芳賀ゆいとは、若き日の伊集院光Pが発掘した『未確認アイドル』である。
※もしかして
概要
1974年4月15日、兵庫県神戸市生まれ。東京都国分寺市育ち。本名、樋口麻紀子(ひぐち まきこ)。
実家は「HIGUCHIベーカリー」というパン屋を営み、父、母、姉(17)、弟(10)、猫のチャ太郎が居る。
身長158cm、体重44kg、B78 W58 H80、血液型O型。
1989年10月、 15歳の時に日本青年館で行なわれた「第1回ミス・ポニーテール・コンテスト」に出場しグランプリを獲得。これをきっかけに芸名を芳賀ゆいにしてデビュー。
1990年7月1日にCDシングル「星空のパスポート」で歌手デビュー。伊集院光プロデュース、奥田民生作詞、小西康陽編曲という豪華なメンツで大々的に売り出された。
ニッポン放送主催の銀座歌謡祭で話題賞を受賞するなど輝かしい活動を経て、同年12月で台湾への留学のため休業。そのまま芸能界から「卒業」した。
元祖アイドルプロデュースごっこ
そもそものきっかけは、「伊集院光のオールナイトニッポン」(ニッポン放送)で何気なく発した一言だった。
「大島渚ってアイドルの名前みたい。それなら『歯がゆい』という名前のアイドルも居そうじゃないか?」
ここからリスナーからの芳賀ゆい目撃談が投稿されるコーナーが生まれ、そのまま芳賀ゆいという架空のアイドルの人物像が形成され始めた。そこに当時「素人の女の子っぽさ」を売りにしていたおニャン子クラブに対するアンチテーゼとして、「アイドルは排泄しない」という旧来の正統派アイドル像を究極まで突き詰めた『実際には存在しないアイドル』というヴァーチャルアイドルとしてのキャラクターである芳賀ゆいが誕生した。
この盛り上がりを受け本当にアイドル歌手として売り出してしまおうということになり、歌用の芳賀ゆい、写真集用の芳賀ゆい、ラジオパーソナリティ用の芳賀ゆい、白人の芳賀ゆいなど、総勢57人もの芳賀ゆいが生まれた。そして、そのすべてに共通して『顔は見せない』というポリシーを守り、握手会でも手だけを出して行うなど徹底していた。
この戦略は話題となり、世界的なマーケティング大会にも日本代表として表彰されるなど注目されるまでに至った。
ヴァーチャルアイドルの売り出し方にも大きな影響を与え、2000年前後の「テライユキ」、中盤の「アイドルマスター」、後半の「初音ミク」などに引き継がれている。ニコニコ動画でアイマスや初音ミクのMADをファンが作るという、受け手にも大きく依存した人気の博し方は最も顕著な例であろう。
伊集院光はこの成功をきっかけに人気パーソナリティーとして活躍し、20年以上経った現在でもラジオ界の怪人として第一線に立ち続けている。
なお、デビュー曲「星空のパスポート」のカップリング曲「・・・好きです」は伊集院Pの作詞。その甘酸っぱい内容の歌詞ゆえに、この曲を「伊集院光 深夜の馬鹿力」(TBSラジオ)でかけられると悶えるという黒歴史として封印されている。
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