青山敏弘(あおやま としひろ、1986年2月22日 - )とは、岡山県倉敷市出身のプロサッカー選手である。
J1リーグのサンフレッチェ広島所属。元サッカー日本代表。
ポジションはMF(ボランチ)。173cm75kg。利き足は右足。
概要
2004年以来ずっとサンフレッチェ広島でプレーしているクラブのバンディエラ。岡山県倉敷市の連島地区育ち。
サッカーの強豪として知られる岡山県の作陽高校出身。2年生からスタメンでプレーし、3年生の7月にはサンフレッチェ広島から特別指定選手として登録される。高校卒業と同時にサンフレッチェ広島に入団。
デビュー後はしばらく出場機会が与えられずベンチを温めていたが、2006年に監督に就任したミハイロ・ペトロヴィッチ(ミシャ)にその才能を見出され、主力として定着。度重なるケガや腰痛に悩まされつつも、公式戦の大半でスタメンとして出場を続けている。
ペトロヴィッチ後のサンフレッチェ広島において「扇の要」となるボランチの位置を担い続け、今や広島の心臓と言える選手である。試合の組み立てはもちろん、裏のスペース目掛けての一撃必殺のロングパスという武器も持っており、チームのエースである佐藤寿人に最も多くアシストを通しているのも彼である。対戦相手にとっては(ゴールから遠いボランチの選手でありながら)絶対にフリーで前を向かせてはならない危険な存在といえる。
所属クラブにおいては2007年にJ2降格を経験するも、翌年のリーグ戦序盤で森崎和幸とのドイスボランチを確立。それ以降の広島は連勝を続け、勝ち点100得点99という記録的な数字を土産にJ1に帰還した(なおこのときの広島の進撃については「熊害」と呼称されている。興味のある人はググってみよう)。
そして2012年。監督がミシャから森保一に交代してからも青山は「チームの心臓」として絶対の信頼を得ており、33節セレッソ大阪戦で青山が叩き込んだ2点目で勝利したサンフレッチェ広島は、初のリーグ優勝を果たした。
2013年は他クラブから徹底マークを受けて苦しむも、33節湘南ベルマーレ戦で決勝点を挙げ、34節鹿島戦で2点目の起点となった彼の活躍もあり、広島は史上2クラブ目となるリーグ連覇を成し遂げたのである。
2014年はキャプテンに就任したものの、自身の不調もあり広島は8位で終わり、2015年は主力である高萩と石原が同時に抜けたことで、広島は優勝候補とはみなされていなかった。しかし新加入のドウグラスや昨年加入の柴崎のシャドーポジションへのフィット、そして青山の復調が重なり、広島は5月以降快進撃を見せる。最終的には23勝6敗5分で勝ち点74、2015年リーグ最多得点73&最少失点30、かつ反則ポイントも最小(4年連続)と記録づくめの優勝を収め、青山自身もベストイレブン・年間MVP・最優秀ゴールの三冠に輝いた。
その後も広島の象徴的なプレイヤーとしてピッチに立ち続け、2017年8月26日の大宮アルディージャ戦でJリーグ通算300試合出場を達成。2020年7月26日のガンバ大阪戦では、Jリーグ通算400試合出場を達成。
2022年にミヒャエル・スキッベが監督に就任してからは出場機会が激減。37歳となった2023年はわずか5試合の出場で出場時間は77分にとどまる。
日本代表
上記のように所属クラブで素晴らしい活躍を見せながらも、アンダー含め日本代表とは長らく縁はなかった。2007年にようやく北京五輪のメンバーに選ばれ予選突破に貢献するも、怪我のため本戦に出場できず涙を呑むことに。
しかしサンフレッチェ広島の連覇への貢献を認められ、2013年東アジアカップのメンバーに選出。7月21日の中国戦でフル代表デビューを果たすと、第3戦の韓国戦で得意のロングパスを披露して1点目をアシスト。この活躍がアルベルト・ザッケローニ監督に認められ代表に定着。
2014年6月には2014 FIFAワールドカップ ブラジル大会のメンバーにも選ばれ、ついに本戦への切符を掴む。本番直前のザンビア戦では後半ロスタイムに交代出場、フィールドに入った10秒後に決勝点をアシストするという神業を見せる。本戦では長谷部誠、遠藤保仁、山口蛍に次ぐボランチの4番手の序列であり、出場は第3戦のコロンビア戦のみに留まったが、スタメンで起用され62分間プレー。
