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ほかに することは ないのですか?
わたしは ちゅうごく さんごくじだいにて しょくかんに つかえた せいじかです。 あざなは こうめい。 まて あわてるな これは こうめいの わなだ? だ ま ら っ し ゃ い ! なんでも わたしのせいに すればいいという ものでは ありません。 |
概要
劉備に三顧の礼で迎えられ配下となる。劉備の死後は劉禅に仕えた。
その後、丞相として内政に励みながらも自ら軍を率いて魏を攻める北伐を行った。5度目の北伐の最中、五丈原の戦いの陣中にて病没。北伐の際に奏上した出師の表、後出師の表は名文として有名。
(なお、後出師の表は演義のみの登場であるため、後世の創作である可能性もある)
一族にも有名な武将が多くいる。例えば兄の諸葛瑾は呉にて政治・軍事の両方で活躍していた。
演義の活躍のため、妖術使いだとか神算鬼謀の策士とされることが多いが、(実際、コーエーの三國志でもそういう扱いを受けている)正史では内政に特に優れていたようである。
戦争の指揮や戦術眼に関しては孔明と並び称された鳳趨こと龐統や、劉璋を裏切り劉備らを迎えた法正らの方がすぐれていたと評されることが多い。(共に蜀の建国以前に死亡し、北伐には参加できなかった)
正史での彼は戦争に関して慎重で、むしろ奇策を好まなかった。ほぼ確実に勝てると踏んだ時にしか攻めなかったため、よく魏延と対立した。有名な話としては、北伐の際に魏延が敵の後ろからの奇襲を提案したものの、成功するかどうかは半々だったために孔明が退けたというものがある。このことについて、国力に劣る蜀が致命的な大敗を免れてきた孔明の戦略眼と見るか、奇襲での勝利以外に逆転の道がないにも関わらず奇策を用いれなかった孔明の失策と見るかでその手腕の評価は異なる。
陳寿は評において「臨機応変の軍略は得意でなかったのではないか」と疑問を投げかける。ただし、諸葛亮が数で勝る魏軍を相手に、さしたる損害もなく「勝てずとも負けない戦い」を数年に渡って展開し(北伐最大の損害は馬謖の出した三千前後の損害であり、大将級が討ち取られたこともない)、退却時にも王双や対蜀戦線のナンバーツーの名将・張郃を討っている。電光石火の急襲を得意とする司馬懿ですら、打ち破られて堅固に守り続けるしかない状態に追い込まれたことは紛れもない事実である。(敵の司馬懿からも「天下の奇才」と最大限に評価されている)
外見は多くの場合、白い着物に先端がくるくるっとした帽子を被り、白羽扇を持っており、たまに車椅子に座っている(彼の発明品「四輪車」の想像図にちなむ)。
諸葛亮に関する成句
諸葛亮をもとにしたキャラクター
- 策士・諸葛孔明(ジャイアントロボ THE ANIMATION~地球が静止する日~ )
- 「だまらっしゃい!」
書籍『世界征服は可能か?』において「寒さで部下が次々と凍え死んでいるのに何が『策士孔明のプランどおり』か」とダメ出しを喰らっている。 - 諸葛亮(恋姫†無双)
- 「はわわ、ご主人様、敵が来ちゃいました!」
時々テンパって舌をかむが、軍師としての判断能力は折り紙つき。「真恋姫」では同僚に「あわわ」ことホウ統が加わる。 - 諸葛亮孔明(一騎当千)
- 諸葛亮孔明(鋼鉄三国志)
- 孔明リ・ガズィ(BB戦士)
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読み:ショカツリョウ
初版作成日: 08/08/30 09:54 ◆ 最終更新日: 12/01/15 14:14
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