高覧とは、
ここでは2について説明
概要
河北の群雄、袁紹に仕えた武将。「高奐」という表記もある。
西暦200年(建安5年)の官渡の戦いで、曹操が袁紹軍の兵糧基地である烏巣を自ら攻めにいったという情報を聞いた袁紹は、張郃と高覧に曹操が留守の曹操本陣を攻めさせた。
しかし本陣は曹洪によって堅く守られ、烏巣を陥落させた曹操が戻ってくると戦意を無くしてこれに降伏した。曹操の武将として活躍した張郃と違い、高覧のその後は不明。
三国志演義における高覧
官渡の戦いでは許褚と一騎打ちを演じた猛将に描かれている。曹操の本陣を張郃と攻めるも落とせず、袁紹幕僚の郭図が作戦の失敗の責任を張郃と高覧に押し付ける一方で、二人に袁紹が怒って断罪しようとしていると伝えさせる。激怒した高覧は郭図の使者を切り捨て張郃を説得して一緒に降伏する(郭図が張郃を讒言した話は正史に記事にもある)。
偏将軍、東萊侯になった高覧は袁紹のリターンマッチである倉亭の戦いで活躍し、汝南で勢力を拡げていた劉備軍を破り武将の劉辟を討ち取っている。しかし劉備を追い詰めたところで救援に現れた趙雲に馬上から突き落とされ、以降の消息は不明となる。
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関連項目
- 三国志の登場人物の一覧
- 袁紹 / 曹操
- 張郃
- 官渡の戦い
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