高家単語

1件
コウケ
3.8千文字の記事
  • 3
  • 0pt
掲示板へ

高家とは江戸時代における旗本の格の一種である。

概要

江戸幕府においては、各地を治める大名とは別に将軍直属の臣である旗本・御家人といった存在がいた。
その中でも老中のもとで幕府の儀式・式典といった式部をつかさどり、対朝廷工作などを行う役職に就いたのが高家である。慶長8年(1603年)に大沢基宿に征夷大将軍宣下の式典作法を管させたのがその起とされている。

また高家の中でも現職のものを高家、非役のものを表高家という区分に分けられ、高家の中から番で3人のものが肝煎として殿中で職務を行った。またその他にも徳宣、徳継の代にのみ置かれた側高家、慶安3年(1650年)に大沢品川高如、上杉長貞が任じられた西丸高家、一代のみ高家となる一代高家などもあった。

おそらく日本人にとって高家として最もピンとくる存在が忠臣蔵吉良上野介こと吉良義央であるが、こうした高家はその職務から高い柄のものから選ばれており、旗本の中でも大名並みの高い官位につくことが多かった。

なお石高を見ればわかる通り大名とべるとはるかに少で、維新後かろうじて八族になった交代寄合とも異なり全てのが士族として近代を迎えることとなり(大沢は石高を偽って申請したがのちに露見して士族となった)、今川のように維新まもなくが断絶するなど江戸幕府の消滅で歴史の表舞台から去っていくこととなった。

高家一覧

下に高家それぞれのの簡易な解説をまとめる(赤色矢印は養子関係、青色矢印は嫡孫相続)。

幕末維新期まで存続した26家

公家出身

名(石高) 出自 歴代
有馬(600石) 村上源氏久我通名の子息 初代:堀川広益→2代:有馬広之→3代:有馬
→4代:有馬広寿→5代:有馬→6代:有馬広衆
→7代:有馬修理(諱不明)
大沢(600石) 中御門流の持明院基時の子息 初代:大沢元貫2代:大沢基清→3代:大沢基業
→4代:大沢基季→5代:大沢基靖→6代:大沢基休
→7代:大沢→8代:大沢基恭
中条1000石) 高倉流の樋口信孝の次男 初代:中条信慶→2代:中条信実→3代:中条信秀
→4代:中条信敬5代:中条信義→6代:中条信徳
→7代:中条信礼→8代:中条信汎
戸田(700石) 村上源氏の六条有純の子息 初代:戸田氏豊→2代:戸田3代:戸田氏尹
→4代:戸田氏富→5代:戸田→6代:戸田氏倚
→7代:戸田氏敏8代:戸田氏範→9代:戸田氏貞
長沢1400石) 日野流の外山顕の次男 初代:長沢→2代:長沢3代:長沢資武
4代:長沢資始→5代:長沢資摸→6代:長沢資言
→7代:長沢資寧
日野1530石) 日野日野[1]から分立 初代:日野2代:日野資栄→3代:日野資成
4代:日野→5代:日野資陽→6代:日野資直
→7代:日野資施→8代:日野資邦9代:日野資敬
10代:日野資訓
前田1400石) 閑院流の押小路音の次男 初代:前田玄長2代:前田房長→3代:前田清長
→4代:前田5代:前田長皓→6代:前田長義
→7代:前田長徳→8代:前田長礼
前田1000石) 菅原氏の高辻長量の次男 初代:前田長泰→2代:前田→3代:前田
→4代:前田長英→5代:前田長粲→6代:前田長年
→7代:前田長猷
六角家2000石) 日野流の烏丸広の次男 初代:六角広賢→2代:六角広治→3代:六角広豊
4代:六角広満5代:六角広雄6代:六角広孝
→7代:六角→8代:六角広恭

