魔法少女(まほうしょうじょ)とは、魔法を使うことが出来る少女のこと。転じて、魔法を使うことが出来る少女が主人公となる物語のジャンルも指す。類義語に魔女っ子(魔女っ娘、まじょっこ)が存在する。
概要
漫画やアニメ、ゲームなどの創作作品において重要な分野の一角を担っている存在。萌え要素にしてキャラクター分類のひとつでもある魔法少女。ただしその定義は曖昧にして多岐に渡る為、以下で大まかな年代別に分類して説明する。
魔法少女誕生以前 <~1960年代前半>
欧米における魔法を扱う女性といえば魔女が有名だろう。ディズニー映画の魔女、あるいはグリム童話の魔女など、あちらのファンタジーの世界では魔法を扱う女が頻出する。日本でも明治時代から西洋文学の和訳により、様々な魔女が紹介された。
しかし、魔法少女の概念の端緒となったのは、1964年に日本で放映された『奥さまは魔女』や『メリー・ポピンズ』といったアメリカ発のテレビドラマである。これらの作品は、あるいはそれら作品における魔法観"エブリデイ・マジック"に起源を求める者もいる。
テレビドラマ「奥さまは魔女」は日本でも視聴率を集め、これが横山光輝の目に留まって『魔法使いサニー』を作るアイディアに至ったという。
発芽 <1960年代>
| 1966年 魔法使いサリー |
日本初の魔法少女作品は1966年に横山光輝が発表した漫画、またはそれを元に同年に東映が映像化したアニメ作品『魔法使いサニー(または改名後の魔法使いサリー)』である。
このアニメ版『魔法使いサリー』は初の映像化作品ということもあり、後の魔法少女界に大きな影響を与えた。特に不思議な力を使う際の呪文(マハリクマハリタ)などはのちの魔法少女作品の基礎となる。
その後番組である『ひみつのアッコちゃん(原作:赤塚不二夫)』はサリーを凌ぐ大ヒット作となり、魔法使いサリーと並び魔法少女というジャンルを不動の地位へと押し上げた。この『ひみつのアッコちゃん』もコンパクトに向かって魔法の呪文「テクマクマヤコン」を唱えると望みの姿に変身できるという、サリーと似たアイデアが使われた。
この両作品が、後の「普通の女の子だけど何らかの方法で毎回別人に変身する」という魔法少女の概念を作ったと言ってよい。
| 1969年 ひみつのアッコちゃん |
その後『魔法のマコちゃん』、『さるとびエッちゃん』、『魔法使いチャッピー』、『ミラクル少女リミットちゃん』、『魔女っ子メグちゃん』、『魔女っ子チックル』、『花の子ルンルン』、『魔法少女ララベル』などが作られ、これらの10作品を東映魔法少女シリーズと総称することがある。
この多作ぶりには原因がある。一般家庭へのテレビの普及は1960年代(正確には59年の皇太子明仁親王ご成婚とそのTV放映)から始まったが、その頃のテレビ作品はどれも手探りの状態で製作されるのが常だったため、このようにアニメも乱造されたのである。
そういうこともあってか、この時代の作品には設定の定型が定まっていた。
- 普通の人間が暮らす現代社会とは別に、魔法が存在する世界がある
- 主人公が異世界からの訪問者であり、何らかの理由で人間として暮らすことになる(いわゆる上述の魔女っ娘)
- 主人公が普通の少女である場合、魔法のアイテムを与えられて魔法少女となる
- 主人公の魔法少女は短い呪文を唱えてシームレスに魔法を行使することが多い
- 自分以外に魔法の存在を知るもの、魔法を使うものが少ない
- 以上の事柄を含めて魔法少女であることを周囲に知られてはならない
萌芽 <1970年代>
| 1973年 キューティーハニー |
1970年代は公害問題やベトナム戦争、オイルショックに揺れた時期であり、それを反映した重いテーマを扱う映像作品も多かった(『魔法使いチャッピー』(1972年)など)。
『さるとびエッちゃん』には人語を話す犬のブクが登場し、魔法少女につきもののマスコット的小動物の元祖ともいわれている。
1973年には少年漫画界の巨匠、永井豪によるアニメ「キューティーハニー」が登場する。厳密に言えば本作の主人公はアンドロイドであり魔法少女とは異なる。しかし、本作は毎回変身して格闘により敵と戦うという魔法少女の概念を作ったアニメの一つである。特に本作の変身シーンではお色気要素を多く含み、女の子のみならず男の子も夢中にさせた。
