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荻野忠寛(おぎの ただひろ、1982年4月26日-)とは、東京都町田市出身の元プロ野球選手(投手)である。現在は一般社団法人スポーツメディカルコンプライアンス協会の理事。
概要
OB | |
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荻野忠寛 | |
基本情報 | |
国籍 | 日本 |
出身地 | 東京都町田市 |
生年月日 | 1982年4月26日 |
身長 体重 |
174cm 72kg |
選手情報 | |
投球・打撃 | 右投右打 |
守備位置 | 投手 |
プロ入り | 2006年大学生・社会人ドラフト4巡目 |
引退 | 2016年 |
経歴 | |
選手歴 | |
プロ野球選手テンプレート |
桜美林高校、神奈川大学を経て、社会人の日立製作所では1年目からエースとして活躍しチームを都市対抗に導く。2年目も住友金属鹿島の補強選手として都市対抗に出場した。
2006年の大学生・社会人ドラフト4巡目で千葉ロッテマリーンズに指名され入団。日立製作所OBの諸積兼司がつけていた背番号0を受け継ぐ。
ロッテ時代
2007年は4月半ばに昇格すると、そのままシーズンを通して中継ぎとしてフル回転。6月24日の東京ヤクルトスワローズ戦で2球投げただけでプロ初勝利を挙げた。薮田安彦・小林雅英へと繋ぐセットアッパーとして起用され、58試合に登板、1勝3敗20ホールド1セーブ、防御率2.21という好成績を残す。
2008年は小林雅英と薮田安彦が退団したため、開幕からクローザーに指名される。川崎雄介と勝ちパターンを組み、1年間抑えとしてフル回転。50試合で5勝5敗1ホールド30セーブ、防御率2.45。
2009年も開幕当初は抑えだったが、5月14日の福岡ソフトバンクホークス戦で2被本塁打で敗戦投手になってから調子を崩し、6月には抑えをブライアン・シコースキーに譲ってセットアッパーに回った。53試合で3勝3敗10ホールド9セーブ、防御率3.65。
ここまでは優秀なリリーフだったのだが、この3年間のフル回転が祟ったのか、2010年のオープン戦を最後にマウンドから姿を消す。6月に右肘の手術を受け、フェニックスリーグで一時復帰するもメッタ打ちになり、2011年も再び行方不明。二軍で3試合に投げただけで、2年連続一軍登板無しに終わる。
2012年、6月に3年ぶりの一軍復帰。5試合に投げて7月に抹消された。二軍では抑えを務めて36試合で16セーブを挙げ、問題無く投げられるところまで回復。
2013年は開幕一軍入りしたが、3試合続けて打たれて4月半ばに二軍落ち。6月にはまた手術をすることになり、そのまま一軍に戻ることなくシーズンを終え、4試合の登板に終わった。
2014年に戦力外通告を受け、古巣の日立製作所野球部に復帰した。
引退後
現在は一般社団法人スポーツメディカルコンプライアンス協会を立ち上げ、理事として独自のスポーツ指導理論の普及活動を行っている。
プレースタイル
スライダーのような握りから投げる直球は140km/h未満だが、縦に割れるカーブが武器の軟投派だった。
成績
年度別投手成績
年度 | 球団 | 登板 | 先発 | 完投 | 完封 | 勝利 | 敗戦 | セーブ | ホールド | 勝率 | 投球回 | 与四球 | 奪三振 | 失点 | 自責点 | 防御率 |
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2007年 | ロッテ | 58 | 0 | 0 | 0 | 1 | 3 | 1 | 20 | .250 | 53.0 | 13 | 35 | 15 | 13 | 2.21 |
2008年 | 58 | 0 | 0 | 0 | 5 | 5 | 30 | 1 | .500 | 58.2 | 20 | 41 | 19 | 16 | 2.45 | |
2009年 | 53 | 0 | 0 | 0 | 3 | 3 | 9 | 10 | .500 | 49.1 | 13 | 39 | 23 | 20 | 3.65 | |
2012年 | 5 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | .--- | 5.2 | 1 | 3 | 2 | 2 | 3.18 | |
2013年 | 4 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | .--- | 5.2 | 3 | 2 | 4 | 4 | 6.35 | |
NPB:5年 | 178 | 0 | 0 | 0 | 9 | 11 | 40 | 33 | .450 | 172.1 | 50 | 120 | 63 | 55 | 2.87 |
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関連項目
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