単語記事: 阿武隈(艦これ)

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「やめてよ!艦首直したばかりなのに! 」

阿武隈(あぶくま)とは、大日本帝国海軍に所属していた長良巡洋艦6番艦「阿武隈」をモデルとした、ブラウザゲーム艦隊これくしょん~艦これ~」に登場する艦娘(かんむす)である。
CV:野水伊織

提督! 概要よ。成績はどう?

長良姉妹の末の長良では一のレアであり、初期状態では長良では一番性が高い。が、ぶっちゃけ誤差の範囲内である上に、装後まで視野に入れると、長良の上の3隻には遠く及ばない。現実は非情である
しかし、ひとたび装を施すと対潜値が急に上昇する特性がある。さすがに姉妹五十鈴改二や、(僅差だが)由良には及ばないものの、長良名取より数値が高い。そのため潜水艦狩りとして据える事も十分可である。余談だがこの特性は鬼怒も持っている。

装すると長良姉妹の中で背景となる。五十鈴改二は何故か背景止まりである。

また阿武隈装可レベル17と、五十鈴を除く他の姉妹よりいうえ装時に電探まで持ってきてくれる。この装のさは五十鈴同様に新米提督にとって強い味方・・・と思いきや、五十鈴と違って阿武隈の入手難易度は桁外れに高く、序盤での入手は困難だったりする。理由は後述。
 
鬼怒同様、ドロップ域が少ないうえ大半がボスドロップのみと入手には難儀する。一3-1のみ中でドロップするが、一箇所しかない。レア艦の大放出と言われている5-4では全くドロップしないので、狙うなら3-1や2-3のボスドロップ辺りか。ボス限定ではあるが、西方域では全ての域でドロップする可性がある。
その一方で建造でも入手可である。潜水艦レシピで低確率ながら出現する可性があり、鬼怒と同じ建造時間(1時間15分)である。しかし人によって鬼怒が出るか阿武隈が出るか大きく偏る場合があり、鬼怒が欲しいのに阿武隈しか出ない、または阿武隈が欲しいのに鬼怒しか出ない現が頻出するとか。
後から追加された艦娘なので3人を差し置いて、時報と放置ボイスが付いている。

セットをひたすら気にしてる子。ただ、髪型を引くのは前よりむしろ某に代わっておしおきする美少女戦士っぽい金髪おだんごツインテールであろう。由良鬼怒と共に、後期長良共通の薄い水色セーラー服に身を包んでいる。
由良鬼怒より心なしか幼げとはいえ女子中学生くらいの容姿に反して発せられる甲高いガチロリボイスは、軽巡というよりむしろ駆逐艦っぽい。加えて、長良姉妹の中ではひときわ貧乳である点も、やはり軽巡というよりむしろ駆逐艦っぽい。こうした幼さが立つのは、下記、史実にあるように他の姉妹工が大幅に遅れたという経緯を反映したものと思われる。

すぐ上のにあたる「鬼怒」ほどではないが両手を挙げた(というか前に突き出した)ポーズをとっており、よく「うろたえるな小僧-っ!!」のコラに使われている(だいたい吹き飛ばされているのは脱衣パワー定評のある妙高」と「川内」だったりする)。ただし、実際に「ひぇっ!?やだ、私!?と滅うろたえているのは出撃を命じられた際の阿武隈本人である。

追加された艦娘の中でも北上さま関係でキャラが立っている方である。北上さまとの因縁の関係は史実参照。また、他の艦娘との絡みに関しては、「どこかの夜戦バカには負けないんだから!」という発言もある。

提督諸氏における二次創作的な組み合わせでは、さり気なくチームクマーの一員でもある[1]

正直いって、史実紹介は苦手です……。

長良巡洋艦6番艦「阿武隈」は、19255月26日賀船渠で二等巡洋艦として工した。ちなみに24年中に完成はしていたのだが、工が遅れたのは装中に関東大震災に遭って造船所の設備が被を受け、装作業が大幅に遅延したため。結局、阿武隈の起工はすぐ上のである鬼怒の1ヶ後であったのだが、就役はなんと2年半後となってしまったのである。近所の横須賀軍工における被[2]に較べれば、工できた阿武隈はまだましだったとはいえ、彼女の艦歴にはいきなりけちがついてしまう形となった。

それでも完成した「阿武隈」は、第1艦隊第3戦隊に編入され、晴れ軍艦となる。

1930年10月の大演習中には、僚艦だった「北上」と衝突してしまう。ただ、北上さまが余裕でスルー何も言わないのに阿武隈がぶつぶつ言っているので、北上さまが悪いように思われがちなこの一件だが、史実はこうである。

