陽岱鋼(ヨウ・ダイカン)とは、北海道日本ハムファイターズに所属しているプロ野球選手である。改名以前の名前は陽仲壽(ヨウ・チョンソ)。台湾出身。
概要
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台湾の少数民族・アミ族の出身。身体能力の高い民族らしい。兄の陽耀勲は福岡ソフトバンクホークスに所属、ほかに四国アイランドリーグに所属していた兄と、バスケットボール台湾代表の妹がいる。
福岡第一高等学校に野球留学し、通算39本塁打、遠投120mと本塁から一塁まで3.74秒という俊足で注目を集めた。2005年の高校生ドラフトでは1巡目指名で日本ハムとソフトバンクが競合し、日本ハムが交渉権を獲得。兄の陽耀勲と同じソフトバンク入りを熱望していたが、最終的に日本ハムに入団した。
2006年は一軍での試合出場機会はなかったが、2006年秋のインターコンチネンタル杯では台湾代表として出場し、銅メダル獲得に貢献した。
2007年から2009年までの間、二軍ではいい成績を残していたが、一軍では拙守もあって結果を残せなかった。2009年には強肩を生かすために外野手にコンバート。11月に心機一転で「仲壽」から「岱鋼」に改名。登録名変更ではなく本名の改名で、台湾ではよくあること。改名効果か、2010年は外野の準レギュラーの座をつかみ109試合に出場。
翌年は開幕から右翼のレギュラーを勝ち取り、主に2番打者として141試合に出場。初めて規定打席に到達し、打率.274、6本塁打36打点、19盗塁、38犠打の数字をマークした。その一方、リーグ最多の134三振、出塁率は.308(リーグ23位)と課題も残した。
2012年は栗山英樹新監督の方針で糸井嘉男と交換の形でセンターへコンバートされた。
2011年までは内野手登録だったが、2012年からは正式に外野手登録になった。2010年シーズンから一軍に定着しているが、長い間応援歌が作られていなかったが2012年シーズンより満を持して応援歌が登場した。
日本国籍をもっていないが、福岡第一高等学校で3年在学したため、日本人登録選手として扱われている。
関連動画
関連項目
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読み:ヨウダイカン
初版作成日: 10/07/19 13:00 ◆ 最終更新日: 12/05/07 17:53
編集内容についての説明/コメント: 2012年シーズン追記
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