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藤枝MYFCとは、静岡県藤枝市島田市焼津市牧之原市吉田町、根本町をを本拠地とするJリーグ所属のサッカークラブである。

概要

日本プロサッカーリーグ
藤枝MYFC
基本情報
創設年 2009年
クラブカラー 色、
所属 J2リーグ
ホーム
スタジアム
藤枝市総合運動公園サッカー場[静岡県藤枝市]
ホームタウン 藤枝市を中心とする静岡県志太地域42町
前身 静岡FC
サッカーチームテンプレート

2009年に創設。2010年静岡FCと合併。2014年Jリーグ加盟となり、静岡県に3番Jリーグクラブが誕生することとなる。2023年に初めてJ2リーグに昇格。

設立当初は、世界で2チームの「ネットオーナーシステム」を採用し、ネットオーナーによる議論投票により、戦術・運営・強化方針・人事などを決定していた(2015年閉鎖)。

MYFCという変わったクラブ名は、わたし(MY)のフットボールクラブFC)がチーム名の由来で、インターネットオーナーシステム投票によって決定された。エンブレムネットオーナー投票によって選出。ホームタウン藤枝市を表し、サッカー伝承の地を示す緑色のストライプを配している。クラブマスコットは、フェニックスモチーフとした「蹴っ飛ばし小僧」。

歴史

サッカークラブ育成オンラインコミュニティ「MYFC」を運営体としたサッカークラブである。

ただ、運営しているトップチームについては

という2つの歴史がある

この項では、その2つの歴史についてりながら、藤枝MYFCがどういう経緯を持ったクラブなのかを述べていく。

サッカークラブ育成オンラインコミュニティ「MYFC」誕生

サッカーブログで有名な株式会社J.プレイヤーズにより企画される。
2008年10月10日β版を立ち上げ、同年10月16日に正式にサービスを開始した。
J.プレイヤーズの社長であり、当クラブの代表者でもある小山によると「どうやったらネット日本サッカーを強くするために使えるのか」という考えから、この企画が持ち上がったのだという。

そのサービス内容は

というものである。

もともとこの形態のサッカーチーム運営は、既にイギリスにて先行例があった。
ただ、J.プレイヤーズはそのままイギリスでの手法を日本でやっても上手くいかないと判断し、日本にあった形で運営するために企画を練り直すことになった。

それから2008年11月7日運営するチームの第一補として静岡県リーグ1部の「ネルソンCFクラブ・デ・フットボール)」が挙がる。しかし、あくまでも補なので、交渉も含めて正式に合意に至るまで、クラブは引き続き並行して運営チーム補を探していくことになる。

この項目の参考文献

F.F.C.(旧・トップチーム)

2009年1月16日、MYFCはネルソンCFトップチームとして静岡県リーグ1部に参加することが正式に決定する

当時は決定されるまで、東北リーグ1部のNECトーキンサッカー部(現:NEC TOKIN FC)や中国リーグのデッツォーラ島根なども運営チーム補に挙がっていたほか、MYFCが一からチームを作って運営していくという意見も多かった。
だが、オーナー投票の結果としてネルソンCFチーム体にすることが決定し、また、新しい監督として釜本邦茂の就任が決定し話題となった(ただ、当の釜本は「実際にはスーパーバイザー的役割」と述べている)。
一方、チームトライアウトも行われ、元・ガンバ大阪の選手だった磯も参加していたことで、こちらも話題となった。

その後、チーム名が「藤枝MYFC」に決まり、ネルソンCFと同じくホームタウン藤枝市と定めた
藤枝市からJリーグ入りをクラブが誕生したのは、アビスパ福岡の前身であるブルックス以来となる。

後に、釜本が名上からも正式に監督から降り、後任としてヘッドコーチ兼選手だった斉藤俊秀が選手兼任の形で就任する。新チームとなって臨んだ静岡県リーグ1部では8勝1分1敗、その内5点も獲った試合が4試合exitという圧倒的な成績で1位となり、このままいけば東海リーグ昇格を懸けた東海社会人トーナメント大会もあっさり突破するものだともが思っていた…

が!