伸長 <1980年代前半>
| 1982年 ミンキーモモ |
1982年、『魔法のプリンセスミンキーモモ』が誕生。「魔法少女が変身する」というアイディアは当時まだ女性の就職が厳しい時代での少女たちの「変身願望」を充足させることになり、大きな支持を得た。
また同作は少女向けとされた魔法少女モノにおいて様々なアイディア(巨大ロボもあるよ!)を次から次へと詰め込んだため少女以外にもファンを開拓し、一躍大ブームとなった。
その一方で当時は冷戦とキューバ危機の最中、全面核戦争か第三次大戦かと囁かれる世情であった。夢と希望に縛られたモモは遂に水爆による核攻撃を阻止するに至ってしまう。さらに最終話前後では(事故とはいえ)今までの魔法処女としての命を絶ち、魔法でも得られなかった「家族」を得てハッピーエンドに至るという衝撃的な結末が話題を呼ぶ。これが後の「闘いの宿命と"今"に縛られる少女達」の底流を成した。
興隆 <80年代前半~後半>
| 1983年 クリィミーマミ |
83年、魔法少女界はスタジオぴえろが手がけた『魔法の天使クリィミーマミ』で新たな局面を迎える。ローティーンの少女が魔法の力でアイドルに変身し人気を博すというストーリーは、魔法少女というジャンルをメインストリームに押し上げた。またそれまでの作品でも使われた"変身前後で別人になる"というギミックを徹底的に利用し、少女に眠る変身願望を刺激することで同作はこの時代においても大ヒットとなった。
一方で「身分の違う2つの存在」は、当時の恋愛観も手伝って主人公を苦悩させることになる。
この後もぴえろは『魔法の妖精ペルシャ』、『魔法のスターマジカルエミ』、『魔法のアイドルパステルユーミ』、12年後のテレビ東京日曜9時30分枠の『魔法のステージファンシーララ』などのシリーズを輩出する。
1988年には『ひみつのアッコちゃん』のリメイク版、1989年には『魔法使いサリー』のリメイク版が放送された。これはすでに第一世代の魔法少女を見ていた子供達は大人になっているという表れであり、親子二代に渡って人気を博した。
そして、この頃にはたくさんの作品が作られたこともあり30分アニメとしての魔法少女の基本は完全に出来上がっていた。
協力 <1990年代前半~中盤>
| 1992年 セーラームーン |
80年代の大同小異な作品の乱発により、90年代の魔法少女モノはマンネリが進み下火になっていた。
そこで代わりに登場したのが90年代の少女漫画の代表作『美少女戦士セーラームーン』である。同作は今まで同能力の協力者がいなかった魔法少女モノに戦隊系の要素を取り入れるという実験的な試みをして大ヒットする。またそれまで魔法少女が苦悩していた“世間との差異”については描写が控えめになり、少女としての生活シーンと変身少女としてのバトルシーンはくっきりと分割され悩むことが少なくなった。
(ただし、少女漫画に起因する少女観の違いから、セーラームーンなどを「バトルヒロイン物」といった別のジャンルであるとする者もいる。Wikipedia(の編集者)はこの系統を「戦闘美少女系魔法少女物
」としている。)
94年の『赤ずきんチャチャ』も重要なポジションにある。魔法の国を舞台に繰り広げられるドタバタギャグは実験的な作品として高く評価され、演出を手がけた大地丙太郎は、後に自身で監督した作品「ナースエンジェルりりかSOS」と共にその名を知らしめることとなる。
| 1998年 カードキャプターさくら |
更に『カードキャプターさくら』が96~98年に登場。旧来のエブリデイ・マジックを踏襲し、舞台を現実世界に置きながらファンタジー方向へとシフトしており、魔法少女が現実世界に存在する違和感や悩みは薄められた。魔法の存在を知る周囲の協力者をも得てさくらは生き生きと愛らしく活躍し、それと共に魔法が現実に存在することが次々と判明していく。魔法少女は社会に取り残されることなく、社会の中心に躍り出たのだ。
おとぎ話という殻から脱し、女性が強くなっていった時代。方法論は違えども、どの作品も紳士諸兄に大いに支持された。
純化 <90年代後期>
| 1999年 おジャ魔女どれみ |
