長尾景英(ながお・かげひで 1479 ~ 1527)とは、上野国の戦国武将である。白井長尾家6代当主。長尾景春の嫡男。弟に長尾景儀。子に長尾景誠がいる。
人物
諦めの悪さに定評のある関東の反逆者・長尾景春の息子として誕生。山内上杉家に反旗を翻した父に従い、山内家当主・上杉顕定と戦う(長尾景春の乱、長享の乱)。ところが、後ろ盾になっていた古河公方(足利成氏)が山内上杉家と和睦してしまった。
父はそれでもなお山内上杉家と戦おうとしていたが、景英の考えは異なっており、古河公方の斡旋した和睦に従った。これにより父と対立するハメになる。が、これで山内上杉家の重臣に返り咲き、顕定公認の白井長尾家当主となった。(ただし当時奪われていた本拠地・白井城は取り戻せなかったようだ)
長享の乱の終結後は景春も降伏して一段落…と思いきや、越後に出兵した顕定が長森原の戦いで唐突に戦死してしまう。山内上杉家は養子・上杉顕実(足利政氏の弟)が家督を継ぐが、領国は混乱に陥っていた。当時、顕定のもう1人の養子である上杉憲房(顕定のはとこ)が白井長尾家の本拠地だった白井城を占拠しており、これをチャンスとみた父・景春はまたも反乱を起こして憲房と戦っていた。
しかし、景英の考えは今回も違ったものであり
…と考えたかどうかは定かではないが、憲房に味方したことによりまた父と対立するハメになる。
結果としては、山内上杉家の家督を巡る『永正の乱』で憲房は顕実に勝利して当主の座を奪い取り、景英の目論見通り白井城は白井長尾家に返還された。1524年に嫡男・景誠に家督を譲り、1527年に死去。
関連動画
関連項目
- 0
- 0pt