西日本車体工業とは、かつて福岡県北九州市に存在した西日本鉄道の子会社のバス車体メーカー(コーチビルダー)である。略称西工、NSK。
晩年は日産ディーゼル(UDトラックス)のバスシャーシ向け車体を製造していた。
概要
太平洋戦争時、度重なる空襲や機銃掃射や艦砲射撃などによってズタボロにされた日本の交通輸送。そんな中バス輸送の復興を進めていた西日本鉄道は1946年、指定車体メーカーとしてバス車体の製造・販売・補修整備を目的に西日本車体工業を設立した。
西日本鉄道の豊富なバスの需要と資金力に裏打ちされた確かな技術はユーザーのどんなワガママ、要望にも対応し尚且つ低コストで車体を製造することを得意としていた。日本初の冷房付き路線バス、日本初のプライベートカーテン付き夜行高速バス車両など後にデファクトスタンダードになるものから、目ん玉飛び出るような迷車・珍車まで多数の車両を生み出した。
顧客
最大の顧客は親会社の西日本鉄道(西鉄バス)で、主に京都市以西の西日本エリアではよく見かけた。しかし長年「東限は京都市交通局」と言われるぐらい東日本のバス事業者での導入例は少なく、まとまった数を導入していたのは京成自動車工業でライセンス生産を行っていた関係で導入していた京成電鉄(京成バス)、仙台市交通局、静岡鉄道(しずてつジャストライン)ぐらいである。
しかし日産ディーゼルがバスボディを西工へ一本化すると、富士重工業がバスボディ製造から撤退。その後釜に収まる形で東日本のバス事業者の多くを顧客として獲得した。ちなみに東日本では京王バスや東京空港交通が最大の顧客。
西工製のバスを新車採用した実績のある企業
※アルファベット順→あいうえお順。
消滅した組織は打ち消し線を引き、その右側に現況を記載。
- JR九州バス
- JRバス関東
- JR北海道バス
- 明石市交通部→現:神姫バス・山陽バス
- 旭川電気軌道バス
- 尼崎市交通局グループ→現:阪神バス
- 伊豆箱根鉄道バス(現:伊豆箱根バス)
- 伊丹市交通局
- 宇和島バス
- 江ノ電バス
- 近江鉄道バス
- 大分バス
- 大阪市交通局→現:大阪シティバス
- 岡電バス
- 加越能バス
- 鹿児島市交通局
- 神奈川中央交通グループ
- 川崎市交通局(川崎市バス)
- 北九州市交通局
- 岐阜乗合自動車(岐阜バス)
- 九州産交バス
- 京都市交通局
- 熊本電鉄バス
- 呉市交通局→現:広電バス
- 京阪バスグループ
- 京王バスグループ
- 京浜急行バス
- 京成バスグループ
- 高知県交通バス→土佐電鉄グループと合併し「とさでん交通バス」となる
- 神戸市交通局
- 小湊鉄道バス
- 山陽電気軌道バス(現:サンデン交通バスグループ)
- 静鉄バス(現:しずてつジャストライン)
- 下津井電鉄バスグループ
- 神姫バスグループ
- 西武バス
- 瀬戸内海交通バス
- 仙台市交通局
- 相鉄バス
- 高槻市交通部
- 立川バス
- 知多乗合自動車(知多バス)
- 中国JRバス
- 東急バスグループ
- 東京空港交通バス
- 東京都交通局(都営バス)
- 東濃鉄道
- 徳島市交通局
- 豊鉄バス
- 長崎県交通局
- 長崎自動車(長崎バス)
- 名古屋市交通局
- 南海バスグループ
- 新潟交通バス
- 阪急バスグループ
- 阪神バス
- 姫路市企業局交通事業部→現:神姫バス
- 広電バス
- 広島交通バス
- 富士急バス
- 北海道中央バス
- 松本電鉄バス(現:アルピコ交通バス)
- 宮崎交通バス
- 横浜市交通局
観光バス(SDシリーズ)について
観光バスでの導入例では東西問わず多く採用されている例が多い。多く導入された例がに西鉄高速バスや阪急高速バスなどが挙げられる。他にもJRバス関東や中小企業の観光バス業者などと多く採用されている。
内部は三菱ふそうのエアロクイーンを基本とし、西工独特の車体を作り上げた。なお、西鉄の要望に応えて最後部の座席でも座席をいっぱい倒せるように車体を作った例もある。
西工、その終焉
日産ディーゼルの指定車体メーカーとなり、安定的なシャーシの供給が約束されたかに思えた西工だが、路線バス市場の需要の低下はじわりじわりと西工の立場を危ういものとしていた。
2007年。三菱ふそうと日産ディーゼルはバス製造事業の提携を開始。この時、三菱ふそうは自社での大型ディーゼルノンステップバス、中型路線バスの製造を取りやめ、日産ディーゼルからOEM供給を受けることとなった。これにより従来の「日産ディーゼル+西工ボディ=日産ディーゼルのバス」に加えて「日産ディーゼル+西工ボディ=三菱ふそうのバス」が大量に製造され、大型ノンステップバス・中型路線バスの需要が激増した。
2009年8月31日、三菱ふそうと日産ディーゼルは両社合弁のバス製造会社を設立を目指すことを発表。最終的には富山県の三菱ふそうバス製造での生産に一本化し、西工への生産委託を2011年までに終えるとしていた。西工内部でも従業員へ2010年8月には大型バスの製造を終了し、翌年には中型バスの製造も打ち切りになることが日産ディーゼルから伝えられていた。(日本経済新聞・西日本新聞他在福岡マスメディアの報道による)
