AIR-2ジニーとは、アメリカとカナダに配備されていた空対空核ロケットである。
概要
1954年に開発を開始、1955年にネバダ上空で空中投下実験(3kt)、1957年にはF-89Jを使った発射実験(約2kt)が行われた。1956年から1962年までの間に数千発を量産した。全長2.9m、弾頭部直径44cm、重量378kg、弾頭はW25(1~5kt)。搭載が可能な機体はF-89、F-101、F-4、F-106で、NORADの指揮下でカナダ軍のF-101もジニーを運用できた。[1]
背景[2]
1949年にソ連が原爆を手に入れたことが判明すると、アメリカではソ連の爆撃機ツポレフ4(大戦中に満州に不時着したB-29をコピーしたもの)による米本土への空襲を心配するようになった。
核兵器を搭載した爆撃機は1機でも撃ち漏らすと自国内に大打撃を蒙ってしまうので、絶対確実に阻止する必要があった。そこで、撃墜に時間のかかる機関砲や信頼性が低い誘導兵器に頼らず、シンプルで故障がない無誘導の空対空ロケットに小型核弾頭を取り付けて至近距離(10km)からぶつけるのが確実であると米空軍は判断したのである。
ソ連爆撃機は搭載燃料と空気抵抗の関係で高々度で飛来するしかないので、高度1万mでの抑制された核爆発では地上への実害も生じないと計算された。
ジニーや非核ロケット弾(数十発を斉射する)を搭載した迎撃機はレーダーで監視を行う地上の指揮所から最も効率的なコースで会敵地点まで誘導され、兵器を発射するタイミングまでも指示された。
その後レーダー網と長射程の地対空ミサイルが発達し、1980年代に入ると高高度からの爆撃機侵入はほぼ不可能になったと考えられ、こうしたシステムは退役した。
関連動画
ニコ動にはありませんがようつべにジニーの核実験の記録動画があります。
関連項目
脚注
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