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読売ジャイアンツとは、日本のプロ野球セントラル・リーグの球団である。通称は巨人。現在の監督は原辰徳(2006年~)。
概要
プロ野球全球団の中で最も歴史が長く、最多優勝42回を誇る球団である。長嶋茂雄、王貞治など数多くの名選手が在籍した。
12球団中最も人気のある球団であるが、近年まではFAなど他球団の主力選手を金で引き抜くスタイルをとっていたため、アンチの多い球団でもある。
しかし、2005年に育成選手制度が採用されると方針を変え、2008年にはFA戦線不参加を宣言するなど生え抜きの若手を育成するスタイルに変わった。
近年の戦歴
2006年(65勝79敗2分、4位) 監督:原辰徳
2002年から2003年まで監督を務めた原辰徳が監督に復帰。オリックス・バファローズを戦力外になったジェレミー・パウエル、FA宣言した豊田清、野口茂樹、李承燁、小坂誠を獲得した。
セ・パ交流戦で主力選手の故障が相次ぎ失速。入団テストで小関竜也、トレードで木村拓也、ジョージ・アリアスを獲得したが、改善とは至らず、最終的に二年連続のBクラスとなった。
オフには仁志敏久をトレードで横浜ベイスターズに放出、小久保裕紀がFAで福岡ソフトバンクホークスに戻り、無償トレードで大道典嘉、交換トレードで谷佳知、FAで小笠原道大、門倉健を獲得した。門倉健の人的補償として工藤公康を放出、小久保の人的補償として吉武真太郎を獲得した。
2007年(80勝63敗1分、1位) 監督:原辰徳
高橋由伸を1番、故障で遅れていた上原浩治をクローザーとして起用し、これが成功し、安定した戦いを続けた。5月2日にはプロ野球史上初の5000勝を達成、二軍もイースタンリーグ史上初の2000勝を達成した。この年から導入されたクライマックスシリーズの出場権を一番乗りで決め、10月2日に5年ぶりのリーグ優勝を達成。しかしクライマックスシリーズでは中日ドラゴンズに全敗し、史上初の「リーグ優勝しながら日本シリーズに出場できないチーム」となってしまい、銀座パレードも中止となった。
2008年(84勝57敗3分、1位) 監督:原辰徳
前年度セ・リーグを制覇したにもかかわらずクライマックスシリーズで敗退したジャイアンツは、オフシーズンにアレックス・ラミレス、セス・グライシンガー、マーク・クルーンを補強し、日本一を至上命令として2008年のシーズンをスタートした。
しかし開幕から球団ワースト記録の5連敗を喫し、その後も怪我人や不調者が続出して6月半ばまで負け越しを続けるなど低迷する。それでも一方、大幅な負け越しは避けていた為順位は中盤をキープしていたジャイアンツ。その苦しい時期になんとかチームを支えていたのが木村拓也、大道典嘉、藤田宗一ら他球団出身のベテランのサブプレーヤー達であり、新外国人選手達であった。また主力選手が多数抜けた事は、山口鉄也、越智大祐、東野峻ら若手選手に出場の機会を与え彼らの台頭を呼び起こし、こうした他球団出身者、新外国人選手のめざましい活躍、若手選手の積極起用など近年のジャイアンツにはない戦い方は、交流戦以降のジャイアンツの反転攻勢の流れを確実に作り出していった。
その流れは夏場の、小笠原道大の完全復調、打線の穴であった坂本勇人の加速度的な成長、北京オリンピックによる他球団の主力選手不在などの要因により強まっていき、一時13ゲーム差あった首位阪神タイガースとのゲーム差は、8月末には6ゲーム差にまで縮まった。9月以降は不調が続いていた上原浩治、イ・スンヨプも復活。中盤には12連勝、対阪神タイガース7連勝など驚異的なペースで勝ち続け、そして10月10日、首位阪神タイガースとのセ・リーグ史上最大ゲーム差をひっくり返しセ・リーグ2連覇を達成した。
2009年(89勝46敗9分、1位) 監督:原辰徳
文句なしの優勝街道まっしぐら。2位との差を10ゲーム以上付けていた時期があったが、一時期2位中日に2ゲーム差まで付けられていた。しかし、若手の坂本勇人、亀井義行らを中心に若手が大活躍。特に松本哲也、中井大介らが成長し、生え抜きの選手層も前年以上に分厚くなった。
投手陣にはマイケル中村(登録名:M.中村)らを補強し、相変わらずのグライシンガーの活躍、育成選手から支配下登録された・オビスポ、新外国人投手ゴンザレスなどの補強で投手面でも更に強化され、去年以上の戦力が充実している。
クリーンナップは既に小笠原道大、ラミレスの3番4番は固定されてはいるものの、5番が若干固定出来ない部分が去年から続いていたが、亀井を5番に起用して成功させた。
