馬原孝浩とは、福岡ソフトバンクホークスに所属するプロ野球選手(投手)以外の何物でもない!
右投右打、背番号14。
概要
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- 150キロ台中盤を記録する速球と、エグい落差のフォークが武器のクローザー。
- 2003年のドラフト自由枠で九州共立大学から福岡ダイエーホークスに入団。
- 入団当初は先発として期待されていたが四球癖とスタミナ不足で結果が出ず、不振に陥った三瀬幸司と入れ替わりで2005年中盤からクローザーに定着した。以後、現在まで不動の守護神の地位を守っている。
- 2006年には故障した石井弘寿の代役で第一回WBC日本代表に選ばれるが出番は無かった。
- 2007年は38セーブでセーブ王を獲得。名実共に球界を代表するクローザーのひとりになる。
- 2008年は開幕直前に右肩炎症を発症、7月末まで戦線離脱を余儀なくされ、11セーブに終わった。
- 第二回WBC日本代表に選ばれ、ストッパー藤川につなぐセットアッパーとして活躍。第一回で出番がなく「応援団長」と呼ばれた雪辱を晴らした。なお第一回でそう呼んだのは同僚の松中信彦。
- 2009年は武田久とセーブ王争いを演じるも、制球難と直球のシュート回転に苦しみつつの投球で救援失敗も多く、セーブを上げる場面でもよく「四者凡退」「五者凡退」という場面が見受けられた。
- そして2009年9月11日の楽天戦、3-1とリードしての場面での登板で味方の失策も絡んで同点に追いつかれ、なおも二死満塁で鉄平に満塁ホームランを被弾。ギリギリの表面張力で耐えてきた何かが決壊した瞬間だった。→これは悪い夢以外の何物でもない! ここからチームも本人も完全に失速、抑え転向以来初めての中継ぎ降格も経験、苦いシーズンとなってしまった。この年結成された勝利の方程式「SBM」においても、他球団ファンからは「羨望の7回・絶望の8回・希望の9回」とか言われることに。
- 2010年、攝津正、ブライアン・ファルケンボーグの台頭もあり抑えの座が危ぶまれていたが見事に復活。昨年あれほど苦しんだ「四者凡退」に磨きをかけ、驚異的な四凡率と安定感を誇った。その数、実に53試合中22試合(2回八凡2試合を含む)。ちなみに三凡で終わらせた試合はそれより少ない16試合である。…要は一人はランナー出すということなのだが劇場している訳ではない。なにか馬違ってる。
- 2011年は、開幕前に母親を亡くしたことも影響してか開幕から5試合連続で失点する絶不調で二軍落ち。再調整して復帰した後は好投を続けたが、7月に肩の怪我で戦線離脱。9月に復帰したが、33試合で1勝2敗19セーブ、防御率3.06という成績に終わる。さらに日本シリーズでは第1・2戦、延長10回で勝ち越しの一打を浴びてしまい2連敗。日本一を決めた第7戦の最後のマウンドは攝津正に譲ることになってしまった。
- 愛称は「マハラジャ」「ぅまー」等。「大馬神」と呼ばれることもある。元ネタはもちろん元横浜の佐々木主浩。
- 同学年の川崎宗則とは仲が良く、運転が苦手で車庫入れが出来ない川崎の運転手代わりをしていたらしい。
- 何故かオールスターゲームなど大規模な試合と相性が悪く、フレッシュオールスターも含めて4度出場して3回敗戦投手になっている。他にスカイマークスタジアムも苦手でよく打たれている。
- 嫁は美人で評判だった地元TV局の元アナウンサーであり、和田毅と並んで勝ち組と評されている。
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読み:マハラタカヒロ
初版作成日: 08/12/05 15:52 ◆ 最終更新日: 12/02/20 16:19
編集内容についての説明/コメント: テンプレ追加、2011年加筆
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