鎖呑出守とは、古代中国において発明された兵士選抜技法のひとつである。
概要を知っているのか雷電!
時は中国、春秋戦国時代
趙の国に飛桂という将軍がいた。
その時代、趙は
異民族の侵攻に脅かされており※1
飛桂はその異民族を平定するため、
大軍を率いて北方の地へと赴いたが※2
慣れぬ気候と異民族の強靭さの前に、
散々に打ち破られてしまった。
大軍では勝てぬと判断した飛桂は、
異民族に打ち勝ち得る、兵の選抜を決意する。
その選抜方法とは、
異民族押し寄せる砦の外に鎖で兵を吊るし
砦外にて守備をさせ、
五日間生き抜いた者のみ軍へ戻す
という壮絶なものであった。
この余りに凄惨な選別方法により、
ある者は鎖に吊られたまま異民族に殺され、
ある者は飢えの余り、鎖を呑み込もうとして
息絶えていったと言われ、
兵達は「鎖呑出守」
(鎖を呑むほどおそろしい出撃守備)
と呼び、大いに恐れたという・・・
しかし後に、選抜された飛桂の精鋭は、
大いに異民族を打ち破り
その後は、飛桂が生きている限り、
異民族は趙へ侵攻しようはしなかった。
これにより、飛桂の名は異民族のみならず、
中国全土へ轟いたと言われる※3
なお「飛桂」の名と「鎖呑出守」という言葉が
後のヨーロッパへと伝わり、
サッカーにおける「PK」「サドンデス」等の
言葉へと変じていったのは
諸君らも良くご存知の話であろう・・・
民明書房刊
「三葉虫でもわかるサッカールール指南」より
※1この異民族とは匈奴の事を指すという説が有力である。
※2 北方とは代の事だという説が有力だが、「慣れぬ気候」に苦しんだとあることから長城を超えてはるか漠北まで遠征したとの説もあり、結論は未だ出ていない。
※3 後に同時代の斉の将軍、麋嵋瑠(びびりゅう)は趙との戦争が起こった際相手の将が飛桂であると知って怖れおののき戦わずに逃げ出しだという。飛桂の勇名がいかに響いていたかを物語る好例であろう。ちなみにこのエピソードとともに「麋嵋瑠」の名が日本に伝わり「びびる」の語源になった事はよく知られた事実である。
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