赤井家清(あかい・いえきよ 1525 ~ 1557)とは、丹波国の戦国武将である。赤井時家の嫡男。弟に赤井直正、赤井幸家、赤井時直、山口直之。子に赤井忠家がいる。
概要
家清が誕生してすぐに丹波で畿内の細川高国に属していた祖父・赤井忠家と父・時家が波多野攻めに対して波多野稙通へ援軍を出して細川尹賢を攻撃して内乱が俄かに勃発する。高国の死後、稙通が細川晴国(高国の子とも弟とも)方に寝返ると、祖父は稙通相手に敗死し、父と共に別所氏の元へと逃れた。
晴国の死で晴元により細川家の内乱は収束され、領内に帰還することができた。いつごろかは不明だが、天文年間の間に父の隠居により家督を継いだ。丹波国内外でまずまずの戦功をあげるなど勢力を広げ、荻野氏を継いだ弟・赤井直正と共に丹波における有力な勢力へと成長させる。
しかし、細川晴元を追放して新たな畿内の支配者となった三好長慶の下で活躍している丹波守護代・内藤宗勝の意を受けた丹波国人衆と戦い、戦傷を負い領内へと帰還するが、治癒の甲斐もなく1557年に死亡した。嫡子・忠家はまだ幼少だったため、直正が赤井家の総帥となって全盛期へと導いていくこととなる。
関連項目
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