そんな思いにを差すような事件が起こってしまった。

4月26日に割り当てられた「本田浜松サッカーvs FCアスルクラロ沼津」の試合の運営当番をすっぽかしてしまったのである。

実は静岡県リーグでのリーグ戦の会場毎の運営は、それぞれカテゴリにおいて所属するチームが当番することになっている。もちろんすっぽかした以上は何らかの厳罰が下る。

最終的にチームへの厳罰として、1位だった最終順位が5位にまで降格することになった。なお、この事件についてクラブは、地元メディア静岡新聞先に報道されており、その後に報道内容を認める形で表した

当時、藤枝MYFCは2012年Jリーグ入りを掲げていたのだが、この事件によって東海社会人トーナメント大会に出場できなくなり、土壇場のウルトラCでもい限り、その標は潰えたも当然(当時の体制が弱いこともあり、JFA優遇制度を利用した飛び級挑戦も事実不可能であった)。クラブは次の標を掲げることになるのだが…(と記事作成は思った)。

翌年2010年クラブは突如としてある情報を発表した。

それは、2010年の新体制として、東海リーグ1部の静岡FCと合併するというものだった。ただ、合併前の静岡FCは既に志太榛原地域をホームタウンにしようという構想を持っていたこと(2003年静岡市清水市が合併したことで清水エスパルス静岡市クラブとなったことが原因と推測される)、また、藤枝MYFCの姿勢や考え方に共感したことから、合併の合意に至ったのだという。あと、静岡FC練習場の拠点のひとつが、フットサルスタジアムであったことも理由として挙げられるようである。

とはいえ、いきなり寝耳に水な話ではあるし、合併相手の静岡FCNPO法人静岡市Jリーグチームを作る会」も関わっていたクラブだった。そして何より、最大の懸念として、当時の静岡FCには限りなく黒に近い黒な人物がいたexitのである。ただ、MYFCによると、静岡FC側からの資本関係、役員派遣などはなく、一切を託された形で統合した」とのことである。

その後、東海リーグの総会で、藤枝MYFCと静岡FCの合併が静岡県リーグ1部のチームネルソンCFチーム体である藤枝MYFC旧・トップチームを残すことと登録名に統合の名残として『静岡』を入れること(表記は漢字でなくても良いらしい)の二つを条件として」承認される。

これで、京都府アミティSC京都よろしく、静岡FCチーム体とする新・トップチームネルソンCFチーム体とするセカンドチーム(旧・トップチーム)という新体制がスタートする…と思われたが、クラブ

静岡県リーグ一部チームに関しましては、東海一部チームでの藤枝MYFC表記がありますので、チーム名を変更し、運営(株)藤枝MYFCから変更の方向性で模索していきます。」参考文献exit

とのことだった。

クラブが選んだ体制は当初、アミティSC京都のような体制でもなく、格上のプリマハムFC全に吸収合併した水戸ホーリーホック(旧:FC水戸)のような体制でもなく、クラブ体(の一つ)ともなってくれた旧・トップチームクラブから切るというものだった。

しかし、結局、旧・トップチームクラブから切られることはなくめて新・トップチームの受け皿という役割(=実質セカンドチーム)を任されチーム名を「F.F.C.」に変更した

だが、旧・トップチームは、中々メンバーが集まらなくなったことが原因で2010年シーズンを以って解散となった

この項目の参考文献

藤枝MYFC(新・トップチーム)

一方、静岡FCを前身とした新・トップチーム「shizuoka.藤枝MYFC」。
(※ちなみに静岡FCの前身のやまき屋クラブ1970年に創設されたチームである。)

合併元年である2010年シーズン東海リーグ1部に臨む。
JFLから降格してきたFC刈谷が最大の懸念であったが、12勝3分1敗と圧倒的なを魅せつけ優勝する。
しかし、全国地域サッカーリーグ決勝大会(以下、地決)ではグルージャ盛岡PK戦負けしてしまったことと、三洋電機FCに2-5と敗したことで一次リーグ敗退となった。

翌年の2011年シーズンリーグ戦では12勝2分という敗ぶりを魅せつけると、地決では3戦全勝(うち1PK勝ち)し一次リーグを突破、決勝ラウンドへ進出する。決勝ラウンドでは1勝1PK勝ち1PK負けの成績でJFL自動昇格内である2位に入り、昇格を決める。