既に8月27日に優勝マジック(M27)が点灯し、2位と5ゲームどころか9ゲーム差をつけて9月23日に優勝が決定。3年連続、33度目の優勝と、3が並んだ。まるで長嶋茂雄にこの優勝を捧げているかのようだ。
クライマックスシリーズは中日と対戦。初戦を中日を得意とするゴンザレスのまさかの乱調により落とすが、その後は3連勝で日本シリーズ出場権を獲得。
北海道日本ハムとの日本シリーズを制し、7年ぶり、21度目の日本一「奪回」を果たした。
11月14日に行われた日韓クラブチャンピオンシップで韓国王者の起亜タイガースと対戦。
序盤は起亜のペースで試合が進むが、7回に打者一巡の猛攻で7点を奪い9-4で撃破。巨人は初となるアジア王者に輝いた。
2010年(79勝64敗1分、3位) 監督:原辰徳
昨シーズンの中継ぎを支えた山口が先発転向するも不調、更に先発陣は外国人3選手(グライシンガー、オビスポ、ゴンザレス)がなかなか勝ち星を挙げられず、クルーンも抑えきれない等シーズンを通して投手陣崩壊が目立った。それでも木佐貫とのトレードで加入した高木、シーズン途中で楽天から移籍した朝井が活躍。生え抜きでは久保がシーズン通してフル回転するなど光る部分もあった。
野手では小笠原、ラミレスにドラフト1位の長野久義(今期新人王)、怪我から復帰した高橋由伸と昨年よりも戦力が充実。しかし、松本が開幕早々離脱、亀井がスランプに陥るなど、投手陣同様一年間通して苦しい戦いが続いた。ホームラン数は多い(ラミレス49本、阿部44本、小笠原34本、坂本31本)が、チャンスでタイムリーヒットが中々でなかったのも苦戦の要因の1つであった。
それでも首位の座をキープしていたが、夏場に失速。中日、阪神との三つ巴の争いの末、3位となり4年連続リーグVを逃してしまった。
クライマックスシリーズではファーストステージは阪神に連勝。その勢いで中日もといきたかったが、中日投手陣から得点が奪えず、中日に敗れてしまった。
(オフ)
ドラフトで意中の中大・沢村拓一投手を獲得。今季不調だったオビスポを放出し、須永英輝、紺田敏正を獲得。さらに外国人3選手を解雇、更に来季から3軍の導入など大幅なチーム改造を行った。
2011年(71勝62敗11分、3位) 監督:原辰徳
東日本大震災の影響で、初めての地方球場での開幕となった。統一球の影響でホームランが激減し、打撃陣が不調に陥り、前半戦をBクラスで折り返した。
後半戦では久保裕也を抑えに固定した事でチームは安定し、最終的には首位と3.5ゲーム差の3位でレギュラーシーズンを終えた。
藤村大介が盗塁王、長野が首位打者、澤村が新人王を獲得。史上初の4年連続の新人王輩出となった。
クライマックスシリーズではヤクルトに1勝2敗で敗退した。
オフには最多勝を獲得したD.J.ホールトン、FA宣言した杉内俊哉と村田修一を獲得した。
大百科に記事のある選手・首脳陣・関係者
首脳陣
| 一軍 | 二軍 |
|---|---|
現役選手
| 投手 | 捕手 | 内野手 | 外野手 |
|---|---|---|---|
球団スタッフ
- 長嶋茂雄 (終身名誉監督)
- 小田嶋正邦 (ブルペン捕手)
- フェルナンド・セギノール (駐米スカウト)
- 中里篤史 (スコアラー)
- 長嶋一茂(野球振興アドバイザー)
- ネイサン・ミンチー (駐米スカウト)
- 山田真介 (ジャイアンツアカデミーアシスタントコーチ)
かつて在籍していた関係者
| あ行 | か行 |
|---|---|
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| さ行 | た行 |
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| な行 | は行 |
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| ま行 | や行 |
| ら行 | わ行 |
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関連項目
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読み:ヨミウリジャイアンツ
初版作成日: 08/09/15 00:28 ◆ 最終更新日: 12/05/26 01:50
編集内容についての説明/コメント: OB:前田幸長追加
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