谷啓(1932年~2010年)とは、日本のコメディアン・トロンボーン奏者・俳優である。
東京府荏原郡東調布町出身。日本トロンボーン協会名誉会員。クレージーキャッツのメンバー。
略歴
- 1945年 逗子開成中学校に進学。入学式のトロンボーンの演奏に惚れて音楽部(現・吹奏楽部)に入部する。
・・・在学中に進駐軍のジャズに触れ、「こんな楽しい音楽があったのか」と夢中になる。 - 1951年 関東学院大学経済学部に進学・・・しかし音楽仲間を追ってすぐに中央大学経済学部に転学。
・・・音楽研究会に所属。(ちなみに音楽研究会の後輩に高木ブーがいた)
バンドを組んで米軍向けに演奏するようになる。 - 1952年 テナーサックス奏者の原信夫に誘われて『シャープスアンドフラッツ』に参加。
・・・この頃からトロンボーン奏者としての名が通るようになってくる。 - 1953年 フランキー堺に誘われ、『フランキー堺とシティフリッカーズ』に参加。
・・・フランキー堺の誘い言葉は「スパイク・ジョーンズみたいな音楽をやろう」だった。 - 1956年 植木等の紹介でハナ肇と出会い、『キューバンキャッツ』に参加。
・・・このバンドが後に名を変え、60年代に一世を風靡したコミックバンド『ハナ肇とクレージーキャッツ』となる。 - 1959年 「おとなの漫画」放送開始。
1961年 「シャボン玉ホリデー」放送開始。
・・・これ以降クレージーキャッツは多くのバラエティ番組に出るようになる。
谷は「ガチョーン」「ビローン」「アンタ誰?」「ハラホロヒレハレ」などのギャグを量産し、確固たる人気を獲得した。 - 1962年 映画「ニッポン無責任時代」に出演。
・・・以後、クレージーキャッツメンバーが主に出演するクレージー映画に多数出演。
「歌って踊って演技も出来る」という地位を築いていった。 - 1972年 「シャボン玉ホリデー」放送終了。
・・・この頃からクレージーキャッツメンバーのソロ活動が多くなる。
谷もバラエティ番組への出演は減り、俳優としての出演が多くなった。(映画『釣りバカ日誌』シリーズなど) - 2010年9月 私邸の階段を踏み外して転落、頭部を強打した。翌日に脳挫傷で急逝した。
主な出演作・番組
映画
【主演作】
【出演作】
- 『ニッポン無責任時代』(1962年)・・・クレージー映画初作品。谷田総務部長役で出演。
- 『会社物語 MEMORIES OF YOU』(1988年)・・・クレージーキャッツメンバー全員が出演した最後の作品。
- 『釣りバカ日誌シリーズ』(1988~2009年)・・・シリーズ全22作中21作に佐々木和男役で出演。
TVドラマ
- NHK大河ドラマ『武蔵 MUSASHI』(2003年)・・・権六役で出演。
- 『名探偵・金田一耕助シリーズ』(1994~2005年)・・・河合警部役。ハナ肇死去以降、後任として出演。
- 『おみやさん』(2002~2009年)・・・七尾清一郎役。第1~6シリーズまで出演。
TVアニメ
バラエティ・他
- 『おとなの漫画』(1959~1964年)
- 『シャボン玉ホリデー』(1961~1972年)
- 『7時半だよクレージー』(1963~1964年)
- 『クレージーの奥さ~ん!』(1973~1976年)
- 『欽ちゃんのどこまでやるの!?』(1976~1986年)・・・萩本家に居候している作家という設定。
- 『なるほど!ザ・ワールド』(1981~1996年)・・・レギュラー解答者。
- 『TV海賊チャンネル』(1984~1986年)
- 『笑う犬の冒険』(1999~2001年)
- 『美の壺』(2006~2009年)
人物・エピソード
- 芸名はアメリカの名コメディアン「ダニー・ケイ」を日本語風にしたものである。
- 超高速まばたきが癖であった。
- 「ガチョーン」(当時は伸ばさずに「ガチョン」だった)は、仲間内で麻雀を打ってる時の奇声が元ネタ。麻雀牌を「ガッ」と掴んで「チョン」と引くような動作に対し、TVカメラが動いて揺れることで定番のギャグとなった。
- 妻は歌手・ペギー葉山の元マネージャー。交際期間が長かったにも関わらず、恥ずかしがり屋の谷からのアクションが無かったため、奥さんの方がプロポーズした。
- 1964年の東京オリンピックの際、オリンピック選手の素晴らしさに感動するとともに、「それに比べて俺のやってる事は・・・」と鬱状態に陥った。
さらにオリンピック選手に間違えられたくて、選手団のユニフォームである赤のジャケットを着て街を出歩いたりした。 - 1968年に新築した家が翌年火事になった。谷は「火事のシーンを撮りたい」と言ってわざわざ引き返したものの、フィルムが入っていなくて結局撮影できなかった。
また、全焼した自宅の焼け跡に麻雀牌と卓が残っていたので、その場で見舞い客と麻雀を打った。 - 水虫が好きで、全く治療をしなかった。「むず痒いのを我慢する」のも好きで、更に「耐え切れずに足を掻く」時の開放感もたまらなかったという。
- 車は派手な外車が好き。一時はフォード・サンダーバードが愛車だった。
- ホラー映画の愛好家であった。
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関連項目
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