概要
自民党の元参議院議員(2010年6月現在)、元衆議院議員、元農林水産省職員である。
2009年9月16日の首班指名で、自民党としては総選挙惨敗の責任者である麻生総裁の名前は書けない。白票も国会議員の責任放棄になる。苦肉の策として、全議員が推せる候補として、両院議員総会長を務める氏を自民党の候補とすることになった。
また、混乱の安倍晋三政権期を象徴するような人物の一人でもある。ただし、本人には全く非はないので誤解無き様に。
- 2006年9月26日から2007年8月27日、安倍内閣に環境大臣として初入閣。
- 2007年5月28日から2007年6月1日、松岡利勝農林水産大臣(ナントカ還元水の人)の死去に伴い、農林水産大臣臨時代理を兼任。
- 2007年8月1日から2007年8月27日、赤城徳彦農林水産大臣(絆創膏の人)の辞任に伴い、農林水産大臣を兼任し、内閣改造により閣僚退任。
- 2007年9月4日から2007年9月26日、遠藤武彦農林水産大臣(禿頭の人)の辞任に伴い、甘利明農林水産大臣臨時代理を挟んで、専任の農林水産大臣に就任。
- 2007年9月26日から2008年8月2日、安倍晋三総理大臣(おなか痛い人)の辞任により福田内閣が発足し、引き続き専任の農林水産大臣に就任、無事勤め上げた。
余談だが、次の農林水産大臣である太田誠一は、事務所経費問題でニヶ月足らずで辞任(表向きは事故米の引責)。その事務所がよりにもよって池田信夫の隣家で、ブログで太田の嘘がバレてしまうというオマケ付き。そして、その臨時代理に就いた町村信孝官房長官は、福田内閣総辞職により5日で辞任している。
不適切採決による、議員引責辞任
- 2010年夏の任期満了をもって引退の意向を表明していた矢先の3月31日、退席していた隣の議員の投票ボタンを勝手に10回も押していたことが発覚。
- そのため、懲罰動議が可決され、4月2日に議員を辞職した。
これは「一票の重さを踏みにじった、大変な出来事である」として民主党はもちろんのこと、彼の所属する自民党からも非難が集中した。この件について本人は「魔が差した」と釈明している・・・が「魔が差した程度で10回も不正行為を働く」のか、というところが率直な疑問。更に7月に行われる予定の参院選で、
「同じ選挙区からの世襲立候補」が問題視されているさなかあえて世襲を実行し、結果当選させることができた。若林元議員のことだから、きっと何か聡明なことを考えているにちがいない。
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