武家出身

名(石高) 出自 歴代
今川1000石) 足利氏支流駿河守護今川氏の子孫 初代:今川氏真2代:今川直房3代:今川氏堯
4代:今川5代:今川範高6代:今川
→7代:今川8代:今川義泰→9代:今川
→10代:今川義用→11代:今川義順12代今川範叙
上杉(1490石) 能登畠山氏の畠山義春[2]の次男 初代:上杉長員→2代:上杉長政→3代:上杉長貞
→4代:上杉長之→5代:上杉長宗6代:上杉義陳
7代:上杉知義8代:上杉義枝→9代:上杉義寿
→10代:上杉義長→11代:上杉義達→12代:上杉義正
→13代:上杉義礼14代:上杉15代:上杉義順
大沢3550石) 遠江の旧今川 初代:大沢基宿→2代:大沢基重→3代:大沢基将
4代:大沢基恒5代:大沢→6代:大沢
→7代:大沢定寧8代大沢基之→9代:大沢基昭
→10代:大沢基暢→11代大沢基寿[3]
大友1000石) 豊後守護大友氏の子孫[4] 初代:大友義孝→2代:大友義閭→3代:大友義武
→4代:大友→5代:大友義方6代:大友義智
→7代:大友義路→8代:大友義敬
織田2700石) 織田信雄系の織田高長の3男 初代:織田長政→2代:織田信明3代:織田信栄
→4代:織田信之→5代:織田信味→6代:織田信存
→7代:織田→8代:織田信徳
織田2000石) 織田信長7男 初代:織田信高→2代:織田高重→3代:織田一之
→4代:織田信門5代:織田信倉6代:織田信直
→7代:織田長孺→8代:織田長裕→9代:織田信貞
織田(700石) 織田信長9男 初代:織田信貞→2代:織田貞置→3代:織田長迢
→4代:織田→5代:織田長説6代:織田信錦
7代:織田信由→8代:織田信順→9代:織田信恭
→10代:織田信任
京極1500石) 旧四職京極氏の易された宮津[5] 初代:京極高矩2代:京極→3代:京極高本
4代:京極高厚→5代:京極高以→6代:京極高正
→7代:京極高福
吉良
1420石)
足利氏支流義継系[6]吉良 初代:田頼久→2代:田義→3代:田義成
→4代:吉良義俊→5代:吉良義所→6代吉良義豊
→7代:吉良義房→8代:吉良義発→9代:吉良義方
品川300石) 今川氏真次男 初代:品川高久→2代:品川高如3代:品川
→4代:品川範増5代:品川信方→6代:品川氏如
7代:品川氏長8代:品川氏維9代:品川高美
→10代:品川言氏→11代:品川高尚12代品川氏繁
13代:品川氏恒
武田500石) 武田信玄次男芳の子孫 初代:武田→2代:武田信安3代:武田信明
→4代:武田護信→5代:武田信典→6代:武田信之
→7代:武田崇信
土岐(700石) 美濃守護土岐頼芸4男 初代:土岐頼元→2代:土岐持益→3代:土岐頼長
→4代:土岐頼元→5代:土岐頼常→6代:土岐頼恭
→7代:土岐頼方→8代:土岐頼庸→9代:土岐頼之
畠山5000石) 足利氏支流管領政長系畠山 初代:畠山政信→2代:畠山基玄3代:畠山
4代:畠山→5代:畠山政如6代:畠山
→7代:畠山祥→8代:畠山基利9代:畠山基徳
→10代:畠山基永
畠山3120石) 足利氏支流能登畠山 初代:畠山義春→2代:畠山→3代:畠山義里
→4代:畠山義寧→5代:畠山義躬6代:畠山義紀
7代:畠山義福→8代:畠山義一9代:畠山義宣
→10代:畠山義勇
宮原1140石) 山内上杉氏養子の足利氏子孫[7] 初代:宮原義照→2代:宮原義久→3代:宮原
→4代:宮原→5代:宮原6代:宮原氏義
→7代:宮原義汨→8代:宮原義潔9代:宮原義周
→10代:宮原義直
由良1000石) 新田氏支流を名乗る[8] 初代:由良貞長→2代:由良貞房→3代:由良頼繁
→4代:由良貞長→5代:由良貞整6代:由良貞通
→7代:由良貞雄8代:由良貞靖9代:由良貞時
横瀬1000石) 由良貞房次男 初代:横瀬貞顕→2代:横瀬貞→3代:横瀬貞
4代:横瀬貞臣5代:横瀬貞径→6代:横瀬貞征
7代:横瀬貞固

