豊臣秀保
豊臣秀保(とよとみ(の)ひでやす)とは、安土桃山時代の武将・大名である。
豊臣秀吉の甥。豊臣秀次と豊臣秀勝の弟。叔父である豊臣秀長の養子となり、その跡を継いだ。
概要
叔父である豊臣秀長の娘と祝言をあげ、養子となった。
秀長の死後、その跡を継ぎ、秀長の側近である藤堂高虎と桑山重晴の後見を受けて、大和と紀伊の2国を治めた。
文禄の役では、次兄・秀勝と異なり、まだ若年であった秀保は代理に藤堂高虎ら配下を朝鮮に送り出し、自身は名護屋城に滞在した。
その後、 文禄2年に名護屋城から引き上げ、同年に上洛して従三位・権中納言となり、以降、 秀保は「大和中納言」と呼ばれるようになった。
しかし、病弱であったのか、それとも何者かに暗殺されたのか、若くして死去。
秀保には子供がいなく、同じく秀長の養子であった丹羽長秀の三男・仙丸は、まだ子宝に恵まれていなかった藤堂高虎の養子となり、その後継者として藤堂高吉と名乗っていたので(のちに高虎に実子・高次が生まれたので高吉は後継者から外された)、秀保の代で大和豊臣家は断絶してしまった。
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