単語記事: 諸葛亮

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しょかつりょう
諸葛亮   いわく、

ほかに することは ないのですか?

 

わたしは ちゅうごく さんごくじだいにて しょくかんに つかえた せいじかです。 あざなは こうめい。

くわしくは グーグルか ウィキで おしらべなさい。


まて あわてるな これは こうめいの わなだ?

だ ま ら っ し ゃ い !

なんでも わたしのせいに すればいいという ものでは ありません。

概要

中国時代にてに仕えた政治家。字は孔明

劉備三顧の礼で迎えられ配下となる。劉備の死後は劉禅に仕えた。
その後、丞相として内政に励みながらも自ら軍を率いてを攻める北伐を行った。5度の北伐の最中、五丈原の戦いの中にて病没。北伐の際に奏上した出師の表、後出師の表は名文として有名。
(なお、後出師の表は演義のみの登場であるため、後世の創作である可性もある)
一族にも有名な武将が多くいる。例えば諸葛瑾にて政治軍事の両方で活躍していた。

演義の活躍のため、妖術使いだとか謀の策士とされることが多いが、(実際、コーエー三國志でもそういう扱いを受けている)正史では内政に特に優れていたようである。
戦争揮や戦術眼に関しては孔明と並び称されたこと龐統や、劉璋を裏切り劉備らを迎えた法正らの方がすぐれていたと評されることが多い。(共にの建以前に死亡し、北伐には参加できなかった)
正史での彼は戦争に関して慎重で、むしろ奇策を好まなかった。ほぼ確実に勝てると踏んだ時にしか攻めなかったため、よく魏延と対立した。有名な話としては、北伐の際に魏延が敵の後ろからの奇襲を提案したものの、成功するかどうかは半々だったために孔明が退けたというものがある。このことについて、に劣るが致命的な大敗を免れてきた孔明の戦略眼と見るか、奇襲での勝利以外に逆転のがないにも関わらず奇策を用いれなかった孔明失策と見るかでその手腕の評価は異なる。

陳寿は評において「臨機応変の軍略は得意でなかったのではないか」と疑問を投げかける。ただし、諸葛亮が数で勝る軍を相手に、さしたる損もなく「勝てずとも負けない戦い」を数年に渡って展開し(北伐最大の損馬謖の出した三千前後の損であり、大将級が討ち取られたこともない)、退却時にも王双や対戦線のナンバーツーの名将・張郃を討っている。電石火の急襲を得意とする司馬懿ですら、打ち破られて堅固に守り続けるしかない状態に追い込まれたことは紛れもない事実である。(敵の司馬懿からも「下の奇才」と最大限に評価されている)

外見は多くの場合、着物に先端がくるくるっとした帽子を被り、羽扇を持っており、たまに車椅子に座っている(彼の発明品「四輪」の想像図にちなむ)。

諸葛亮に関する成句

諸葛亮をもとにしたキャラクター

策士・諸葛孔明ジャイアントロボ THE ANIMATION~地球が静止する日~
「だまらっしゃい!」
書籍『世界征服は可か?』において「寒さで部下が次々と凍え死んでいるのに何が『策士孔明プランどおり』か」とダメ出しを喰らっている。
諸葛亮恋姫†無双
「はわわ、ご人様、敵が来ちゃいました!」
時々テンパって舌をかむが、軍師としての判断折り紙つき。「」では同僚に「あわわ」ことホウ統が加わる。
諸葛亮孔明一騎当千
諸葛亮孔明(鋼三国志
孔明リ・ガズィBB戦士

関連動画

以下は孔明の個人研究動画

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関連項目


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ページ番号: 507899 リビジョン番号: 2142414
読み:ショカツリョウ
初版作成日: 08/08/30 09:54 ◆ 最終更新日: 15/01/09 11:09
編集内容についての説明/コメント: 「鳳雛」の誤字訂正、「他はすることはないのですか」は三國志2ではなく初代
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諸葛亮について語るスレ

