紀伊とは、日本の旧国名のひとつ。現在の和歌山県(一部三重県)の範囲を指す。
曖昧さ回避
- 紀伊半島 - 近畿地方の南部に位置する日本最大の半島。この区分では和歌山県に加え三重県・奈良県の一部も含まれる。
- 紀伊駅 - 和歌山県和歌山市にあるJR阪和線の駅。
- 紀伊(紀伊型戦艦) - 旧日本海軍が八八艦隊計画で建造しようとした紀伊型戦艦のネームシップ。ワシントン海軍軍縮条約の影響で建造は中止された。
- 紀伊(大和型戦艦) - 旧日本海軍が建造しようとした大和型戦艦の4番艦。実際には111号艦の名で呼ばれており、「紀伊」の名称については下記の超大和型の関係もあって諸説ある。起工はしていたが太平洋戦争開戦を前に工事が中断し、結局建造が中止された。
- 紀伊(超大和型戦艦) - 旧日本海軍が大和型の次に建造しようとした超大型戦艦。大和型を超える排水量と46センチ砲を超える51センチ砲を搭載する計画だったといわれるが諸説ある。計画のみで建造はされなかった。
- 紀伊(列車) - かつて運航していた寝台列車。
- 紀伊(モンスト) - スマホアプリ『モンスターストライク』に登場するキャラクター。51cm主砲から、上記4をモデルにしたと思われるキャラクター。単語記事→『紀伊(モンスト)』参照
※記事が独立しました。
概要
古くから木材の産地として知られ、また、平安時代には熊野三山が開かれ、また、空海も真言宗の修業の場として高野山を開くなど、宗教的にも重要な土地となった。
これら宗教関連の文化財が集中する熊野古道は世界遺産にも登録されている。
戦国時代
戦国時代の紀伊国は雑賀や根来などの独自勢力が割拠する状態になり、統一勢力は現れなかった。しかし、それぞれの独自勢力は大量の鉄砲を備えるなど規模に反して強力な戦力を持っており、あの織田信長も手を焼いている。
豊臣秀吉と徳川家康が戦った小牧長久手の戦いの裏側では紀伊の勢力が秀吉の背後を脅かすなどの行動も行っていた。最終的には豊臣秀吉の紀州征伐により諸勢力は平定された。
また、戦国期の紀州高野山は、失態を犯した武将たちや滅ぼされた大名を追放する場所でもあった。織豊政権時には織田家豊臣家の重臣や小田原討伐で降伏した北条家の当主が送られている。関ヶ原の戦いの後には信濃で徳川軍と戦った真田昌幸・信繁親子が高野山付近の九度山に送られている。
江戸時代
江戸時代中期の元禄期には有名な商人である紀伊国屋文左衛門も生まれている。紀州徳川家から八代将軍徳川吉宗が輩出されたのは非常に有名である。
明治時代
版籍奉還により紀州藩は和歌山藩に改称され、廃藩置県により廃止された。さらに県の統合が進み、現在の和歌山県となった。
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関連項目
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