- プロ野球選手一覧 > 野村貴仁
野村貴仁(1969年1月10日~)とは、日本の元プロ野球選手である。2000年から2001年までの登録名は野村空生(のむら たかき)。
現役時代は左の中継ぎ投手として活躍し、海外も合わせ合計5球団に所属した。
現役時代
OB | |
---|---|
野村貴仁 | |
基本情報 | |
国籍 | 日本 |
出身地 | 高知県高知市 |
生年月日 | 1969年1月10日 |
身長 体重 |
170cm 75kg |
選手情報 | |
投球・打撃 | 左投左打 |
守備位置 | 投手 |
プロ入り | 1990年ドラフト3位 |
引退 | 2004年? |
経歴 | |
選手歴 | |
プロ野球選手テンプレート |
高知県の高岡校宇佐分校から三菱重工三原を経て1990年にドラフト3位でオリックス・ブルーウェーブに入団。
プロでは1年目こそ登板機会が無かったものの、2年目から左の中継ぎとして頭角を現し、3年目の1993年には36試合に登板して3勝3敗8セーブ、防御率1.53と立派な成績を残し、8月8日のロッテ戦では先発の星野伸之の後を受けて6回1死から登板し、7回に島田茂、大村巌を連続三振、次打者の青柳進も1-2から空振りさせたが、この際に捕手がボールを後逸し、青柳は振り逃げで一塁に。しかし続く堀幸一も三振に仕留めて1イニング4奪三振を達成している。
95年は6月から一軍に上がったが、シーズンを通して抜群の安定感を見せ、37試合で自責点はわずか4点。防御率も0.98に止め、左打者に対しては打率.146と抑え込んでいる。この年はオフに球団から来期の年俸として3900万円を提示されるも、野村はそれよりも多い6500万円を希望し、両者合意に至らなかったため年俸調停を申請したが、最終的には球団側の提示が妥当とされた。
96年は夏場にやや調子を落としたものの、年間を通してセットアップーとしてチームに帯同して54試合に登板し、初めてオールスターゲームにも選ばれている。読売ジャイアンツとの日本シリーズではこの年38本塁打を放っている松井秀喜を4打数1安打に抑えてチームの日本一に貢献した。
97年も52試合に登板したが、98年に木田優夫とのトレードで読売ジャイアンツに移籍。
しかし巨人ではオリックス時代ほどの活躍は出来ず、2001年に巨人を退団すると、憧れだったメジャーリーグに挑戦するためテストを受け、ミルウォーキー・ブルワーズとマイナー契約を結ぶ。
2002年、開幕ロースターに入った野村は、4月3日のアストロズ戦に5人目として初登板すると、フリオ・ルーゴ、代打のブライアン・ハンターを三振、殿堂入り打者クレイグ・ビジオを遊ゴロに仕留めた。しかし、2戦目のダイアモンドバックス戦で投手のランディ・ジョンソンに犠飛を打たれるなど3失点、5月に入ると7度の登板で13失点を喫してマイナー落ちし、一年で戦力外になった。
その後2003年は日本ハムファイターズに、2004年は台湾の誠泰コブラズに所属したが結果は残せず現役を引退した。
引退後
引退後は高知県に戻っていたが、2006年10月に高知市内で覚せい剤取締法違反の疑いで逮捕され、同年に執行猶予つきの有罪判決を受けている。野村は現役時代に外国人選手から「グリーニー」と呼ばれるアンフェタミン系興奮剤である覚醒剤に手を出し、96年頃から服用を始め、同僚選手にも分け与えていた。
そして時が過ぎ2016年2月、通算525本塁打を放った大打者である清原和博が覚醒剤取締法違反の疑いで逮捕されるというニュースが日本中を駆け巡ると、野村は清原に巨人時代に覚醒剤を渡したとしてマスメディアの前にその姿を現す。
だがその姿はかつての現役時代とはかけ離れており、ごみが散乱する自宅に、目はうつろで浮浪者のようにボサボサに伸びた髭、そして長らく会話をしていないのか、それとも覚醒剤の影響なのかぼそぼそと何を言っているのか聞き取りにくい話声という姿に野球ファンだけでなく多くの人が「これが覚醒剤使用者の姿か」と衝撃を受けた。
他にも野村の野球教室?と思われるようなサイトも発掘されたが、どうみてもまともな日本人が書いたとは思えない、機械翻訳したかのような文章が並んでいる。
グリーニーとは
このグリーニーという薬物はカプセルの色が緑であることからグリーニーと呼ばれ、疲労を忘れさせ、集中力を増す効果があると言われる。かつてはメジャーリーグでも頻繁に使用されていたが、2006年に大リーグで禁止薬物に指定されると、そのまま日本などの球界でも使用が禁止となった。(逆に言えばそれまでは使いたい放題だったとも言える)
