種子島忠時(たねがしま・ただとき)とは、
1.種子島忠時(1468-1536 種子島家12代当主)
種子島時氏の嫡男。弟に種子島朝時、種子島時祇。子に種子島恵時、蒲生茂清、種子島時述がいる。
1500年、室町将軍弓術の師・小笠原政清(細川ガラシャの介錯を務めた小笠原秀清の曽祖父)の高弟である武田光長という人物を弓の指南役として種子島に招き、指示を仰いだ。
翌年の1501年より宮中の「御的始式」を島で行った。これが現代に伝わる「大的始式」である。
忠時は弓以外にも蹴鞠や茶道などの京文化を島に積極的に取り入れた。
また、琉球王・尚真の許可を得て、琉球と交易を行うなど国内外との交流を積極的に展開し、種子島家の発展の礎を築いた。
島津家とも交友関係を結ぶなどし、発展の礎だけではなく、領国内の安定化に努め、歴史の表舞台に立つ下準備を整えた。
補足
「信長の野望」(PC)シリーズにおける種子島忠時の能力一覧。
軍事能力 | 内政能力 | |||||||||||||
戦国群雄伝 | 戦闘 | - | 政治 | - | 魅力 | - | 野望 | - | ||||||
武将風雲録 | 戦闘 | - | 政治 | - | 魅力 | - | 野望 | - | 教養 | - | ||||
覇王伝 | 采配 | - | 戦闘 | - | 智謀 | - | 政治 | - | 野望 | - | ||||
天翔記 | 戦才 | - | 智才 | - | 政才 | - | 魅力 | - | 野望 | - | ||||
将星録 | 戦闘 | - | 智謀 | - | 政治 | - | ||||||||
烈風伝 | 采配 | - | 戦闘 | - | 智謀 | - | 政治 | - | ||||||
嵐世記 | 采配 | - | 智謀 | - | 政治 | - | 野望 | - | ||||||
蒼天録 | 統率 | 34 | 知略 | 34 | 政治 | 48 | ||||||||
天下創世 | 統率 | - | 知略 | - | 政治 | - | 教養 | - | ||||||
革新 | 統率 | - | 武勇 | - | 知略 | - | 政治 | - | ||||||
天道 | 統率 | - | 武勇 | - | 知略 | - | 政治 | - | ||||||
創造 | 統率 | - | 武勇 | - | 知略 | - | 政治 | - |
2.種子島忠時(1612-1654 種子島家17代当主)
父が死んだ時は種子島氏断絶ほぼ確定であったが、側室が妊娠推定2ヶ月と判明されたため断絶を免れる。
のちに忠時が誕生し、断絶は免れたものの、種子島の所領は実質薩摩藩の直轄地となり、独立性を喪失した。
江戸幕府将軍の徳川秀忠・徳川家光父子への使者を務めたり、種子島が薩摩藩の重要政治犯罪人の流刑地に指定されると、監視役として任されるなど重要な任務を与えられた。
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