小笠原諸島で行われた大演習中、夜戦演習で艦列を組んで航行していた中に、「北上」と「阿武隈」の姿もあった。
航行する順番は「北上」「阿武隈」だったのだが、先行する「北上」を見失った「阿武隈」が、「北上」の左後方から追突し、結果「阿武隈」の艦首が大破した、というのが史実であり、全な北上さまのもらい事故であった。
ちなみに「北上」は、その6日後神戸で行われた観艦式に参加しているところをみると、大した損はなかったらしい。
ともあれ、この事故によって艦首が大破した「阿武隈」は、で修理したのだが、このとき艦首を新しくダブルカーブに取り替えている(元は他の長良姉妹と同じスプーン艦首)。

そして1937年に日中戦争が勃発。これに対し阿武隈中国沿部に進出し、上封鎖や警任務に従事した。

さて、そんな「阿武隈」だが、太平洋戦争に入ると、第一戦隊旗艦として、戦隊を率いて太平洋を縦横尽に駆け回る。
この第一戦隊には、開戦時第六駆逐隊・第十七駆逐隊・第二十一駆逐隊・第二十七駆逐隊が編入されていた。
ちなみに、開戦前修を受けて、酸素魚雷を発射可となっているが、これも長良では一である。
まず1941年12月8日に行われた真珠湾攻撃に、空母を護衛する警部隊として参加。なお、真珠湾攻撃に向かった艦隊の中で軽巡は阿武隈だけである。
年が明けて1942年1月南方作戦に加わりジャワ攻略支援。続いてインド洋に進出し、セイロン戦にも参加した。19433月、行動範囲を南方から北方へ移し、アッツ戦に参加。

奇跡の作戦への道のり

阿武隈の戦歴の中で最もかしいのは、奇跡の作戦と言われた「キス撤退作戦」に旗艦として参加した事だろう。

1942年6月、ミッドウェー作戦の一環で日本軍アリューシャン方面に位置するキスとアッツを占する。両ではあったが、れっきとしたアメリカ土でありアメリカ土が日本軍の手に落ちた例となった(今までに日本軍軍を駆逐して占してきた地域・々は全て植民地であった)。
もちろんこのままアメリカが黙っているはずがく、反攻作戦開始とともにアッツキスの奪還を試みる。19435月12日、手始めにアメリカ軍はアッツへ上陸。大本営はアリューシャン方面を重要視しておらず、割かれた兵は僅かであった。申し訳程度の守備隊しかいなかった日本軍は簡単に粉砕され、アッツは奪還される。
大本営は本土に近いキスが一番最初に攻撃されるだろうと踏んで、兵キスに集中させていたがアメリカ軍が最初に攻略したのはアッツであった。裏を掛かれた形である。アッツを奪われたキスの守備隊はアメリカ軍に包囲され、撤退も増援も望めない絶望的な状況に陥った。

この局面に際し、陸軍と軍は協議。アッツの将兵を見捨てる代わりにキスの守備隊は必ず救出すると軍が約束し、ここに陸軍共同の撤退作戦が立案された。

19436月、まずは潜水艦15隻による撤退作戦が2回行われた。傷病兵約800人を収容し、後方へ送り届ける事に成功したがアメリカ軍の包囲網は厚く、作戦の過程で24、7、9が失われた。成果の割に損が大きすぎるうえ効率も悪かった事から潜水艦による救出作戦は打ち切られた。そして次に戦隊による救出作戦が立案された。

こんなあたしでも、やれば出来る!

キスの周辺にはアメリカ軍が遊しており、まともにぶつかっては全滅は避けられない。そこで大本営はこの地域特有の濃霧に救出艦隊である戦隊を紛れさせ、こっそりと救出させようと考えた。そしてその救出艦隊の旗艦を任されたのが、阿武隈である。キスの将兵の命運は彼女たちの双肩にかけられた。

19436月29日キス撤退作戦こと「ケ号作戦」発動。阿武隈たちは7月7日筵を出撃。濃霧に紛れてキスに接近しようとしたが的のに近づくにつれ晴れてきたため一旦反転。救出予定日を12日から一日繰り下げて13日にしたが、この日も晴れてしまう。続く14日、15日にも突入を敢行したがそれらの日も晴れてしまい、反転せざるを得なかった。度重なる反転で燃料が少なくなり、阿武隈座乗の令官である木村提督筵への撤退を決める。「帰ろう、帰ればまた来られるから」の言葉はこの時に発したという。

キスの将兵を救出せずに帰ってきた木村提督への非難は凄まじかった。何故なら8月に入ってしまうと最濃霧の発生は望めず、キスの救出作戦がほぼ不可能になってしまうからである。度重なる出撃で筵の重油備蓄量も減少しており、あと1回しか艦隊行動は出来なかった。次、もし失敗すれば救出作戦は全に失敗してしまうのである。