この頃から経営環境が激変し、会社の規模を縮小しながら存続することも模索していたが、親会社西鉄の取締役会で「日産ディーゼル(UDトラックス)以外のシャーシ供給元が見つからない以上、会社存続は不可能」と判断され、2010年10月31日、西日本車体工業はその長い歴史に幕を下ろした。ちなみに西工解散の二日前、三菱ふそうとUDのバス製造事業提携も空中分解しており、自社での車体製造ノウハウを持たないUDも自社でのバス製造、後にバスの販売からも撤退している。
その後、これまでに製造された車両のメンテナンスなどは共栄車体工業→西鉄車体技術で行われることとなった。
西工の製品
B型
一般路線・自家用向けのボディ。モノコックの42MC、53MC、スケルトンの58MC、96MCとモデルチェンジされた。
末期のモデルである96MCは厚めのバンパーとバンパー内にヘッドランプやフォグランプを埋め込んだ構造が特徴。更には近距離高速バス用にトップドア・リクライニングシートを装備するモデルもある他、三菱ふそう・エアロミディ-S、日産ディーゼル・スペースランナーRM・JP用にテールランプ・ブレーキランプのデザインがふそうオリジナルスタイルとなっているものも。
E型
観光・高速路線・自家用向けのボディ。スタンダードデッカーの「E-I」「E-II」と、ハイデッカーの「E-III」があり、42MC、53MC、58MC、90MC、96MCとモデルチェンジが行われた。
E-I、E-IIは車高が一般路線バス用車両と同じであり、路線バス用車両のシャーシに架装することも出来る。かつては高速バスにも多く採用されていたが、B型高速仕様車やハイデッカーの台頭により特急バス向けの導入が多かった。
自家用としては送迎バス、検診車、献血車としての採用例がある。
E-IIIは灯火規制の関係で製造中止となったS型の代替として製造開始されたもので、主に高速バス用として架装された。
S型
観光・高速路線向けのボディ。ハイデッカーでありながらC型に比べて安価なのでとにかく数を必要とする高速路線向けでの架装が多かった。
2005年に灯火規制適合の関係で製造を終了。E型E-IIIへ移行した。
C型
観光・高速路線向けのハイデッカーボディ。愛称ネオロイヤル。後部までフラットな「C-I」と車体後部が少し高くなっている「C-II」が存在。
ネオロイヤルC-IIは後部席を通路側へ回転させてサロンにすることが出来たので西工の親会社である西鉄グループが継続的に購入し、「ロイヤルハイデッカー」の愛称名で中規模団体輸送用に使用していた。ちなみにC-Iでも後部サロンとすることが出来る車両が存在している。
C-Iは同じハイデッカーのS型に比べてデザインが良く、貸切用途での導入が多いが高速路線への投入例が無いわけでもない。他車種に比べて屋根高さが低いのに床下トランクの容量が大きいので空連仕様としての人気も高い。
SD型
観光・長距離高速路線向けのスーパーハイデッカーボディ。こちらも愛称はネオロイヤル。車高約3.48mの「SD-I」、車高約3.55mの「SD-II」、3軸シャーシ用の「SD-III」がある。
SD-IIIは1985年に僅かな数が生産されたきりで終わっているが、SD-IIはエアロクィーン専用ボディを経て、日産ディーゼル・スペースウィングへも架装されるようになった。ちなみにSD-Iはハイデッカーシャーシへ架装するため厳密にはスーパーハイデッカーとは言えない。
日デオリジナルスタイル
見た目はB型96MCにそっくりだが、フロントバンパーの両端までヘッドライトを寄せているのが特徴。2004年にB型へ統一されて製造終了。
西工が生み出した珍製品
後にメーカーラインナップになっちゃったもの
中型ロング
西日本鉄道北九州線が廃線になり、路面電車代替バスを運行することになったが、安価に・大量にワンステップバスを導入したいという西鉄のワガママ要望に応えて製造。中型バスのシャーシを真ん中で切断してスペーサーを挿入。大型並の10.5mにまで延長し、車体を乗っけたもの。
これにより、当時の大型ワンステップバスよりも安く製造することに成功。シャーシメーカーの日産ディーゼルも正式なモデルとした。
プレビス
マイクロバスの低床化を模索していた西工。なんと目をつけたのは2トントラックのエルフ!荷台部分の床が低いことに着目し、そこにワンステップ構造の客室を乗っけたもの。
トラックとバスの合いの子のような物で「プレビス」という愛称をつけて売りだした所、いすゞ自動車の目に留まり、後に自社のマイクロバスブランドである「ジャーニーE」として販売を開始。
メーカーラインナップにならなかったけど世に出たもの
ミニミニバス
小型バスのノンステップ化を進める中で登場。なんとベース車は三菱自動車のパジェロ!東京フレンドパークで賞品になってたあのパジェロである。
パジェロは4WD構造だが、フロントエンジン・フロントドライブとし、新たにノンステップ構造の客室を乗っけたもの。流石に改造に手間が掛かり過ぎたので1台しか作られなかったが、京築交通へ納車され実際に営業運転に使用された。
関連項目
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