高定信(?~?)とは、鎌倉時代末期から南北朝時代にかけて活躍した武将である。
概要
高師直の叔父・高重貞の息子、つまり高師直のいとこである。高一族では珍しい僧形の武将で、名前もおそらく法名なので「じょうしん」と思われる。
彼は他の守護を務めた高一族の諸将に比べるとあまり出番が少ない。その最初の具体的な活動は1347年に細川顕氏が楠木正行に敗北を喫し、河内・和泉守護が高師泰に代えられた際、顕氏の弟である細川皇海の守護国であった土佐に、代わって守護として入ったのが彼とされる。
実際1350年には彼の守護在任が確認され、足利直義派である細川顕氏から攻撃を受けている。高定信はここに見られるように尊氏派の武将であり、高師直のクーデターの際『東寺王代記』では彼が上杉重能、畠山直宗を殺害したことになっている(『太平記』でも下手人とされている八木光勝の謀略話に登場し何らかの関与はしている)。
どうやら高一族の殲滅からは免れた一人らしく、直義派の天下になった際、京都を脱出し自国に向かって軍勢を整えた尊氏派のひとりとして登場している。しかしそれ以降の動向は不明であり、没年も正確にはわからない。
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