2015年3月31日のウズベキスタン戦で代表初ゴールを記録。しかし、その後はプレー強度を重視するヴァヒド・ハリルホジッチ監督の構想から外れ、代表から遠ざかることになる。2018年には西野朗監督がロシアワールドカップの最終候補メンバーに選ぶも、右膝の怪我により辞退。
ロシアW杯後の2018年7月にかつての恩師である森保一が代表監督に就任すると、最初の試合のメンバーに選出され32歳にして代表に復帰。9月11日のコスタリカ戦で3年半ぶりに代表のピッチに立つ。
森保JAPAN最初の公式戦となったAFCアジアカップ2019のメンバーにも選ばれ、グループリーグ第3戦のウズベキスタン戦ではキャプテンマークを巻いてフル出場する。しかし大会途中に怪我のため離脱。その後は代表に呼ばれなくなった。
個人成績
シーズン | 国 | クラブ | リーグ | 試合 | 得点 |
---|---|---|---|---|---|
2004 | サンフレッチェ広島 | J1リーグ |
0 | 0 | |
2005 | 0 | 0 | |||
2006 | 19 | 1 | |||
2007 | 28 | 0 | |||
2008 | J2リーグ | 36 | 4 | ||
2009 | J1リーグ |
29 | 3 | ||
2010 | 23 | 0 | |||
2011 | 27 | 2 | |||
2012 | 34 | 2 | |||
2013 | 33 | 3 | |||
2014 | 25 | 1 | |||
2015 | 33 | 3 | |||
2016 | 28 | 2 | |||
2017 | 31 | 0 | |||
2018 | 34 | 1 | |||
2019 | 14 | 0 | |||
2020 | 31 | 1 | |||
2021 | 32 | 1 | |||
2022 | 15 | 0 | |||
2023 | 5 | 0 |
個人タイトル
エピソード
- 2002年の全国高等学校サッカー選手権大会にて、幻の∨ゴール事件の当事者となった。誤審のために全国大会への切符を逃してしまったが、一方でサンフレッチェ広島の足立スカウトが青山に興味を持つきっかけともなっている。
- 少ないタッチで繰り出される高精度ロングパスと、敵の隙を一瞬で見破る判断力は、広島のエース佐藤寿人によって鍛えられたもの。「振り向いた瞬間に正確なパスを出せ」「顔を上げていたら遅い、見る前に位置を感じ取れ」などの無茶ぶりに応えるべく猛練習を重ねた結果、現在では寿人の予測すら上回るほどのキラーパスの使い手となった。
- かなりのアホの子。喋りが非常に危なっかしく、かつてはテレビに出るたびにサポをハラハラさせた。代表に選出されるようになってからは(クラブのフロントに教育されたのか)喋りも安定するようになったが、代表合宿の全体練習時にパンツを前後逆に履いて登場するなど、要所要所でアホの子っぷりを晒している。
- 筋肉が凄い。かつてはあまりに鍛えすぎて逆に怪我が多かった。フィジカルコーチの助言や自身の結婚を機に過剰なトレーニングは控えるようになり、怪我も減ったが、現在でもボディビルダーのような大胸筋を保っている。
- ツンデレ。応援に来たサポに対して「サポーターは選手を選べるけど、選手はサポーターを選べないんだぞ」と暴言を吐いたと思った次の瞬間、「で、どこにサインして欲しい?」と優しく尋ねるなど、その手のエピソードには事欠かない。ちなみにファンサービスはチーム一らしい。
- アイスフィギュアの高橋大輔選手とは、小中学校で同級生。2014年のワールドカップで代表選出された際には、「大ちゃん」こと高橋大輔選手から激励のメッセージが贈られた。
- 2014年からFRESTA(広島・山口・岡山にあるスーパー)の店内CMに出演している。それによると「勝っても負けてもFRESTAにしか行きません!」だそうである。真偽は不明(「勝っても負けても~」とは、FRESTAで行われるセールの一つが前日のサンフレッチェの勝敗で値段を決定することから)。
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