- プロ野球選手一覧 > 金村曉
金村曉(かねむら さとる、1976年4月19日-)とは、宮城県出身の元プロ野球選手(投手)である。
本名「金村秀雄(かねむらひでお)」。
概要
石狩レッドフェニックス #?? 投手コーチ |
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金村曉 | |
基本情報 | |
国籍 | 日本 |
出身地 | 宮城県気仙沼市 |
生年月日 | 1976年4月19日 |
身長 体重 |
187cm 83kg |
選手情報 | |
投球・打撃 | 右投右打 |
守備位置 | 投手 |
プロ入り | 1994年ドラフト1位 |
引退 | 2011年 |
経歴 | |
選手歴 コーチ歴 | |
プロ野球選手テンプレート |
育英学園高等学校では3年夏に甲子園に出場しベスト8だった。1994年ドラフト1位で日本ハムファイターズに入団した。
日本ハム時代
1997年から開花し始め、1998年には最優秀防御率を獲得。しかしその後2年ケガに苦しみ、ガラスのエースと呼ばれるようになる。
2002年から2005年まで4年連続で2桁勝利をマークした。
2006年の9月24日時点で9勝、規定投球回も見えていたが、当時の監督であるトレイ・ヒルマンに交代を命じられ、監督批判をしたことで登録を抹消された。この時報道陣に放った台詞、「絶対に許さない。顔も見たくない」は金村の代名詞として語り継がれることになる。その後金村は謝罪し、両者のわだかまりは無くなり、日本シリーズで復帰した。
阪神時代
移籍1年目は先発ローテーションとして期待されるも、援護に恵まれず8試合登板し0勝に終わった。
2010年はわずか1試合の登板に終わり、戦力外通告を受けた。
阪神退団後
その後韓国プロ野球の三星ライオンズと契約を結ぶはずだったが、メディカルチェックに引っかかり破談となる。SKワイバーンズのテストも受けたが入団できず、最終的にベースボール・チャレンジ・リーグの信濃グランセローズに入団した。
信濃では防御率2.61ながら2勝7敗という成績で、10月5日に現役引退のため退団と発表された。
引退後
2012年からは北海道を拠点に野球解説者として活動をすると明言しておりキャンプの取材なども行っている。
2015年オフ、阪神タイガースの2016年からの新監督として金本知憲が就任するのに伴い、新監督の意向により招聘を受け、一軍投手コーチに就任した。
2024年からは石狩レッドフェニックスの投手コーチを務める。
人物・その他
- 球種は高速スライダー、シュート、フォーク、パーム。
- 犠牲バントを阻止するフィールディングの他、バッティングに定評がある。
- 1997年に登録名を本名の「秀雄」から「暁」に変更し、2001年に「暁」から「曉」に変更した。
- 座右の銘は「弱気は最大の敵」。
成績
通算投手成績
通算:15年 | 登板 | 先発 | 完投 | 完封 | 勝利 | 敗戦 | セーブ | ホールド | 勝率 | 投球回 | 与四球 | 奪三振 | 失点 | 自責点 | 防御率 |
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NPB | 271 | 210 | 25 | 6 | 89 | 81 | 2 | 0 | .524 | 1429.1 | 509 | 913 | 662 | 618 | 3.89 |
タイトル・表彰・その他
タイトル | ||
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最優秀防御率 | 1回 | 1998年 |
表彰 | ||
月間MVP | 2回 | 1999年4月、2000年4月 |
その他 | ||
オールスターゲーム出場 | 3回 | 1998年、2004年、2005年 |
開幕投手 | 3回 | 2001年、2004年、2006年 |
関連動画
▲問題となった「絶対に許さない。顔も見たくない」の試合。
関連項目
親記事
子記事
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兄弟記事
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