辛党とは、
忙しい人のために結論から言うと、多くの辞書には2の意味しか載っていないが、1の意味で合っている。
古くから今に至るまで一貫して1の意味で使われているが、辛党は辛いもの好きという事から、酒のつまみは辛いものが多いので酒好きという意味が派生し、2の意味が生じたと推定される。
1の意味はある時期になぜか辞書から取りこぼされてしまった(小学館国語辞典編集部神永曉氏の調べによる)。そのため辞書を頼りに言葉の意味の正誤を判断する人が、1の意味は誤用だと言うようになったのである。
辛党を酒好きとする意味の初出は、種田山頭火の日記(1935年)で、「私は酒も好きだが、菓子も好きになつた(中略)、辛いものには辛いもののよさが、甘いものには甘いもののよさがある、右も左も甘党辛党万々歳である」である。こうしてみると、、やはり甘いもの好き=甘党、辛党=辛いもの好きという意味もあるように思われる。
一方、単に辛党を辛いモノ好き、しょっぱいもの好きとしている用例は、『趣味の旅 名物をたづねて』(1926年 松川二郎)「辛党、甘党それぞれ好みに従って調味せられる」や、『私は赤ちゃん』(1960年 松田道雄)「固形食の味は、から党には塩気を多くし、甘党には甘味を多くしてやればよろしい」といったものが『日本国語大辞典 第3版』に向けた用例の投稿公募で寄せられている。
年配の方々に聞けば分かるが、普通に1の意味はずっと使われ続けてきた。したがって、最近になって本来の意味に戻ったわけでもない。
「ある時期から辞書が載せなくなった」「それにしたがって誤用と言う人が現れた」という事実があるのみである。堂々と昔からずっと使われ続けてきている本来の意味で使えばよろしい。
概要
味覚に関しては色々な嗜好が存在するが、暴君ハバネロや激辛マニアをこよなく愛する人・何にでもタバスコやデスソースをかけて楽しむ人・ココイチに行けば6辛以上がデフォの人…などなど、刺激的な辛さを求めて止まない者も少なからず存在する。そうした人々に対して、「辛党」という言葉が使われる。
唐辛子には辛さとともに甘味(!)や旨味がたっぷりと含まれており、インド料理(ガラムマサラなどインド独特のスパイスを用いる)やタイ料理(ゲーン・ペット・ガイ・ノーマイなどは強烈な辛さ)、韓国料理(ケジャンなど唐辛子をたっぷり使ったかなり辛めの料理がいろいろとある)、四川料理(麻婆豆腐、麻婆茄子、回鍋肉などはもはや日本の家庭料理に取り込まれている)では、唐辛子を多く使うことは辛味だけでなくコクを増すことにもなり、辛党は実は本格派の深く充実した味わいを求めている、という側面もある。
なお、辛党には塩辛さを重視する側面もある。海に囲まれ、ほぼ無尽蔵の塩に恵まれた日本人ほど、好んで塩を使う民族もなかなかない。塩を手にまぶして炊きたてのご飯でにぎったおむすびは、具を入れたり海苔を巻いたものとはまた格別の美味しさがある。塩には素材の味を引き立てる魔法の力があるのである。
伝統的な和食の調味料である醤油、味噌などは多くの塩分を含んでいる。もちろん塩だけでなく出汁、酢、酒、砂糖、七味唐辛子など多種多様な味付けが合わさって豊かな和食の世界を形作っているのは言うまでもないが、潮を感じる塩味は日本の味の基本とも言える。この意味での辛党は、刺激的な辛さの追求より、シンプルな塩のみの味付けであることを求める志向が強い。出汁や甘味を加え塩味は控えめの西日本に比べ、東日本のほうがこの意味での辛党は多い。
日本の味覚と辛さという点では、湧き水でしか育たないというわさびの存在も無視できない。これは唐辛子とはまた違った鋭く澄んだ清々しい辛さを持っており、そば、ふりかけ、お茶漬けなどでは欠かせないものとなっている。
このように辛味の世界は様々な味わいが絡みあって奥深く、一方で塩辛さに着目するとあまり濃密で複雑な味付けをせず、素材の味を引き立てて楽しむという日本的な澄んだ味覚を支える面も持っている。ただ西日本と東日本の食文化の違いなどにも見られる通り、日本的な味覚と言っても多様である。
関連項目
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