近世とは、時代区分の一つである。
概要
中世の次にあたり、近代の前にあたる。近いような遠いような、そんな時代である。かつて時代区分は古代・中世・近代(現代)と分かれていたが、中世を一つの時代として扱うことに無理が生じたことから分かれて成立した時代である。
近世の基本的なキーワードとしては主権国家の形成や、王権の強化、重商主義といったものがあげられ、平たく言えば我々が今イメージするような国家の形ができあがりはじめた時代といえよう。
中世までは国王は飾りか、緩い首領でしかなかったが、近世に入ると常備軍や、官僚機構の整備によって広大な領域を効率的に支配することが可能になり、それに伴って王権(主権)も強化されていった。
中世から近世への移行のお手本といえる国家はフランス、もっといえばブルボン朝である。カトリックとプロテスタントの間でおきたユグノー戦争をまとめた、アンリ4世によって開かれたこの王朝はルイ13世の時代に、宰相リシュリューの下抵抗勢力の貴族を抑えた。そして、文芸活動の保護も盛んに行って王権の強化に務めた。続いて、ルイ14世の時代にリシュリューから引き継いだマザランによって王権の強化は完成し、「朕は国家なり」の言葉に代表されるような、絶対王政の時代が到来した。
しかし、ルイ14世は対外戦争を盛んに行い、ルイ15世の時代になっても英国やプロイセンなどとの対立が続き、財政は窮乏。その負担は増税という形に国民に降りかかり、近代への扉を開く、フランス革命の時代へと繋がっていく。
これは中世から近世へのほんの一例である。しかし、特にヨーロッパ諸国においてはだいたい諸侯の分立→王による吸収・武力併合→中央集権化の道をたどって近世へと入り、国王に対する不満や、商業の振興による新しい知識階級や身分の増大による社会構造の変化をたどって、近代へ進んでいくのが主流のパターンとなっている。世界史を学ぶ上ではこれを念頭においておくと、理解が進みやすいだろう。
また、魔女狩りは中世のイメージと思っている人も多いかもしれないが、そもそも異端審問が盛んだった時代は、ルターによる宗教改革(1517年)の後なので中世というよりはこの近世の時代である。
日本における近世
日本史において近世とは江戸時代または安土桃山時代を始点として、黒船来航か、大政奉還を終点とするのが大勢である。
始点については、概要でも述べた通り、我が国に主権国家と呼べる体制がいつ形成されたか? が争点となっている。江戸幕府はまだまだ地方分権的性格が強いとは言え、武家諸法度による全国の諸大名への統制は、建武式目が布かれた室町幕府や、貞永式目の鎌倉幕府の時代とはまた比べ物にならないほど強いものだった。その為、一応の主権国家体制として見なし、近世と見ることに異論がでることはまずない。
しかし、その一つ前の豊臣秀吉や織田信長による時代を近世とみるかどうかで議論が起こっている。とはいえ、豊臣秀吉の時代には城下に諸大名の妻や子どもを住まわせたり、惣無事令による統制が、中央集権的な性格を持っていると考えられている。また、織田信長の時代でも一門や譜代、側近を重用して中央を固めていたため、これもまた近世的性格をもっていると考えられている。吏僚衆や近臣衆の細分化による複雑化も、官僚機構の整備としてそれに類するものという考え方もある。その為、現代の主流としては安土桃山時代より後を近世として扱うことが多い。
各国・各地域の近世の範囲
以下に列挙するのはあくまで一例である。どこからを近世とするかは学者・学説によって意見が分かれるところなので注意。
欧州+アメリカ
全体の傾向としてはビザンツ帝国の滅亡・百年戦争の終結(1453年)または宗教改革の時代から、フランス革命の時代まで
- フランス 16世紀頃~フランス革命
- ドイツ 宗教改革(1517)~ナポレオンによる神聖ローマ帝国の瓦解(1806)
- 英国 国教会成立(1534)~アイルランド併合による合同法成立(1800)
- スペイン レコンキスタ完遂(1492)~ナポレオン戦争
- アメリカ コロンブスによる入植(1492)~合衆国憲法制定(1787)
- ロシア モスクワ大公国の独立(1480)~ロシア革命(1917)
アジア
- 中国 明及び清
- 日本 安土桃山時代~江戸時代(黒船来航までか、大政奉還までかはまた意見が分かれるところ)
- トルコ コンスタンティノープル陥落(1453)~タンジマート(恩恵改革)の開始(1839)
- インド ムガル帝国(1526~1858)
関連項目
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