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単語記事: 豊臣秀吉

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太閤殿下

豊臣秀吉(とよとみ・ひでよし/とよとみ・の・ひでよし 1537年 - 1598年)とは、日本の戦武将・大名である。
羽柴秀吉木下藤吉郎と名乗っていたこともある。通称は「」。「禿」とも。

概要

中村足軽(半農半兵)のの生まれ(学問ができる程度には裕福だったらしい)。のちに織田信長に仕える。
信長の下で着実に出世を重ねた秀吉は、本能寺の変信長明智光秀に攻められ自害すると、その光秀を討ち信長の後継者としての地位を得た。
その後、公家の最高位である関に就き、全の大名を従え、信長の果たせなかった下統一を成し遂げた。

百姓から下人まで上り詰めた秀吉は「戦一の出世頭」と呼ばれる。

下統一を果たした秀吉は、次の狙いを明の征と定め、その通りとなる朝鮮への2回にわたる出兵(文・慶長の役)を行った。しかしながら明・朝鮮しい抵抗に遭い、野望は頓挫。第二次出兵のさなか1598年9月18日に没した。

秀吉の生涯を見渡せば、日本歴史上稀にみる英雄であったことは間違いない。
しかし、その晩年は海外への無謀とも言える野望・後継者問題など、さすがの英雄も耄碌してしまった感がある。

歴史的快挙

  • 下を統一した(戦国時代以前までは下=畿内であった。大内三好長慶らの行動の裏にはこの背景がある)
  • 豊臣』姓を賜った(一介の武将がわざわざ姓を賜るのは異例→「豊臣」項で詳述)
  • への就任(関藤原氏を始祖とする五摂の独占職であり、秀吉の就任以前は一切の例外がなかった)

こうして、武社会公家社会の両面において豊臣秀吉大な権勢を誇ったのである。

太閤

「太閤」とは、摂政・関の位を自らの子に譲った前任者のことを言う。
秀吉は自分の甥である豊臣秀次に関の位を譲ったのちに、「太閤」と呼ばれるようになった。
現在では「太閤」と言えば、ほとんどが秀吉のことをすと言ってもよいほど浸透している。
特に秀吉の本拠地であった大阪では、今も「太閤はん(さん)」と親しみを込めて呼ばれている。

KOEIから発売されている『太閤立志伝』はまさに秀吉の立身出世のさまを扱ったゲームである。

一般的な人物像

小説ドラマなど、秀吉は様々な作品に登場している。
多くの場合いわゆる太閤さん、ひょうきんで人懐こく嬌のあるキャラクターで描かれる。
ドラマでは「のぶながさまぁ~」と叫びながら飛び跳ねるように追いかけていくのが常である。
武勇が描かれることは少なく、知的というよりは狡賢い役回りとなる。

戦国大戦

二枚の秀吉が存在する。
「おいらにお任せを!」
一枚SR秀吉は1.5コスト4統率9、特技は魅・攻の2つと下人になっただけあり、ハイスペックとなっている。1560年当時は木下藤吉郎だったはずで羽姓はもっと後とか言ってはいけない。計略は有名な「一夜」。大筒が一回発射されるまで一切壊れない鉄壁の柵を大筒の前に出現させる。柵と言うよりはただのハリボテであるが。
Ver1.10で伏兵が削除されてしまった。しかし依然として1.5コスト最高統率の攻持ちという座からは陥落しておらず、統率負けすることはほとんどないため虎口攻めは脅威であることに変わりはない。
しかし秀吉が採用されていた理由はむしろ開幕にやや弱い織田を補う高統率伏兵持ちという面が強かったせいか、現在は同コスト伏兵持ち、サブ計略として有効な「前線への采配」を持つ簗田政綱にとって代わられているのが現状のようだ。だが、さらにVer(年代)が進むと史実上本格的に秀吉の時代となるため、またスーパースペックで出てくる可能性は高い…と思われる。

「一度の人生、楽しくいきましょうよ!」
木下藤吉郎カードもある。ただしこちらは戦傾奇(漫画とのコラボ)で「釣りバカ日誌」のちゃんになっている。計略も「一本釣り」とここまで来るとむしろ清々しい。

また戦国大戦ムックにもEXカードとして登場する。計略は「立身への采配」と独自計略であるが実質「前線への采配」と効果は変わらない(Ver1.04B現在)。SR足軽でこちらは足軽、攻と統率2を失って防柵を得たスペックと言ったところ。「前線への采配」は同じ織田で簗田政綱が所持しているので同コストでもある彼との争いとなりそうである。