8月へのタイムリミットが迫る中、7月22日。ついに濃霧の発生が確実となる。これが最後のチャンスであった。25日、濃霧が立ち込める筵を出撃した阿武隈たちはキスへと向かった。しかし濃霧のせいで味方艦との距離が分からず、衝突が相次いだ。阿武隈海防艦後と衝突。阿武隈左舷がんでしまったが任務に支障はかった。
作戦決行日となった28日、またしても晴れ始めた。一時は反転の意見も出たが、気班やキスの将兵、潜水艦からの報告により濃霧確実と判断され作戦は続行された。日付が変わった29日0時キスカ湾に突入した艦隊は同日13時に錨を投じ将兵の収容を始めた。初めから将兵たちが撤退準備をしていたためスムーズに収容が進み、約5200人の守備隊員の収容を僅か55分で終了。そして全速キスから離れ、事に内からの脱出に成功した。31日から8月1日にかけて全艦帰投。たった一人の戦死者も出す事く撤退作戦は終了し、ここに奇跡の作戦と呼ばれるキス撤退作戦が誕生したのだった。あたしだってやれば出来る!

ちなみにアメリカ軍はキスに対し包囲網を敷いていたが、兵員の交代のため1日だけ包囲を解いていた。その1日に阿武隈たちが突入し、守備隊を収容したのである。まさに奇跡である。
その後の8月15日人となったキスにまだ日本軍がいると考えていたアメリカ軍は上陸作戦を開始。この日も濃霧が発生しており、前が見えづらかった。そのため上陸したアメリカ兵同士の部隊が互いに敵と誤認し、同士討ちが始まる事態が発生。死者が約100人出たという。日本側は傷であったが、アメリカ側は戦死者が出てしまった。

その後の阿武隈

奇跡の作戦を遂させた阿武隈は、北方域での作戦行動を終えて1944年6月下旬に横須賀へ帰還。内地の鎮守府や各拠点を転々とし、カタパルトを撤去したり対兵装を強化したりしている。1944年7月には22号電探を装備している。
7日、日本軍の要衝であるサイパン軍の手に落ちる。これを受け、那智を旗艦としたサイパン奪還作戦に阿武隈が編入されたが、その作戦は紆余曲折を経て立ち消えてしまった。そのため阿武隈横須賀からに移動し、次の作戦に備えて訓練に勤しんだ。

そんな「阿武隈」が最期に参加したのが、1944年10月に行われたスリガオ戦。志摩艦隊の一員として、あの西村艦隊に続いて深夜にスリガオ峡に突入した。しかし阿武隈の左斜め後ろより跡が伸びてきて、避ける間もなく左舷前部に被魚雷137号からの攻撃だった。被により艦首が沈下、速が10ノット以下に低下し艦隊から落弾薬庫から発生した一酸化炭素が流入し、電信員や暗号員ら約50名が死亡。志摩艦隊は阿武隈を残してスリガオ峡を突破。置いていかれた阿武隈は応急処置を施し、何とか10ノットまで出るようになった。その後、執拗に食い下がってくる魚雷と交戦しながら敵をめて北上。単艦でレイテ湾突入をしていた。そこへ、スリガオ峡の先で西村艦隊の壊滅を見て反転してきた志摩艦隊が戻ってくる。志摩艦隊と合流した阿武隈は撤退を命じられ、護衛に第18駆逐隊が付けられた。旗艦を「」に渡し、「潮」と共にカガヤンをして待避を開始する。
このとき、当然ながら先行する西村艦隊の状況など知る由もなかった「阿武隈」の前方に炎上する戦艦が見え、一時は「西村艦隊が大戦果!」と沸き立ったが、見り員が「左の炎上する戦艦扶桑!」「右に燃えながら突っ込んで行くのは山城!」と報告し、艦内は騒然となったという記録がある。

寄港先をカガヤンからダピタンへ変更し、午後10時半に到着。ここで徹の応急修理を行って速が12ノットにまで回復。午前6時にダピタンを出港し、次なる的地コロンへと向かう。散発的な襲や撃を受けたが損かった。
その後、同じく損傷して待避していた「最上」(護衛は「」)は軍の艦攻、艦爆に襲われて沈んでいるが、「阿武隈」はなぜかこのときは攻撃をほとんど受けなかった。
こうして、なんとかミンダナにたどり着いた「阿武隈」は応急修理をした上で「潮」と共にコロンをすが、その途中でB-25爆撃機30機に襲われてしまう。
250kg爆弾の直撃3発、至近弾4発を受け、上甲の乗員は全滅、艦の人員も大部分が負傷もしくは戦死して揮系統が壊滅、おまけ機関も停止して火災が発生する。それでもなんとか浮いていた「阿武隈」だが、火災が発射管の魚雷誘爆し、艦体に裂が走り重油が流れ出すに至る。ここに至ってはどうしようもなく、総員退艦が発令され、「潮」に生存者が全員退艦してから3時間後、艦首を立てた状態でフィリピンはネグロに沈んだ。1944年11月20日除籍。潮に救助された生存者はマニラへ送られた。

