足立遠元(?~?)とは、平安時代末期から鎌倉時代にかけて活躍した武将である。
概要
魚名流藤原氏のうち山蔭流とされているが、勧修寺流との説もある。父は足立遠兼、母は豊島泰家の娘とする説があるがはっきりしない。また安達盛長は年下の叔父である。武蔵国足立郡を本拠とし、平治の乱では源義朝に従った。そのため右馬允に任官している、その後の戦闘では源義平に従い、斎藤実盛、熊谷直実、金子家忠とともに奮戦した。
平時の乱後は本領に戻っていたが、1180年の源頼朝の挙兵後、頼朝が房総半島から武蔵国に入ったタイミングで彼を迎え本領安堵された。しかしその後平家との戦闘に参加した記録がなく、鎌倉にとどまって頼朝の補佐をしていたようだ。1184年に平頼盛が帰京する際の餞別の宴に召されたり、1186年の一条能保夫妻の餞別の宴を彼の家で行ったり、といった具合にかつての京武者として京の生活や風習にも詳しいことが見て取れる。
源頼朝の上洛の際左衛門尉に任じられており、源頼家の訴訟親裁停止後の十三人の合議制の一人にも選ばれ、さらに源実朝にも使えるなど幕府の宿老として活躍した。
足立氏はその後パッとしないが、彼の娘が畠山重忠、北条時房のみならず京都の公家である藤原光能に嫁いでおり、広範囲にわたる人的ネットワークの一例として宇都宮朝綱と並び研究の対象となっている。
関連項目
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