補足

信長の野望」(PCシリーズにおける豊臣秀吉一覧

軍事 内政
群雄伝(S1) 戦闘 88 政治 95 87 野望 85
武将録(S1) 戦闘 71 政治 98 92 野望 78 教養 62
覇王 采配 91 戦闘 78 智謀 96 政治 100 野望 93
戦才 158(A) 智才 190(A) 政才 200(A) 98 野望 95
戦闘 80 智謀 94 政治 100
烈風 采配 91 戦闘 59 智謀 93 政治 100
世記 采配 71 智謀 85 政治 89 野望 100
統率 78 知略 85 政治 90
下創世 統率 78 知略 85 政治 90 教養 56
統率 87 武勇 65 知略 94 政治 104
統率 87 武勇 73 知略 93 政治 104

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読み:トヨトミヒデヨシ
初版作成日: 09/01/21 18:43 ◆ 最終更新日: 12/05/16 20:11
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豊臣秀吉について語るスレ

145 : ななしのよっしん :2012/04/24(火) 06:04:22 ID: +DzK5V+tqd
劉邦が基本は近いと思う。下統一後晩年おかしくなった辺りも。
ただ劉邦よりも個人的は上だったと思う。しかし徳の面じゃ
人たらしではあるけど劣るといった感じ。そこは劉邦のその辺の
が史上稀なレベルってのもあるが
146 : ななしのよっしん :2012/04/24(火) 12:36:53 ID: 2OeKJ+qThE
よく曹操信長は似てると言われるけど
その似ているという部分は秀吉にも当てはまると思うんだ
もっとも、まったく同じ性格や容姿の人物なんているわけがない
誰々のこの部分は誰似、ここは誰似って感じがいいと思う
決めつけはダメ
147 : ななしのよっしん :2012/04/24(火) 13:01:03 ID: J9eUF8NLpQ
逆に余り他の人物と似ていると言われないのが家康
148 : ななしのよっしん :2012/04/24(火) 14:54:09 ID: N4BG0nOpDP
>>144
曹操信長に似ているってコーエーの影か?
秀吉書道も巧みだしを大成させたのも秀吉の功績に入る。
楽、、儒学など多方面のジャンルから学者を呼んでは教えを乞うて実践している。下取ってからも多方面に才を発揮したと言う点では日本では秀吉の右に出る人はいない。

むしろ信長曹操に似ているところなど何もないと思うけどな。
信長は基本的にお人よし(そのせいで何度も裏切られているが)だし、
官位はついでと言わんばかりの執着心のなさ。どっちかってと孫策でしょ?
149 : ななしのよっしん :2012/04/24(火) 14:55:10 ID: N4BG0nOpDP
まあ一番秀吉に似ている人物と言われると曹操より朱元璋を挙げたいが
150 : ななしのよっしん :2012/04/30(月) 07:23:56 ID: im0aZXL2/Q
秀吉は子に恵まれなかったけど親類はそこそこつくったから、秀次、秀
それに秀もそれに準じると考えていくと、最盛期には実はびっくりする
ほど身内支配がしっかりした地図ができあがってるんだよな。
秀長のが絶えてしまったせいで少しができたけれど、その分は秀次が
子だくさんなので、次の代には婚姻や分封によって回復できたと思われる。
しかし結局はそれを秀吉自身がぐっちゃぐちゃにしてしまったのだから、
やはり晩年は耄碌していたのだろうか。
151 : ななしのよっしん :2012/05/16(水) 00:32:55 ID: JCkOR/1BQt
>>150
秀次は中々、優秀な人物だとは思うが
子供が何人生まれようが秀長の代わりには、まったくならない。
正直、秀保が長生きしても関が原の結末は変わらない。
秀吉は秀長をあまりにも重要なポジションに置きすぎた。
まあ、あの戦歴で秀長を下っ端に置いとける訳がないけど。
152 : ななしのよっしん :2012/05/18(金) 13:25:16 ID: 1xsj/OUgnK
代々の臣団を持たないから血縁にたよるしかなく、
必然的に一のまともな血縁者である重増してしまう

無理な出世が生んだどうしようもない副産物ですな
153 : ななしのよっしん :2012/05/21(月) 14:25:18 ID: jMxRJ6bz7l
曹操は文化面ではパトロンとしてだけではなくアクターとしても才を発揮した
が、秀吉はアクターとしての才には乏しかった

劉邦は蕭何、韓信張良という非常に優れた部下を持っていた
が、秀吉はどちらかといえば自身の才で下を取った

って辺りが違うかなと思ったり思わなかったり
154 : ななしのよっしん :2012/05/25(金) 11:52:59 ID: 7qF5ogalWL
創作のイメージだけで較するのはどうなのかと
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