自分に自信が阿武隈であるが、その戦歴は決してちっぽけな物ではなかった。

戦後、二代阿武隈」として、海上自衛隊の小護衛艦あぶくまネームシップ、DDE-229「あぶくま」が1989年から活躍している。ちなみにあぶくまは「じんつう」「おおよど」「せんだい」「ちくま」「とね」と、艦これではお染みの艦名を持つ艦ばかり。

関連動画、待ってました!…ってそんなに心待ちにしてたわけじゃないんだから!

関連静画に期待してるの?そうなのね!

やはりというか、北上さまと一緒に描かれることが多かったり。

わぁ!あんまり触らないでくださいよぉ!わたしの関連商品崩れやすいんだから。提督…ちょっと北上さんみたいです

関連コミュニティです!登録!交流!そして艦これです!

え?やだ…関連項目!?い、行けるけど…

脚注

  1. *他のメンバー球磨三隈筑摩熊野。6隻艦隊を組むには一隻足りないので、演習等では字面が「」に誤認できなくもない能代を突っ込んで理矢理数を合わせている提督もおられるそうな。
  2. *横須賀軍工では、巡洋戦艦から空母改造中の「」が大破→放棄。代わりに「加賀」が空母改造されることになる。

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ページ番号: 5149330 リビジョン番号: 2148113
読み:アブクマ
初版作成日: 13/10/02 13:14 ◆ 最終更新日: 15/01/19 22:05
編集内容についての説明/コメント: 少し史実を加筆
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阿武隈(艦これ)について語るスレ

94 : ななしのよっしん :2014/12/16(火) 10:07:03 ID: /4SITEeP6I
鬼怒もだけど性由良以下なのに燃費が悪いという部分で苦しい
序盤に手に入ったから改造レベルの低さと初期ステータスの高さで使ってたけど
他の軽巡の錬度も上がってくるとそこもねぇ・・・
95 : ななしのよっしん :2014/12/25(木) 20:23:44 ID: 3RtcBhYS20
改二フラグでしょ(白目)
96 : ななしのよっしん :2014/12/30(火) 04:41:21 ID: HaJe/8tt07
キス撤退作戦」史実では旗艦なのに3-2には出られない・・・

軍医が悪戯で残していった「ペスト患者収容所」ってに騙され
あのドナルドキーンさんが感染を疑われて後方に送られたってのを知って吹いたわw
97 : ななしのよっしん :2014/12/30(火) 23:39:13 ID: jPHFNRI1hd
鬼怒も当てはまるけど同由良と建造時間や燃費もろもろで差ができているのかがちょっとわからない。
軽巡は長良名取球磨なのに軽巡改二クラスしてるかと思えば、
最新鋭軽巡って触れ込みの阿賀野大淀がそれ以下ってどうも解せないな。
駆逐艦に当てはめるなら睦月陽炎型島風並のしてるって認識でいいのか?
98 : ななしのよっしん :2014/12/31(水) 01:35:21 ID: Wh9p9EWfl+
単なる設定ミスで今更下方修正も出来ないから改二実装時ので調整する以外にないでFA出てるのよ、それ。一年くらい前に。
99 : ななしのよっしん :2015/01/03(土) 23:39:14 ID: PtbylKTlDA
そう考えると球磨長良なんかは性が高いが故に改二後回しになりそうなのが痛し痒しだな
100 : ななしのよっしん :2015/01/05(月) 20:41:03 ID: Xn11S0z5ZA
の最近の艦これ事件の一つ

プレイ中に阿武隈時報ボイスを聞いて「あったのかよ!?」と驚く
101 : ななしのよっしん :2015/01/07(水) 02:41:17 ID: HaJe/8tt07
球磨長良は現状で改二並のだから強化必要ないというか強化しようがないけどな
さすがに神通改二には劣るが、武勲艦の神通並にするわけにもいかんし
下方修正すれば不満が出るし、改二でほとんど数値据え置きでも不満が出るし
正に寝た子は起こすなって状態

>>100
時報あったのか・・・
102 : ななしのよっしん :2015/01/08(木) 08:22:39 ID: 9zSWhhgMpG
初期時報組やん
知らなかったって新参
103 : ななしのよっしん :2015/01/09(金) 07:27:46 ID: Zk/jSKbeQp
ログインした時のタイトルコール(艦これ!という)の中にひときわ高いのがいるけど
あれもしかして阿武隈ん?(´・ω・`)
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