そして、翌12月の16日に、JFL理事会にてJFL入りが正式に承認された。JFL昇格に伴い、チーム名を「藤枝MYFC」に称する。

JFL初年度となった2012年は序盤は絶不調。第11節終了時点で7敗3分と、くも降格最有補となってしまった。第12節に初勝利を挙げるも、第20節終了時点で4勝13敗3分と予断を許さない状況であった。しかしJFL空気に慣れてきたのか、ここから流れが変わる。第21節から第28節までの成績が5勝3分と尻上がり調子を上げていき、その後2連敗するものの残り3試合は2勝1分とし、最終的には11勝14敗7分で10位と、JFL初年度にしてはまずまずの成績となった。ちなみにHonda FCとの静岡ダービーは2連敗という結果となった。

JFL2年2013年は序盤こそは良かったものの、徐々に失速して2ケタ順位に終わってしまった。静岡ダービー天皇杯予選決勝でHondaを倒して静岡県代表の座を勝ち取ったものの、リーグ戦では1分1敗と勝ち得ることはできなかった。6月にはJリーグへの準加盟が承認され、この年のJFLを以ってJ3リーグ参入が決定したことによりJFLを退会することになる。しかし、J3参入をさない且つプロ契約選手が一人もいないHondaが18チーム中5位だった一方で、枝は13位と前年より低い順位となった。リーグ戦で、天皇杯予選で倒した相手よりも大きく下回った順位であることは正直辛いものである。

2014年に創設されたJ3リーグに戦いの場を移すが、1年は12チーム中11位、2年も13チーム中10位と低迷。2016年に初めて一桁順位となる7位でシーズンを終えるが、いずれにせ予想通り苦戦を強いられることになる。

2017年は枝本雄一郎が13ゴール遠藤が12ゴールを挙げるなどリーグ3位となる50得点記録。2年連続で7位となる。

退団者が22名、新加入者が20名と大きくメンバーが入れ替わった2018年だったが、の中断期間までに14位と低迷。7月から経験豊富な石監督に就任するも、いきなり5連敗を喫するなど苦戦は続く。特に自慢の攻撃が前年の半分近くまで得点数が低下してしまい、結局下から2番の16位に終わる。

2019年森島康仁、達也松岡の加入で戦アップ。前年とは対照的に好スタートを切り、第7節でJ3昇格後初の首位に立つなど優勝争いに加わる。特に守備面が大幅に善され、ギラヴァンツ北九州ザスパクサツ群馬と共に最後まで昇格レースを争うこととなる。最終的に2位群馬と勝ち点で並び、過去最高成績を大きく上回る3位と大躍進を遂げる。

2020年J2ライセンスが交付されたものの、肝心のリーグ戦では前年を大きく下回る10位に終わってしまう。シーズン終了後、石監督が退任。

2021年は地元枝出身の倉田安治が監督に就任。しかし、開幕から成績は振るわず、7月に成績不振の責任を取って倉田が退任。後任には元ガイナーレ鳥取監督須藤大輔が就任。

2022年シーズンは混戦模様となった昇格争いの第二グループというような位置づけで前半戦を折り返す。第14節からの6連勝で上位争いに割って入り、後半戦はいわきFC鹿児島ユナイテッドFC松本山雅FCとの四つの上位争いに加わる。首位のいわきが先に昇格を決めてしまったことになり、残りの1を巡ってしく争う形となるが、最後は鹿児島松本を得失点差で大きく上回っていたことで最終節で2位が確定。クラブ史上初となるJ2リーグ昇格が決まる

初のJ2参戦となった2023年は奇しくも清水エスパルスジュビロ磐田J1から降格してきたため、J2リーグ静岡勢が3チーム所属することになる。J2舞台でも攻撃的スタイルを貫き、開幕2連勝というスタートを切る。その後は好不調の波がしいものの、リーグ中位をキープ場に攻撃の核となっていた渡邊りょう久保次郎J1クラブに引き抜かれ、8月に4連敗を喫するものの、9月が先行し持ち直す。第37節では清水とのダービーマッチ勝利する。総失点は72リーグワーストを記録したものの、得点数は61とリーグトップ5を記録。順位も12位J2初年度としては上々の結果を残す。

