論議が沸き起こってきた。
20世紀以降になって、国家の中の私的な大規模組織(政党・民営企業・労働組合・私立学校・宗教団体など)が増えてきて、社会的権力を持った強大な私人が出現してきた。そうした存在が行う人権侵害に対して憲法が対処するべきではないか、という声が増えてきた。
憲法が私人と私人の間において私人に対して及ぼす効力のことを私人間効力といい、私人間効力がどのような形態を取るべきか論ずることを私人間効力論という。
直接適用が可能な日本国憲法の条文
日本国憲法の中で、以下に挙げる6つの条文は、直接的に私人に対して適用することが可能とされている。特に法律が制定されていなくても憲法の条規をそのまま適用できる。
第15条第4項 | すべて選挙における投票の秘密は、これを侵してはならない。選挙人は、その選択に関し公的にも私的にも責任を問はれない。 |
第18条 | 何人も、いかなる奴隷的拘束も受けない。又、犯罪に因る処罰の場合を除いては、その意に反する苦役に服させられない。 |
第24条第1項 | 婚姻は、両性の合意のみに基いて成立し、夫婦が同等の権利を有することを基本として、相互の協力により、維持されなければならないい。 |
第26条第2項 | すべて国民は、法律の定めるところにより、その保護する子女に普通教育を受けさせる義務を負ふ。義務教育は、これを無償とする。 |
第27条第3項 | 児童は、これを酷使してはならない。 |
第28条 | 勤労者の団結する権利及び団体交渉その他の団体行動をする権利は、これを保障する。 |
この中で最も分かりやすいのは第15条第4項である。私人Aが私人Bに対して「Bが候補者Cに投票し、候補者Cが東京都知事に当選して間違った政治をしたのでAは大損害を被った。ゆえにAはBに対して損害賠償の責任を取らせる」といった内容の訴訟を起こしたとき、裁判所は法律が制定されていなくても憲法第15条第4項を直接的にAに対して適用し、Aの訴えを退けることができる。
私人間効力論の3種類
日本国憲法の中の、すでに挙げた6つの条文以外の条文の中で人権を保障する条文のことを、ここで仮に「憲法の一般的人権保障条文」と表現する。憲法の一般的人権保障条文は私人間効力を持つのだろうかという議論は常に活発に行われている。
憲法の一般的人権保障条文の精神を受け継いだ法律が制定されることがある。例えば労働基準法第3条で、憲法第14条第1項や憲法第19条や憲法第20条第1項の精神を受け継いだ法律である。そうした法律がある場合は、私人と私人の争いが起こったときに私人に対してその法律を適用すればよい。
しかし、国会は1年に7ヶ月ほどしか開かれておらず、国会が法律を制定するときには熟議を行わねばならないので、国会が制定できる法律には限りがある。
憲法の一般的人権保障条文の精神を受け継いだ法律が制定されていない状況で、憲法の一般的人権保障条文が私人間効力を持つかどうかについて、3つの考え方がある。
無適用説(無効力説) | 憲法の一般的人権保障条文は私人間効力を持たない。 |
間接適用説(間接効力説) | 憲法の一般的人権保障条文は間接的な私人間効力を持つ。民法第1条や民法第90条や民法第709条のような法律を適用しつつ、裁判所が判決文の中で違憲性を指摘して、憲法を私人に適用することができる。 |
直接適用説(直接効力説) | 憲法の一般的人権保障条文は直接的な私人間効力を持つ。法律を制定せず憲法の条規を私人に直接適用することができる。 |
この中で間接適用説が通説とされている。
3つの私人間効力論の長所と短所
私人間効力論には3種類あるが、どれにも長所と短所がある。
無適用説(無効力説) | 長所 | 「私人と私人の間の問題は憲法が解決するものではなく、民法や商法といった私法によって解決すべきだ」という私的自治の原則や「私人同士はどのような契約を結んでもよい」という契約の自由の原則を尊重できる。「政府は私人に干渉せず私人の自由を尊重すべきだ」という消極的国家観を維持でき、「政府からの自由」という人権の本質を尊重できる。 |
短所 | 社会的権力を持った強大な私人(政党・民営企業・労働組合・私立学校・宗教団体など)が私人の人権を侵害することを防止できず、私人の人権を十分に保護できない。 | |
間接適用説(間接効力説) | 長所 | 私的自治の原則や契約の自由の原則を尊重しつつ社会的許容性の限度を超える人権侵害を防止することができ、適切な調整を図ることが可能である |
短所 | 法律行為ではなく純然たる事実行為で人権侵害を行う案件では民法第90条を用いての間接適用が難しい。 | |
直接適用説(直接効力説) | 長所 | 社会的権力を持った強大な私人(政党・民営企業・労働組合・私立学校・宗教団体など)が私人の人権を侵害することを防止できる。私人の人権を十分に保護できる。 |
短所 | 私的自治の理念に反し、「政府が私人の面倒をすべて見るべきだ」という積極国家観が優勢になり、全体主義国家に近づいてしまう。「政府からの自由」という人権の本質を軽視することになる。 |
ごく簡単に言うと次のようになる。無適用説は自由主義が強くなりすぎて私人の人権保護がおろそかになるという欠点があり、直接適用説は全体主義が強くなりすぎて私人の自由が減ってしまうという欠点がある。間接適用説は無適用説と直接適用説の中間に位置する。
関連項目
- 憲法
- 間接適用説(間接効力説)
- 法律に関する記事の一覧
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