高師兼(?~1351)とは、鎌倉時代末期から南北朝時代にかけて活躍した武将である。
概要
高師直の叔父・高師春の息子で、高師直、高師泰らには従兄弟にあたることに加え、母親が師直の妹なので甥にもあたる。さらに師直の猶子でもある。
1336年、建武政権を離反し東海道を攻めあがっていた足利尊氏によって、吉良貞家が東海地方に留められたのに高師秋の息子・高師親とともに従って三河に在陣していたらしいことがその初見である。
彼の特筆すべきことは足利氏第二の本領ともいえる三河の守護を、1337年から1343年、1345年から1351年の長期にわたって務めあげたことである。高一族は基本的に対南朝のために短期的に守護を務めることが多かったので、長期的に守護を務めたのは武蔵、備中、三河の三国のみなのである。
三河守護として彼は北畠顕家との青野原の戦いに参戦したり、高師泰とともに遠江に出兵している。以降は基本的に在京していたようで、高師直の軍事活動に従い、最期も高師直とともにし、師春流高一族は猶子になった南宗継の息子・南宗久が継ぐこととなった。
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