断絶した家

名(石高) 出自 歴代
一色1000石) 菅原氏の唐から
一色氏に養子入り
初代:一色在通→2代:一色在種(許可なく近に行き絶
大沢2000石) 大沢の分 初代:大沢基明→2代;大沢基実(幼年嗣断絶)
吉良(4500石) 足利氏支流長氏系[9]三河吉良 初代:吉良義弥→2代:吉良→3代:吉良義央
→4代:吉良義周(1702年の赤穂浪士討ち入りので翌年易)
土岐(700石) 美濃守護土岐頼芸次男 初代:土岐頼次→2代:土岐頼勝→3代:土岐頼義
→4代:土岐→5代:土岐頼泰(1706年に傷事件を起こし易)

その他

御家騒動のため出羽55万石、さらに時期幼少のため大森1万石から5000石の旗本に易された最上義俊の子である最上義智(最上義光ひ孫)、武大沢の分大沢基躬が一代高家となっている。

また山名豊国の4男山名豊義の系統など高家ではないものの高家並みの格式を与えられた旗本のも存在した。

関連項目

脚注

  1. *公家であったが家康に直接近侍
  2. *越後守護上杉氏の分上条上杉氏を相続
  3. *維新の際石高を偽って報告したため堀江となったものの、のちになってそのことが露見し族から士族に落とされたことで有名
  4. *要するに大友宗麟の子孫
  5. *京極高次京極高知の子孫
  6. *足利義氏古河方ではなく鎌倉時代の3代の方)長男
  7. *古河足利高基次男から山内上杉氏に養子に入った上杉寛が、結局当にならなかったために直と名し成立した
  8. *元は新田氏支流岩氏(室町時代以降新田氏を取りまとめる)の家老で下上で実権を奪った(維新後は岩氏のみが新田氏の後継者と認められ族となった)
  9. *足利義氏(上述した鎌倉時代の方)次男?

【スポンサーリンク】

  • 3
  • 0pt
記事編集 編集履歴を閲覧

ニコニ広告で宣伝された記事

ジサツのための101の方法 (単) 記事と一緒に動画もおすすめ!
提供: kanze
もっと見る

この記事の掲示板に最近描かれたお絵カキコ

お絵カキコがありません

この記事の掲示板に最近投稿されたピコカキコ

ピコカキコがありません

高家

1 ななしのよっしん
2023/02/14(火) 07:57:14 ID: qZm+jnb1he
江戸幕府(というか武政権全体)が建前上、「朝廷天皇陛下)から下の政務をお借りして、実務を取り仕切っている」という事を理解してると、「朝廷からの勅使をもてなすこと」の重要性は理解できるし、「その勅使に礼を働いたり不を買わないように武としての礼儀作法を教えるコーチ役」は重要なのよな。
いくら関係で押さえ込めてるとはいえ朝廷にキレられたら権の正当性を失うんだから、そりゃあ気を使うに決まってるわけで。
そりゃあ、勅使饗応 (儀礼的とはいえ今後しばらく下の政務頼んだわっていう言質を取る場)の当日に不祥事起こした責任者の浅野頭に対して綱吉もブチ切れますわ。むしろ、即日とはいえ切腹で済ませてくれたのが温情というか
👍
高評価
0
👎
低評価
0
2 ななしのよっしん
2023/03/01(水) 06:10:15 ID: Bp1gGHraXZ
元の意味は名門(軍事貴族)という程度の意味で、江戸幕府が職制に転用した
が名門武であった鎌倉幕府、室町幕府と異なり、徳は有識故実に詳しくないので
公家室町幕府の有力武を登用して活用した
👍
高評価
0
👎
低評価
0
3 ななしのよっしん
2023/08/07(月) 13:43:35 ID: pLjy1Q2kzB
これだけのをもらっておきながら幕末戦闘ではカカシ程度にしかならなかったとか家康味噌を投げつけたくなるだろう
👍
高評価
0
👎
低評価
0