この項目の参考文献

主なタイトル

現在の所属選手

背番号 Pos. 選手名 生年 加入年 前所属 備考
- 監督 須藤大輔 1977.4.25 2021 ガイナーレ鳥取 監督
1 GK 西 1990.12.10 2023 ヴァンフォーレ甲府
2 DF 川島 1992.2.4 2019 ギラヴァンツ北九州
3 DF 鈴木将太 1996.11.21 2019 東京学芸大学
4 DF 中川 1999.6.1 2023 ジュビロ磐田
5 DF 小笠原 1996.6.7 2022 ロアッソ熊本
6 MF 新井 1997.6.19 2023 ガイナーレ鳥取
7 MF 水野 1993.5.4 2022 ロアッソ熊本
8 MF 浅倉 2001.4.28 2023 拓殖大学 【卒】
9 FW 1997.6.9 2023 アルビレックス新潟 【レ】
10 MF 榎本 1999.9.5 2022 東海学園高校
11 FW アンデルソン 2001.3.3 2023 モト・クルブ・ジ・サン・ルイ
13 MF 大曽根広汰 1999.3.17 2023 ベガルタ仙台
14 FW 中川 1995.7.3 2023 FC今治
15 MF 杉田(C) 1995.5.16 2020 ソニー仙台FC
16 DF 山原康太郎 2000.9.19 2022 東京大学
17 FW 平尾拳士朗 2000.10.9 2023 中央大学
18 MF 小関 2000.4.18 2022 横浜大学
19 MF シマブク・カズヨシ 1999.7.29 2024 アルビレックス新潟 【レ】
21 GK 菅原 1995.8.10 2022 栃木シティFC
22 DF 久富良 1991.3.19 2020 栃木SC
23 MF 諒太 1989.4.17 2024 東京ヴェルディ
24 MF 永田貫太 2001.8.11 2023 中央大学 【卒】
26 MF 西矢健人 1999.11.7 2023 FC大阪
27 MF 前田 2002.1.8 2023 常葉大学 【卒】
29 MF ルリーニョス 1995.6.16 2024 タフォゴ
30 MF 2002.1.8 2023 鹿児島西高校 【卒】
33 MF 河上将 1997.10.26 2020 専修大学
35 GK 内山 1993.7.19 2022 サガン鳥栖 【復】
41 GK 北村チディ 2000.9.17 2023 横浜大学
81 FW 中島大嘉 2002.6.8 2024 名古屋グランパス 【レ】
99 DF ウエンデル 1999.10.13 2024 ポルトゥゲーザ

※備考欄は【】=全移籍での加入、【レ】=レンタル移籍での加入、【復】=レンタル先からの復帰、【新】=新任の監督、【昇】=トップチーム昇格、【卒】=新卒での加入、【特】=特別定選手、【2】=2種登録、【H】=ホームグロウン選手

過去に所属する主な選手

歴代監督

監督 在任期間 備考
釜本邦茂 2009年
斉藤俊秀 2009年2013年 ・選手兼監督
東海1部優勝(2010年2011年)
JFL昇格(2011年)
水嶋武蔵 2014年 J3参入(2014年)
大石篤人 2015年2018年7月
2018年7月2020年
倉田安治 2021年2021年7月
須藤大輔 2021年7月 J2昇格(2022年)

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1 記事作成主
2011/12/17(土) 20:27:23 ID: e5fV9uJQP2
もし、間違っていたり、足りなかったりな部分がありましたら、是非、修正及び加筆をしてくださいませ。

さて、どのくらいで添削されるかな…。
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2 ななしのよっしん
2012/04/27(金) 11:43:20 ID: E5HOuqLF+3
思ったより充実してるなー
がんばれ!
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3 ななしのよっしん
2015/09/11(金) 19:36:54 ID: 7Nk9eOW7kb
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4 ななしのよっしん
2019/06/13(木) 22:14:49 ID: hnK5zlI1jW
昇格圏内である順位が見えているけど、サッカー場ってJ2スタジアムの基準を満たしてるの?
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5 ななしのよっしん
2023/10/01(日) 21:38:59 ID: y9+pnh61bR
J2昇格して以降も、着実に選手の実は上がっている。
問題は同じ県のJ3アスルクラロ沼津すら下回る観客動員数。

藤枝市自体が静岡市ベッドタウン通勤圏ゆえに、元々清水エスパルスファンの多い地域。いくらサッカーと言えど、地域に定着するまでののりが厳しいのは間違いない。
がスタジアムの修などクラブの後押しに積極的なのが救いか。
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