モモ以降からオタクの御用達ジャンルとして認知されていた魔法少女だが、バトルヒロインに席巻されたこの時期は上述戦隊系の要素が加わる作品が多かった。メディアミックススタイルで発表されていた『天地無用!』シリーズのスピンオフ作品である『魔法少女プリティサミー』が96年、部活動アニメのはしりでもあり、SF要素を盛り込んだ『魔法使いtai!』(OVAは96年、アニメは99年)と、珠玉ではあるがやや小粒の作品を輩出するに留まっている。
一方でこの時期に至ってアニメ業界そのものに限界が来ており、「ヤシガニ」に代表される過密で過熱なアニメブームと過剰な納品至上主義により一時期混迷をきたした時期もあった。
そして99年、東映が15年ぶりに動いた。『おジャ魔女どれみ』シリーズである。
あくまで小学校低学年~高学年の少女向けという前提を崩さず、しかし現代向けに作られた舞台設定。変身ではなくお着替えによってカラフルな見習い服を身につけた未熟な魔法少女達。どれみにおいて魔法はあくまでも背中を押すだけの存在に過ぎず、中には魔法が出てこない回も多々放映されている。だがストーリー、音楽、どれも高水準の出来栄えであり、この時代においても本家の実力を垣間見せるようになった。
また、以前の魔法少女モノは17時-19時のいわゆる「夕番枠」で放送されることが多かったが、どれみは朝の7-8時、「朝番枠」にて放映された。これは前番組「夢のクレヨン王国」ひいてはテレビ朝日の放送体制に起因するのだが、この後番に「プリキュア」が加わったこともあり、朝番はより低年齢向けの感が強い魔法少女を輩出することになる。
分裂 <2000年代前半>
| 2004年 ふたりはプリキュア |
"東映の本気"どれみの影響は甚大であり、後番組であった『明日のナージャ』は設定に中世欧州の歴史を取り入れた意欲作ではあったものの、それまでの番組と比しても甚大に過ぎる視聴率低迷を受け、またそれを受けてナージャ関連商品も販売不振が続き、ナージャの後番組である「ふたりはプリキュア」さえも視聴率が低迷になるのではないかと、業界内から不安視される事態を招いた。
しかしそのプリキュアシリーズは、ヒーロー顔負けの肉弾戦を繰り広げるバトルヒロイン達が活躍するというものであり、多くの女児と少なからぬ男子に受け入れられ、ナージャによる前評判を覆す大ヒットになった。
ただ、どれみとプリキュアによってますます旧来の魔法少女観とは乖離するようになったとも言われている。
一方、プリキュアの前後に生まれた作品がエクセル・サーガのスピンオフ『ぷにぷに☆ぽえみぃ』(01年)、『大魔法峠』(01年)、『ナースウィッチ小麦ちゃんマジカルて』(02年)、『撲殺天使ドクロちゃん』(03年)等、魔法少女としてのギャップをネタにした作品である。
既存のジャンルを茶化すようなヒロイン、頭を抱えたくなるギャグやパロディ、とりあえずそれっぽい衣装を身に纏っておけば魔法が欠片もなくても魔法少女と言い張る無理矢理さにファンは笑い、時に萌えた。この辺りの詳細は「邪道魔法少女」に詳しい。
『魔法少女リリカルなのは』は、こういった「朝」と「夕」がせめぎあう最中の04年に放映された「夜(24-26時枠)」である。ヒロインでありながら男を圧倒する戦闘能力、という「強い女の子」という1つのテーマはここに結集したといってよい。反面、過激な戦闘シーンが多くなったことにより少年漫画を通り越して超人モノにまで変貌してしまったこの潮流を嘆く者も少なからずいたという。
少女の成長を描くメタファーとしての魔法少女は、女性が社会的に成長した背景を考えればむしろ男性向けにシフトした感がある。しかも、愛らしい衣装や少女の日常を描く魔法少女というジャンルは、本来のターゲットである少女よりもむしろ男性ファンに望まれ、記号化されて「萌え」というジャンルに押しこまれた感がある。そういった男性視点の魔法少女が、少女自身を置き去りにしてしまった結果が『なのは』であり、邪道魔法少女はそういった視点から動けないファンや作り手達を皮肉にしているともいえよう。
迷走 <2000年代後半>
