本項では、一般的に「軍艦島」として広く知られている、4.について説明する。
端島の概要
北緯 32.627792 東経 129.738257 ぐらいに位置する、200メートルx500メートルぐらいの小さな島。島の外見が軍艦に似ていることから、大正時代より軍艦島の愛称で親しまれている。
全盛期には人口密度と生活水準が東京を超えて日本一どころか世界一の町であったが、現在では廃墟である。
江戸時代より石炭がとれることが知られており、1869年(明治2年)より炭鉱が作られていた。当初は強風が絶えないという立地条件の悪さからうまく稼働していなかったが、1890年(明治23年)に三菱が私有地としてから、島の周囲を埋め立てるなどいろいろがんばって、炭鉱として機能するようになる。
黒いダイヤと呼ばれる石炭の中でも良質の強粘炭(きょうねんたん)が大量にとれ、日本を代表する炭鉱町となった。その莫大な利益が、小さな島を世界一の街へと変えていく。全盛期の1960年(昭和35年)には5000人ぐらいの住人がみっちりと暮らしていた。
莫大な利益から、都市としての水準は極めて高く、明治時代に日本初の鉄筋コンクリート住宅を備えていたほか、屋上庭園、水洗トイレなどの世界の最先端技術がこの小さな島にあった。住民の家賃電気ガス水道がすべて無料ということからも、どれだけ潤っていたかが想像できる。
5000人の生活を支えるすべてのものを三菱がこの小さな島に提供した:マーケット、郵便、警察、役場、病院。もちろん娯楽も三菱がすべて提供した:映画、パチンコ、スナック、マージャン、遊園地、プール、旅館、娼婦。
ただし、繁栄の裏には、地下600メートルにある炭鉱での危険で過酷な労働や強制連行&強制労働により、多数の死者が出ている現場であることを忘れてはならない。また、遺族に対する謝罪等を三菱が一切行わないことも問題視されている。
やがて時代が変わり、エネルギー源が石炭から石油に代わって行くおありを受けて、昭和30年後半から衰退しはじめ、1974年(昭和49年)に閉山、翌50年に無人島となり、廃墟になった。
現在は観光で上陸することができる。
GoogleMapにきれいな航空写真がある。ストリートビューで風景を楽しむこともできる。
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関連項目
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読み:グンカンジマ
初版作成日: 10/08/19 01:33 ◆ 最終更新日: 11/01/17 08:24
編集内容についての説明/コメント: ゲーム「SIREN2」の舞台である ← 誤りなので訂正
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