- プロ野球選手一覧 > 齊藤明雄
齊藤明雄(さいとう あきお、1955年2月23日-)とは、京都府出身の元プロ野球選手(投手)である。
1982年から2009年までの登録名は「斉藤明夫」。現在は解説者を務める。
概要
OB | |
---|---|
齋藤明雄 | |
基本情報 | |
国籍 | 日本 |
出身地 | 京都府京都市伏見区 |
生年月日 | 1955年2月23日 |
身長 体重 |
184cm 85kg |
選手情報 | |
投球・打撃 | 右投右打 |
守備位置 | 投手 |
プロ入り | 1976年ドラフト1位 |
引退 | 1993年 |
経歴 | |
選手歴 コーチ歴 | |
プロ野球選手テンプレート |
花園高校時代は外野手で、大商大に進んでから本格的に投手に転向。エースとして活躍し、日大の佐藤義則・駒大の森繁和とともに大学球界三羽烏と呼ばれた。
1976年のドラフト1位で大洋ホエールズに指名され入団。エースナンバーの背番号17を与えられた。
大洋・横浜時代
1年目から開幕一軍入りし、8勝9敗の成績を挙げて新人王を獲得。2年目の1978年には先発と抑えを兼任しながらリーグ最多完投(12完投)をマークするという馬車馬のような投げっぷりで16勝15敗4セーブ、防御率3.14という数字を残す。
1981年は負けが込み、シーズン途中からリリーフ転向、10セーブを挙げる。翌1982年、登録名を「斉藤明夫」に変更。当時の日本記録となる30セーブを挙げ、56試合登板で先発1試合にも関わらず規定投球回数にも到達して防御率2.01で最優秀防御率も獲得。この年、オールスターで延長戦になった関係で規定を超過する5イニングを投げるという珍記録をマークしている。以降、1987年までクローザーとして活躍、2度の最優秀救援投手を獲得する。
1988年、右膝を痛め、先発に再転向し、この年史上3人目、右投手としては史上初の100勝100セーブを達成。1993年にはコーチ兼任となるが、右膝の状態が悪化し、チームが横浜ベイスターズになったこの年に現役を引退した。
直球の最速は全盛期でも140km/hちょっとだったが、80km/hのスローカーブとの緩急を活かした投球術で活躍。ヒゲを生やした強面の風貌から「ヒゲの斉藤」と呼ばれた。また、チーム名が「大洋ホエールズ」「横浜大洋ホエールズ」「横浜ベイスターズ」の各時代すべてで一軍出場した唯一の選手である。
引退後
解説者と横浜の投手コーチをいったりきたりしている。古木克明が横浜スタジアムで転び「古木あーっと!」と実況が叫んだ際、「自分のお庭ですよ!お願いしますよ!」とコメントした解説者が斉藤である。
2007年からは大矢明彦監督就任に伴い一軍投手コーチとなったが、2008年には投手陣が総崩れの状態となり、大矢監督とともに2chなどではネタキャラとして親しまれることになってしまった(後述)。結局2008年限りで解任され解説者に戻る。2010年から名義を「齊藤明雄」に変更。
2013年、2014年は千葉ロッテマリーンズで投手コーチを務めた。就任当初は過去のコーチ時代の経歴から主に横浜のファンからは不安の声が上がっていたが、2012年オフの秋季キャンプで古谷拓哉に先発の適正を見出し、翌年転向させると見事ブレイクしたり、プロ入りして4年間1軍経験のなかった西野勇士をレギュラーに定着させるなど、それなりの足跡を残した。
2018年からはホエールズ・ベイスターズのOB会の新会長を務める。
やらない明夫
/ ̄ ̄\ / _ノ \ | =⊂⊃=⊂⊃ . | (__人__) ここはヒューズ投入だろ・・・ | |||||||||| やる大矢スレ的に考えて・・・ . | } . ヽ } ヽ ノ \ / く \ \ | \ \ \ | |ヽ、二⌒)、
2chプロ野球板のネタスレ「やる大矢スレ」のキャラクター。やる大矢の相方として斉藤をやらない夫化したもの。「アキオ」と呼ばれることが多い。
基本的にやる大矢に対するツッコミ役。ロッテの投手コーチになった現在もレギュラーとしてスレに出没している。
成績
通算投手成績
通算:17年 | 登板 | 先発 | 完投 | 完封 | 勝利 | 敗戦 | セーブ | ホールド | 勝率 | 投球回 | 与四球 | 奪三振 | 失点 | 自責点 | 防御率 |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
NPB | 601 | 218 | 64 | 11 | 128 | 125 | 133 | 0 | .506 | 2173.1 | 619 | 1321 | 953 | 850 | 3.52 |
タイトル・表彰・その他
タイトル | ||
---|---|---|
最優秀防御率 | 1回 | 1982年 |
最優秀救援投手 | 2回 | 1983年、1986年 |
表彰 | ||
新人王 | - | 1977年 |
その他 | ||
オールスターゲーム出場 | 6回 | 1978年、1981年-1983年、1985年、1987年 |
関連動画
関連コミュニティ
関連項目
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