様々なネタを取り込み、飽和した魔法少女界隈。そんな時代の流れに反発するかのような作品群が生まれ始めたのはこの時期である。05年、山口県萩市を舞台にした『奥様は魔法少女』がそのひとつ。06年には『ぱにぽに』からのスピンオフ、『新感覚癒し系魔法少女ベホイミちゃん』が誕生。昨今の魔法少女の様々なお約束を脱線迷走ギャグに落とし込み、いわゆる邪道魔法少女系作品でありながらも作者の魔法少女への愛情が窺い知れる作品となった。ライトノベルからは“現実は少女に優しくないし、魔法は人を幸せにはしない”というテーマを掲げた『アンチ・マジカル ~魔法少女禁止法~』が現れ、物議をかもしだした。
一方、『ふしぎ星の☆ふたご姫』は設定こそ高度なSF知識を利用したものの内容は中古代の魔法少女を踏襲した作品になっているが、この当時でも人気を誇っていたプリキュアに押され、明日のナージャと同じ寡占による不振をこうむることになった。
かつては少女の成長のために、魔法をも含む全てが肯定された"魔法少女"というジャンルは、1999年に"恐怖の大王"と共に褪めてしまった世相から、2000年以降の現実的すぎる世相を反映してどんどん迷走を続け、さらにこの頃から頻発した「プロット使い捨て」というアニメ業界の悪癖により魔法少女モノもまた他のジャンルとないまぜになり"邪道魔法少女"が邪道でないまま曖昧に進んでいた。
現在 <2010年~>
| 2011年 まどか☆マギカ |
2010年、『ジュエルペットてぃんくる☆』がスタート。メインスタッフにはアニメ版『ななついろ★ドロップス』の主要メンバーを起用、前作からの大幅なイメージチェンジは視聴率、物販の売り上げ共に大成功を収めた。少女の心の成長を丁寧に描くベテランの島田満が手がける脚本も好評で、7月にはDVDBOXが発売される予定。
そして、(邪道)魔法少女の真打にしてモモの忘れ形見、『魔法少女まどか☆マギカ』が11年に登場。製作発表当初はあまり注目されなかったが、脚本担当が「沙耶の唄」で筆名を馳せた虚淵玄であるとの情報が流出するや否や放映前から話題をさらう。その内容は旧来の魔法少女というイメージを完全に利用し尽くし、虚淵玄独特の黒さやキュゥべえに起因するSF設定、「魔法少女となったからには己の青春を捨てて死ぬまで戦わないといけない」というかつての魔法少女たちが苦悩したタブーを利用しあまつさえ実際に描画してしまう、など氏の実力が遺憾なく発揮された深く黒い作品となった。また、悪役も従来のものとは一味違う描写をされている。
東北地方太平洋沖地震による放映中断を受けながらも迎えた『まどか』の最終回は、当初から囁かれていた魔法少女ジャンルの破壊ではなく、むしろ肯定であった。『まどか』は、モモから続く魔法少女の矛盾と迷走に対する虚淵の渾身のストレートであり、軽く見られがちだった“大人向けの”深夜アニメ帯において消費されつくした感のある魔法少女を“大人向けに”描ききった作品だと言えよう。
その内容の深さ・恐ろしさは、90年代以前に見られる「女児向け」としながら社会正義を盛り込む"正道"と、あえて魔法少女と掲げながらも魔法少女ジャンルへの矛盾によって成立していた"邪道"を混ぜ合わせた実験作としては異例の成功を収めたといってもよい。
しかし、ネット社会となった現代ではテレビの視聴率そのものが下がってしまったため、魔法少女の立ち位置はその業界を含めていまだ予断を許さない状況に置かれている。
その他
ゲーム等でも「(変身する)魔法少女」という題材が使われることがあるが、ことアダルトゲームでは上掲アニメ作品の「純潔さ」を逆手に取り、一方的に陵辱したり触手にまみれさせたりといった作品が多い。魔法少女アイ等が有名。
魔法少女が主人公に敵対した場合、大抵はご都合的な能力によって変身が解かれて無力化し、そのまま陵辱される(場合によってはそのまま殺されてしまうものもある)。また、いわゆる「肉だるま」にされてしまう場合もある。
一方で、主人公がこういった魔法少女が使うような"魔法"を使ってご都合的に不具を直したりする場合もある。
関連項目
http://dic.nicomoba.jp/k/a/%E9%AD%94%E6%B3%95%E5%B0%91%E5%A5%B3


ページ番号: 560671
リビジョン番号: 1531436
読み:マホウショウジョ
初版作成日: 08/09/16 19:48 ◆ 最終更新日: 12/05/17 19:18
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