金上盛備(かながみ・もりはる 1527 ~ 1589)とは、戦国時代の武将である。蘆名家臣。
概要
陸奥国会津地方を治めた戦国大名・蘆名氏に重臣として仕えた人物。蘆名盛氏から蘆名義広まで5人の当主に仕えた。その政治手腕の高さから「蘆名の執権」の異名をもつ。
1586年に蘆名氏が断絶の危機に陥ると、佐竹氏から蘆名義広を養子に迎え入れて伊達政宗に対抗する姿勢を鮮明にした。だがこの養子問題が蘆名家中の大分裂を引き起こしてしまう。
人物
金上盛信の子。金上氏は蘆名氏の庶流。国境を越えた越後国・津川城を拠点とし、会津への侵入を防ぐ役割を担っていた。
上杉謙信の死後に「御館の乱」が起こると、蘆名盛氏と共に上杉景虎について参戦・介入している。その後のドタバタで起こった「新発田重家の乱」にも同じく介入した。
1580年に最盛期を築いた蘆名盛氏が死去すると蘆名氏は徐々に傾き始めるが、1581年には上洛して織田信長に拝謁し、中央とのパイプ作りに成果を上げている。目的は蘆名盛隆が三浦介を称することを認めてもらう為だったが、このとき彼自身が従五位下・遠江守に任官されている(自称ではなく本物の)。盛隆は無位無官なのに…。
その実力は蘆名四天(平田・佐瀬・松本・富田)を上回り、若い蘆名盛隆をよく支えたが盛隆は家臣に暗殺されてしまう。盛隆の遺児・蘆名亀王丸も夭折してしまい、蘆名氏は後継者不在の事態に陥ってしまった。
この次の当主を巡って、当時の大勢力である伊達家と佐竹家のどちらから養子を取るかで蘆名家中は揉めに揉めてしまう。蘆名と伊達は古くからの縁戚関係だったが、新当主・伊達政宗の急激な拡大路線を警戒した盛備は佐竹義重の次男・白河義広を推した。そして猪苗代氏や四天(佐瀬以外)の反対を押し切り、義広を新当主とすることに成功した。
しかし、義広と共に入ってきた旧佐竹家臣たちと、伊達を推していた譜代家臣たちの間を取り持つことが出来ず、そこを伊達政宗に突かれて蘆名家臣団の亀裂はどんどん深まっていく。1589年、その混乱の中で伊達政宗が侵攻してくると摺上原の戦いで決戦を挑んだが、富田隆実が勝手に戦線離脱するなど蘆名軍は自壊。盛備は片倉景綱隊に突撃して討死にした。
戦国大戦
2012年10月11日より稼働したver2.0『戦国大戦 -1582 日輪、本能寺より出ずる-』から他家(蘆名家)で参戦。能力がゾロ目であることに特徴がある蘆名家の中で、最高の武力8/統率8の騎馬隊。特技:攻城も持っている。
計略は「執権の強行」。味方の武力と統率を大幅に上げるが、徐々にその武力と統率が下がっていく。「十一段崩し」の全体版。発動直後は高武力高統率の部隊が敵に襲いかかるが、徐々にその力を失う。本人が攻城を持っていることもありマウントからの采配は強烈。
しかし。
「まーだ刺激が欲しいのか?」「俺の一撃が欲しいんだろう…?」「突っ込めい!」
ハードゲイを連想するしかない強烈な衣装と、ハードゲイを連想するしかない強烈なセリフにより、能力以上にキャラクターとしてプレイヤーの話題になる。彼以前にも衆道を匂わせる表現や武将はゲームのそこかしこに散りばめられていたが、ここまで露骨なのはそうそういない。
計略名とイラストのせいで「野獣先輩」という綽名を得た龍造寺隆信と組む姿も散見され(相性は実際良い)、コメントがいろいろな意味で賑やかになる。
イラストレーターによれば、イラスト背後の花は薔薇ではなく東北のハマナスの花で「がんばろう日本」というテーマで描いたらしいが……どうしてこうなった。
関連動画
関連項目
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