鹿苑寺・舎利殿金閣 |
鹿苑寺とは、京都市にある寺院である。通称金閣寺。「古都京都の文化財」として世界文化遺産に登録されている。
概要
京都市街地の北西、左大文字の麓にある臨済宗相国寺派の寺院。正式には「北山鹿苑寺」という。名は釈迦がはじめて説法を行った鹿野苑にちなんでつけられた足利義満の法号「鹿苑院殿」による。
金色に光り輝く舎利殿(通称・金閣)で広く知られる。夏の深緑の中に映え、また冬の雪景色の中にひっそりと佇むその様は見るものを惹きつけ、一年を通して多くの拝観者が訪れる。なお、現在の金閣は後述の放火事件ののち、1955年に過去の資料を基に再建されたもの。
再建前の金閣最上階の天井板は「三間四方の楠の一枚板」であったという伝説があるが、これは誤りで、実際は複数の板を用いた鏡天井(格縁などを用いずに鏡のように平滑に仕上げた天井)だったとのこと。三間とは約5.5mであり、実際にこれを一辺とする一枚板を切り出すには周囲20mほどの巨木が必要となる。
歴史
室町時代の1397年(応永4年)、第3代将軍・足利義満が河内国領地と引き換えに荒れ果てていた西園寺家の邸宅・庭園を譲り受け、別荘北山第として改新築。義満はここで政務を執り行った。義満の死後の1420年、義満の遺言により北山第は相国寺を開いた夢窓疎石を勧請して禅院鹿苑寺として改められた。
1467年の応仁の乱では西軍の陣となり、舎利殿(金閣)などを残して焼失する被害を受けた。
江戸時代に入り、徳川家康の命によって住職となった西笑承兌(さいしょうじょうたい)によって経済的な基盤を確立。明治時代の廃仏毀釈などを乗り越え、1894年(明治27年)はじめて一般拝観者を受け入れる。
1950年7月2日未明、放火により舎利殿が全焼、国宝・足利義満木像を含む文化財6点が失われるという事件が起きた。同日夕刻に寺の見習い僧侶・林養賢が裏山で催眠剤を飲み切腹しているところを発見され、逮捕。懲役7年を言い渡されるが、服役中に結核と重度の精神障害が進行、移送先の病院にて死去した。
1956年には、三島由紀夫がこの放火事件を題材にした小説『金閣寺』を発表。近代文学の傑作として高い評価を受け、2度の映画化がなされた(1958年『炎上』、1976年『金閣寺』)。
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関連項目
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