509 : ななしのよっしん :2018/03/22(木) 17:45:22 ID: p5FgsX6mxl
学のないクソ馬鹿に教えてくれ
どっかで聞いた話だが諸葛亮じゃ庸なしかなくて弱小のだから有能扱いだっったって聞いたんだがほんとなのか?
510 : ななしのよっしん :2018/03/22(木) 23:45:30 ID: utCrevRP4a
至上義者による貶めでなければ孔明徐庶での遇を聞いて嘆いたのと混同してるんではないかな
511 : ななしのよっしん :2018/03/22(木) 23:52:15 ID: AqAxEjhc0j
劉禅みたいに丸投げしてくれて
管仲と楽毅2人分の仕事ができるようほほーい♪
てなことにはならんのは間違いない
512 : ななしのよっしん :2018/03/23(金) 20:09:44 ID: M9rIeK+8dj
より人材が豊富なのは確かだが一を丸々る人物というのは
何処のでも稀有な存在だし
で働いたこともないのに庸なと決めつけるのもあり得ない
513 : ななしのよっしん :2018/03/23(金) 21:52:57 ID: aPTKX2Y9wx
諸葛亮庸となると、ほとんどの面で勝っているのに
そんなが仕切ってる一つ落とせないは、とんでもない雑魚国家ってことになるからな
司馬懿が死後に諸葛亮を誉めたのってそういう意味もあったのか?
514 : ななしのよっしん :2018/03/25(日) 11:32:57 ID: RlNi28Vbu3
まず「じゃ庸なしかなくて弱小のだから有能扱いだった」というそのものズバリな表現は正史(あるいは裴註などの同時代に近い史料)にはない。

一方で元ネタと関係ない「かの個人的な評価」としては、これはまあ探せば似たようなものはあるだろう。
まあとしては何を根拠に?と思うんだけども、ぶっちゃけた話人物の評価なんてその人の価値観次第なんだしね。

諸葛亮中国史上「孔子以来」とすら言われた程に格化された人だけども、その一方で「連年謀な出征を繰り返し、亡へのを決定づけた人物」「劉璋をだまし討ちにさせ、外交への信義を失わせ、を僭称させた失徳の人」とする評価もまた古くからあるよ
515 : ななしのよっしん :2018/03/26(月) 10:41:13 ID: rzdmI1dhAC
裴松之の「諸葛亮がもしに仕えたなら司馬懿陳羣ですら相手にならねぇんだよ!」っていう評価は過剰な気もするけど潔いほど諸葛亮大好きっぷりが出てて清々しい
確かに庶民出身の徐庶が四品官まで出世したことを考えるとコネクション持ちの諸葛亮ならもっと出世してもおかしくないとは思う
ただ、もしに仕官しても諸葛亮でそうしたように命削ってまで才を発揮しただろうか?という疑問は残る
516 : ななしのよっしん :2018/03/30(金) 17:13:39 ID: 3DAPzSnHEc
諸葛亮では々ってのは、恐らく学友の徐庶、石韜の地位の低さから
想定したんだと思うが、学友の1人である建は州刺史、征東将軍まで登っているから
諸葛亮で埋もれるとは考えにくいな。人脈がないので、貴族閥の強いでは
時代のような強権高位は流石に不可能だと思うが・・・・
徐庶がそこまで地位が高くないのも、寒門、柄の低さによるところが大きい)
517 : ななしのよっしん :2018/03/30(金) 17:22:08 ID: 3DAPzSnHEc
とりあえず諸葛亮劉備に会うことなく、208年に曹操に仕え始め、史実通り234年に病没すると
仮定して、柄も考えると三クラスはちとキツイかな。新参だし。

の歴代三は鍾繇、歆、王朗陳羣、董昭、司馬懿満寵、陳矯、賈詡
どの人物も長命で曹操曹丕)に仕えた期間も長いので、ここは少し理。
尚書令に就任して、三になる前に病没、という程度だろうか。あくまで文官メインとするなら。

武官メインの場合はもっと難しい。と違って親族重用だから、曹休曹真のような
人物の上に行くことはほぼ不可能諸葛亮軍事に参画したのもの窮状ありきだから、では
軍事に関してはほぼ出番がいと思われる。(いいとこ地方の反乱鎮圧くらい)
518 : ななしのよっしん :2018/04/09(月) 10:22:01 ID: rzdmI1dhAC
校尉(太守レベルの高級武官)で爵位も受けた蔡瑁との縁戚関係もあるし荊州が曹操)に伏した時に一緒に降伏していればそれなりの待遇は受けられたと思う
賈詡や傅幹みたいなの高官たちもまだ諸葛亮丞相にもなっていない劉備存命時から高く評価してるし、裴松之じゃないが諸葛亮に仕えてたら歴史が変わるレベルで活躍してたんじゃないかと思う
ただ歴史にもしは意味だしそもそも諸葛亮に仕えることは絶対にかっただろうから言っても詮き事だけど
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