ちなみに2008年に巨人に所属していたルイス・ゴンザレスはこのグリーニーを使用していたとしてシーズン途中で解雇されている。
プレースタイル
最速151キロの直球に、140キロ台の速さで投げる高速スライダーを武器とし、マウンドでも相手打者の内角を容赦なくえぐる強気の投球を見せ、ほとんどのシーズンで投球回以上の三振を奪っている。
年度別成績
年度 | 球団 | 登板 | 完投 | 完封 | 勝利 | 敗戦 | セーブ | ホールド | 勝率 | 投球回 | 与四球 | 奪三振 | 失点 | 自責点 | 防御率 | WHIP |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
1992年 | オリックス | 27 | 0 | 0 | 1 | 2 | 5 | -- | .333 | 46.1 | 15 | 35 | 15 | 13 | 2.53 | 1.42 |
1993年 | 36 | 0 | 0 | 3 | 3 | 8 | -- | .500 | 70.2 | 12 | 83 | 14 | 12 | 1.53 | 0.86 | |
1994年 | 29 | 0 | 0 | 3 | 4 | 6 | -- | .429 | 47.2 | 25 | 58 | 29 | 23 | 4.34 | 1.55 | |
1995年 | 37 | 0 | 0 | 3 | 1 | 2 | -- | .750 | 36.2 | 11 | 43 | 5 | 4 | 0.98 | 0.87 | |
1996年 | 54 | 0 | 0 | 4 | 1 | 5 | -- | .800 | 69.1 | 28 | 84 | 28 | 22 | 2.86 | 1.20 | |
1997年 | 52 | 0 | 0 | 4 | 5 | 8 | -- | .444 | 65.0 | 31 | 76 | 30 | 26 | 3.60 | 1.40 | |
1998年 | 巨人 | 24 | 0 | 0 | 1 | 4 | 4 | -- | .200 | 19.2 | 18 | 23 | 11 | 11 | 5.03 | 1.88 |
1999年 | 15 | 0 | 0 | 2 | 0 | 0 | -- | 1.000 | 13.2 | 4 | 16 | 2 | 2 | 1.32 | 0.95 | |
2000年 | 24 | 0 | 0 | 1 | 1 | 1 | -- | .500 | 20 | 8 | 21 | 18 | 15 | 6.75 | 1.30 | |
2001年 | 40 | 0 | 0 | 2 | 1 | 0 | -- | .667 | 37 | 12 | 34 | 19 | 19 | 4.62 | 1.59 | |
2002年 | MIL | 21 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 2 | -- | 13.2 | 18 | 9 | 14 | 13 | 8.56 | 2.12 |
2003年 | 日本ハム | 6 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | -- | -- | 5.1 | 1 | 3 | 7 | 7 | 11.81 | 2.25 |
2004年 | 誠泰 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | -- | -- | 4.0 | 1 | 5 | 2 | 2 | 4.50 | 2.00 |
NPB:11年 | 344 | 0 | 0 | 24 | 22 | 39 | -- | .522 | 431.1 | 165 | 476 | 178 | 154 | 3.21 | 1.28 | |
MLB:1年 | 21 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 2 | -- | 13.2 | 18 | 9 | 14 | 13 | 8.56 | 2.12 | |
CPBL:1年 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | -- | -- | 4.0 | 1 | 5 | 2 | 2 | 4.50 | 2.00 |
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関連項目
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