ETR200とは、かつてイタリア国鉄が製造・運行した優等列車用の電車である。本項では改造後の形式であるETR220についても記載する。
概要
ETR200
1930年代、イタリアの主要幹線が次々と電化が完成し、これに伴い新型の高速走行が可能な電車が必要となった。この時、航空力学等を取り入れ、当時の最先端技術を駆使し、完成した新型車両がETR200である。
車両は3両固定編成、両端の先頭台車がボギー台車、中間連結面には連接台車を装備、駆動部の機構は完成当初からカルダン駆動、航空力学を取り入れたことによって先頭部は流線型となり空気抵抗を考えた形状となっている。車内は全席一等車となっている。当時のイタリアの最先端技術を使い、なおかつ車内は優美な内装を備えていた事から、当時のヨーロッパでは一番快適で速い列車とも言われていた。その為、当時のイタリアの偉い人に気に入られ、ニューヨークで開催された万国博覧会に1編成が展示されたりした。
1936年から製造が開始され、18編成が製造された。そしてイタリア国鉄の看板列車として活躍する・・・筈だったが、時代がそれを許さなかった。最終編成が完成したのは1941年、当時のイタリアはドイツ、日本と同盟を組み、第二次世界大戦に突入、戦時下の状況でこのような列車を運行することは難しく次々と運転を休止し、更には爆撃により多くの車両が破損、2編成が修理不能なほどに破壊され、廃車となった。再び活躍を始めるのは終戦後の事だった。但し、そのままの姿で再起とは行かなかった。
ETR220
終戦後、焦土と化したイタリア国内の復興の為、ETR200は再び活躍を始める。幸い、まだ修復可能等で十分使える車両が16編成ほど残っていた。しかし、復興需要が増えた事や、戦時中に破壊された車両も多数あった為、3両編成のままでは輸送力が不足する事が多くなってきた。そこでイタリア国鉄はETR200を3両編成から4両編成にする事にした。しかし、ETR200は3両固定編成での運用を前提に作られており、また中間車も連接車体構造になっている為、ただそのまま1両連結して追加、という訳には行かない。そこで考え出された方法が、もう1両ボギー車の新車を作りその車体に元からあった編成の先頭部を片方だけを切ってくっつけるという荒業に出た。これにより増結用の新造車は先頭車となり、先頭部をカットされた1両は中間車化改造を施され、無事に4両編成となった。これがETR220である。
この車両、4両編成になったことで輸送力は増えているほか、ギヤなども交換され最高速度も180km/hへと向上している。しかし無理やり4両編成にした為、編成中の車両全ての車体長がバラバラになってしまい、横から見ると編成美もへったくれもないやっつけ改造に見える。その後、1980年代に入る頃、4両編成のうちの2両にエアコンが設置される事となり、エアコン設置車が1等車、未設置車が2等車となる。また、このエアコンも当時の巨大なエアコンを無理やり搭載した為、屋根上に妙に大きな出っ張りが出来てしまい、更に車体美を崩す結果となってしまった。
その後、1980年代後半に老朽化の為全ての車両が引退、約40年にも及ぶ長い活躍の歴史に幕を閉じた。
時代に翻弄され、爆撃、魔改造、そして魔改造と、車両としては波乱万丈な歴史を歩んできたが、この車両で得られた技術は後世の車両に受け継がれ、航空力学を取り入れること、連接車体とボギー台車の組み合わせの構造等は戦後に製造されたETR300にも生かされている。また、この車両が最速列車として駆け抜けたボローニャ~ローマ~ナポリ間は現在でもイタリアを代表する高速列車ETR500や、ペンドリーノのETR485、ETR600が後を継いで駆け抜けている。平穏とは程遠い歴史を歩み、度重なる魔改造により迷列車と言われてしまった車両だが、イタリアの復興と鉄道の発展に貢献したその活躍ぶりは、まさに名列車にであった。
現在はアンコーナの駅構内の留置線に1編成が、ETR300等と共に保管されている。
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